2013年の市井昌秀監督『箱入り息子の恋』。
脚本は、市井昌秀、共同脚本は田村孝裕、音楽は高田漣、小説『箱入り息子の恋』(ポプラ社)、主題歌は高田漣feat.細野晴臣「熱の中」(スピードスターレコーズ)、製作総指揮は木下直哉・水口昌彦・齋藤正登、プロデューサーは武部由実子・中林千賀子、撮影は相馬大輔、照明は佐藤浩太、録音は尾崎聡、編集は洲崎千恵子、装飾は松田光畝、助監督は副島宏司、衣裳は高橋さやか、ヘアメイクは内城千栄子、制作担当は齋藤大輔。
製作は『箱入り息子の恋』製作委員会、特別協賛は吉野家・(株)IBJ、制作プロダクションはキノフィルムズ・ブースタープロジェクト、配給はキノフィルムズ、宣伝協力はSKIP。
2013年/日本/アメリカンヴィスタ/5.1ch/117分
宣伝コピーは「恋をすれば傷を負う。いつだって僕らは傷だらけだ。」
某市役所の記録課に勤務する天雫健太郎(星野源)、35歳。冴えないルックスと極度の人見知り故、これまで周囲からずっと蔑まされて来た健太郎は、自分の殻に引きこもるコンプレックスの塊だ。
大学卒業後、13年間ずっと同じ部署に勤務し一日たりとも欠勤したこともない彼は、出世意欲もゼロなら社交性もゼロ。昼は近くの自宅に戻って食事し、定時の5時にはとっとと帰って部屋にこもりバトルゲームに興じる。
「年齢=彼女いない歴」の健太郎にはもちろん女性経験もなく、趣味は貯金とペットのカエルを育てること。結婚願望も彼女を作る意欲も持ち合わせてはいない。
製作は『箱入り息子の恋』製作委員会、特別協賛は吉野家・(株)IBJ、制作プロダクションはキノフィルムズ・ブースタープロジェクト、配給はキノフィルムズ、宣伝協力はSKIP。
2013年/日本/アメリカンヴィスタ/5.1ch/117分
宣伝コピーは「恋をすれば傷を負う。いつだって僕らは傷だらけだ。」
某市役所の記録課に勤務する天雫健太郎(星野源)、35歳。冴えないルックスと極度の人見知り故、これまで周囲からずっと蔑まされて来た健太郎は、自分の殻に引きこもるコンプレックスの塊だ。
大学卒業後、13年間ずっと同じ部署に勤務し一日たりとも欠勤したこともない彼は、出世意欲もゼロなら社交性もゼロ。昼は近くの自宅に戻って食事し、定時の5時にはとっとと帰って部屋にこもりバトルゲームに興じる。
「年齢=彼女いない歴」の健太郎にはもちろん女性経験もなく、趣味は貯金とペットのカエルを育てること。結婚願望も彼女を作る意欲も持ち合わせてはいない。
そんな息子を心配した両親・寿男(平泉成)とフミ(森山良子)は、息子には言わずに代理見合いの会場へと赴く。天雫家のテーブルには誰も興味を示さず、諦めかけた頃に一組の夫婦がやって来る。
会社を経営する今井晃(大杉漣)とその妻・玲子(黒木瞳)だが、会社でも家庭でもワンマン体質で偏見に凝り固まった晃は、健太郎の履歴書を一瞥しただけで興味を失くす。今日の見合いで、晃が最も気に入らなかったのが何の取り柄もなさそうな健太郎だった。
一方の天雫家は、彼らの一人娘・奈穂子(夏帆)の美しさに惹かれる。しかし、健太郎より9歳年下の彼女は8歳の時に視力が著しく低下する病を患い、今では全盲であることを二人はまだ知らない。
代理見合いから数日、今日も役所を定時退庁した健太郎は突然の雨に傘をさして家路につく。ちょうど同じ頃、玲子と買い物に出た奈穂子は突然の雨に傘もなく雨宿り中。玲子は、慌てて車を取りに行く。
一人雨宿りしている奈穂子を偶然見かけた健太郎は、一度は通り過ぎようとしたものの思い直して奈穂子に傘をさしかけると自分はずぶ濡れで去って行った。
奈穂子のところに戻った玲子は、娘が手にしている傘の柄についた「天雫」のタグに気づき、驚きの表情を浮かべる。
玲子は、夫には告げず独断で天雫家との見合いを決める。大喜びの寿男は、何とか見合いするよう渋る健太郎を説き伏せた。奈穂子の写真を見た健太郎は、内心穏やかではない。
一方の晃は、「こいつだけは、断れと言っただろう!」と妻を叱責するが、いつもは従順な玲子が今回は聞く耳を持たなかった。
