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gojunko第4.5回目公演「はたち、わたしたち、みちみちて」「ウミ、あした」

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2017年6月24日ソワレ、早稲田のTheater Optionでgojunko第4.5回目公演「はたち、わたしたち、みちみちて」「ウミ、あした」を観た。女二人芝居二本立てである。
作・演出:郷淳子/照明:横山紗木里/音響:大矢紗瑛/宣伝美術:山羊/制作:河本三咲/企画・製作:gojunko/協力:有澤京花

「はたち、わたしたち、みちみちて」
小井坂とり…とみやまあゆみ 佐伯いずみ…穴泥美

地元でバイト生活をしている小井坂とりは、久しぶりに高校時代の友人・佐伯いずみと待ち合わせしている。地元を離れて就職したいずみは、色々あって就職した会社を辞め、今はニート生活を送っている。彼女が地元に戻って来たのは、成人式に出席するためだ。
もう一人の待ち合わせ相手、ミナトは約束の時間を過ぎてもまだ現れない。自然と二人の話題はミナトのことに…。ミナトからいずみに連絡が入る。彼女は、約束をドタキャンしてきた。とりは、自分に連絡がないことを不満に思う。
とりは、しきりに地元に帰ってくるよういずみに勧める。これからもこうして頻繁に二人で会おうと。その言葉に、いずみは逡巡する。

地元に戻ってきたいずみは、毎週のようにとりと会うようになる。何事もなく平穏な日々の中、二人は一見仲よくやっているように見えるが、果たして二人を結び付けているのはシンプルに友情なのだろうか。
やがて、ミナトの過去の一件やいずみの生活の変化から、二人の関係性はこれまでとは違っていくが…。

「ウミ、あした」
女…えみりーゆうな 女の子…石澤希代子

小さいころから背が低く、名前もアイダアイコだから出席番号も一番。そんな愛子の元へ、自分からの手紙が届く。誰からも愛させるようにとつけられた「愛子」という名。けれど、愛子の人生はまるで名前の通りには行かなかった。
彼女は、自分に届いた手紙をきっかけに、少女時代の自分と共に自分の人生を回想し始める…。


なかなかにシニカルでドライな人物造形の女性二人芝居二本立てである。僕は第4回公演「不完全な己たち」も観ているが、その芝居も強烈に悪意のこもったダークな物語だった。
その前作に比べると、尺がコンパクトで登場人物も二人に絞られた分、構成がシンプルな会話劇に仕上がっている。

「はたち、わたしたち、みちみちて」は、「不完全な己たち」に主演していたとみやまあゆみ穴泥美による会話劇。不在の友人ミナトをある種のキーにして進む物語だが、二人の関係性は消去法によって繋がっている友情というか、互いをどこかで受け入れないままずるずる続く負の依存関係的に見える。
ゆえに、どこで二人の関係が破綻してどういうエンディングを迎えるのかというドロッとしたネガティヴィティの匂いをかぎ取りながら事の推移を見届けるような落ち着かなさだった。
照明の強弱で巧みに時間を行きつ戻りつしながら二人の会話は進行し、いったんはおそらく観客の誰もが予想したような展開を迎える。
本作が秀逸なのは、そこからのツイスト。突き放して終わるかに見えた物語に、ややシニカルではあるものの思わずニヤリとしてしまう何とも秀逸なエンディングが用意されているのだ。
それが、本作の良さだろう。

微妙な空気感をはらみつつ、互いの腹の内を探るように会話するある種の屈折を伴う友人同士をとみやまと穴がナチュラルなテンポで好演している。

「ウミ、あした」は、より独特な物語構造とリズムを持った芝居と言っていいだろう。現在の愛子と幼少時代の愛子が、「ボレロ」の旋律に乗って会話をキャッチボールするかのように自身の悲惨な人生を回想する展開。
そこで語られるのは、吹っ切れたような絶望というか、自虐的でパンクな諦念のブルースといった面持ちの人生語りである。
自身の悲惨さを明るく笑い飛ばして、向こう側に突き抜けていくとでもいえばいいか。
最後に歌われるヨハン・パッヘルベル「カノン」に詞をつけた曲は、何とも不思議な余韻を残す。
戸川純は「カノン」に詞をつけて「蛹虫の女」という曲を作り、それを高速パンク化した「パンク蛹虫の女」という名曲をライブのアンコールでいつも歌っているけれど、ある意味この芝居のエンディングで歌われるこの曲にも、共通するペシミズムを感じなくもない。

決して明るく抜けのいい芝居とは言い難いが、明るい絶望とでも評すべき実にユニークで興味深い芝居だった。


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