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グザヴィエ・ドラン『Mommy/マミー』

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2014年公開のグザヴィエ・ドラン監督『Mommy/マミー』



製作はナンシー・グランとグザヴィエ・ドラン、脚本・衣装・編集はグザヴィエ・ドラン、撮影はアンドレ・ターピン、美術はコロンブ・ラビ、音楽はノイア、配給はピクチャーズ・デプト。
なお、本作は第67回カンヌ国際映画祭においてコンペティション部門で審査員特別賞を受賞した。


こんな物語である。

2015年、何処かの世界のカナダ。連邦選挙で新政権が樹立し、内閣は公共医療政策の改正を目的としたS18法案を可決。中でも、「発達障害児の親が経済的困窮、身体的・精神的な危機に陥った場合、法的手続きなしにその子を施設に入院させる権利」を保障したS-14法案は大きな議論を呼んだ。

40代前半のダイアン・デュプレ(アンヌ・ドルヴァル)は、女手ひとつで15歳になる息子スティーヴ(アントワン=オリヴィエ・ピロン)を育てるシングル・マザー。ADHD(多動性障害)のスティーヴは情緒不安定で、母親への愛情は深いが一度たがが外れると制御不能になってしまう。その傾向が顕在化したのは、発明家だった父の急死だった。




手に負えなくなったダイアンは彼を施設に入所させていたが、スティーヴは放火事件を起こしていよいよ施設からも追い出されてしまう。



息子を引き取り、郊外にフラットを借りたダイアンは母子二人の新たな生活を始めるが、仕事をクビになったりスティーヴの破天荒な行動に振り回されたりと心休まる暇もない。
スティーヴは音楽とスケート・ボードが趣味だが、大の勉強嫌いで学校にも通っていない。



学歴がないことで苦労するダイアンは息子を何とかしたいと考えているが、ひょんなことから二人の人生にささやかな転機が訪れる。
ある日、母親にプレゼントしようと万引きしたスティーヴをダイアンは叱責。そのことが原因で暴れ出したスティーヴを恐れ、自己防御のためにダイアンは思わず彼に怪我をさせてしまう。スティーヴの怪我を手当てしてくれたのは、お向かいに住むカイラ(スザンヌ・クレマン)だった。



カイラは高校教師だったが、精神的なストレスから話すことができなくなり現在は休職中。システム・エンジニアをしている夫は転勤が多く、その度にカナダ中を引っ越していた。カイラは家に引きこもっており、夫や一人娘との会話も乏しかった。
ところが、ダイアンに請われてスティーヴの家庭教師を始めたカイラに大きな変化が起こる。始めは予測不能のスティーヴに手を焼いた彼女だったが、ある事件をきっかけにスティーヴとの間には信頼関係が築かれ、ダイアンともすっかり親しくなった。その結果、彼女は二人と一緒にいる時には、ほとんど普通に喋れるようになったのだ。
カイラとの出逢いによってスティーヴは自分の人生に前向きになり、勉強にも熱心に取り組むようになった。ダイアンも、ようやく気のおけない友人ができた。



それぞれが新しい希望に向かって歩み始めたように思えたが、そんな日々も長くは続かなかった。
スティーヴが起こした放火事件で被害を受けた相手から、ダイアンに訴状が届いたのだ。

新たなる試練を前に、ダイアンとスティーヴ、そしてカイラは…。


17歳の時に書いた脚本を19歳で初監督したグザヴィエ・ドランが、監督5本目となる本作を撮ったのは25歳
彼はそのデビュー作にして世界の映画シーンから大きな注目を集め、早くも現時点で評価が定まりつつある今最もホットな映画人の一人である。



僕がドラン作品を観たのはこれが初めてだが、とにかく鮮烈な映像感覚、躍動的な音楽の使い方、斬新さと古典的話法を自由に行き来するストーリーテリングと、その才能の大きさを十分に印象付ける一本である。
134分という時間は結構な尺だが、その濃密なドラマ構成とドキュメンタリー・タッチを駆使する映画的話法にどんどん引き込まれて、終わってしまえばあっという間であった。

大半の映像はアスペクト比1:1で、極めて閉塞的にスクリーンに映し出される。あたかも、ダイアンとスティーヴの生活を隠し撮りしているような画で、観ている側にも何とも言えない息苦しいリアルが突きつけられるような感じである。
その一方で、夢想としてのシーンが16:9のヴィスタ・サイズに切り替わると、その開放的な映像に目眩すら覚える。そのコントラストは、マジックのようである。

ただ、こういった技巧的画作りも、メインの役者三人に魅力と説得力あればこそ可能な演出法であり、その意味でも実に適材適所なキャスティングだと思う。
とりわけ、僕が強く惹かれたのは、スティーヴを演じたアントワン=オリヴィエ・ピロンの奔放さと繊細さを併せ持った演技である。
スティーヴがショッピング・モールの広大な駐車場でショッピング・カートを振り回すシーンやヘッドホンを装着してスケート・ボードで疾走する映像の開放感に、映画としての鮮烈さを強く感じた。
唐突に幕を下ろす、ラスト・シーンにもそれは言えることだ。

この映画における最大の見所といえば、引っ越すことを告げに来たカイラとダイアンとの一見噛み合わない最後の会話シーンだろう。
用件だけ告げて去って行くカイラの沈みがちな表情と、一方的に言葉をまくしたてた後、一人になった家で本音を吐露するダイアンのコントラストには、監督の非凡な才能がほとばしっている。

ドラマとしてはある種古典的ともいえる筋立てだから、ダイアンに気のある弁護士に代表される幾人かの登場人物はいささか類型的に過ぎるし、カイラの描き方にやや物足りなさを感じるのも事実ではある。
また、衝撃的な後半の展開や、絶望と希望が共存するラスト・シーンにもやや不満を感じないではない。
それでも、本作が魅力と映画的な強靭さを持った傑作であることには何の疑いもない。
とにかく、映画として徹頭徹尾真摯なのである。

本作には、映画の未来を託したくなるようなスペシャルさが宿っていると思う。
ジョン・ランドウが書いた有名なフレーズ「僕は、ロックンロールの未来を見た。その名は…」じゃないけれど、そんなことまで想起させる作品である。

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