やって来た見合いの日。端から健太郎を見下している晃は、見合いの席で完膚なきまでに健太郎のことをこき下ろす。「こんな男に、目の見えない娘の面倒など務まる訳がない」と。あまりの無礼な物言いに、気色ばんだフミは席を立とうとする。狼狽する玲子。
すると、それまで黙っていた健太郎が「奈穂子さんは、どう思っているのですか?」と言った。自分の目のこと云々以前に、まずは気が合うかどうか…と静かに答える奈穂子。
健太郎は、自分がこれまでの人生で周囲からずっと蔑まれて来たことを告白した後、「目の見えない奈穂子さんに見えているものと、あなたに見えているものとは違うと思います」と晃に向かって言った。
その夜、健太郎は自分の部屋の物をぶちまけて悔しさに慟哭した。両親は、そんな息子にかける言葉が見つからない。
こうして、健太郎の人生は、今までの無味乾燥な日常へと戻って行った。
昼休み。今では自宅で食事することをやめている健太郎の昼は、もっぱら吉野家で牛丼を食べるか買った弁当を公園で食べるかだった。役所を出た彼の目に飛び込んで来たのは、自分のことを待っている奈穂子と玲子の姿。驚く健太郎。
とりあえず、奈穂子と公園にやって来た健太郎は、おずおずと会話を始める。昼はどうしているのかと聞かれて、健太郎は吉野家のことを話す。自分も食べたいと言う奈穂子。健太郎は玲子に断って、奈穂子を吉野家にエスコートした。
その日から、健太郎と奈穂子はたびたび昼休みに会うようになる。次第に二人の気持ちは近づいて行き、健太郎は遂に奈穂子が好きだと告白する。その言葉に、奈穂子は素直に喜ぶ。
親密になって行く二人を玲子は優しく見守っているが、娘がそんなことになっていることを晃は知らない。
そんなある日、健太郎と奈穂子の関係を揺るがす大事件が起きる…。
とても良い映画である。
ストーリー紹介をお読み頂ければ分かる通り、本作は観る人のおかれた人生環境(のようなもの)によって大きく左右される作品では、ある。
こういう鬱屈したダメな男に共感或いは肩入れできるか否かによって、印象が大きく違ってくるからだ。
それに、夏帆や彼女演じる盲目の女性に魅力を感じることができなければ、やはり映画の魅力は半減してしまう。
傑作とかいうたぐいの映画ではないし、言ってみればオクテな負け組男と美しい盲目の美女の不器用な恋…という、ある種定番的な恋愛映画である。
ステロタイプの奈穂子の父親や、二人を見守る周囲の人々…といった設定も含め、何度も繰り返し描かれて来た物語と言えるだろう。
それを今、新作としてぶつけて来るところが新鮮だが、健太郎と奈穂子が比較的早い段階で肉体的に結ばれるところに現在の恋愛映画であることを感じさせる。
逆に言えば、そういうベッドシーンをイノセントで美しい映像としてきちんと描写するところにこそ、この映画にとっての現代的なリアリティがあるのだ。
僕はそもそも不器用な恋愛映画が好きで、それは自分のこれまでの恋愛があまりにも不格好なことと無縁ではないのだが、まあそれは別の話題。
アンチ・スタイリッシュな恋愛映画の場合、男女の親密度が深まるまでの過程を如何に描くかが映画的・物語的成否を分けることになる。
本作でのきっかけとなる雨宿りのエピソードは映画的外連味と言えなくもないし、穂のか演じる同僚との関係も定型的だが、ストーリー展開はとてもスマートで温かい。
効果的に使われる吉野家での場面はこの映画におけるひとつのピークである。小道具や伏線の繋ぎ方も悪くない。
そして、前述した健太郎と奈穂子のベッドシーンの不器用な幸福感と美しさは、そのまま恋愛映画を観ることの喜びでもある。シンプルに素晴らしいと思う。
個人的にはいささかの過剰が引っ掛かるし、エンディングに至るまでの個所にもっと映画的なカタルシスが欲しかったようにも思うけれど、それはないものねだりというものだろう。
俳優に目を向けると、やはり星野源と夏帆の二人がいい。特に、夏帆の透明感溢れる美しさに心ときめく。