7月8日、ムーブ町屋ハイビジョンルームにてナカゴー特別劇場vol.10『アーサー記念公園の一角/牛泥棒』二本立て公演の千秋楽を観た。
作・演出は鎌田順也、黒子は飯田こうこ、ナレーションはますもとたくや。協力はクロムモリブデン、スターダス・21、青年団、東葛スポーツ、はえぎわ、little giants、KUUMI17、久保明美、戸泉麻衣、森桃子。
『アーサー記念公園の一角』
学生時代の思い出の場所、アーサー記念公園の一角で夫のキヨシ(小林義典:クロムモリブデン)と共に懐かしい友人と待ち合わせしている新田鶫(川崎麻里子:ナカゴー)。
情緒不安定気味の鶫は、いつまで待っても現れない是枝沙織(川上友里:はえぎわ)に心折れかけている。いくらキヨシがなだめたところで、あまり効果はない。
そこにご近所の主婦・荒川(左近道代)がジョギングで通りかかって、面倒臭く絡んで来るからたまらない。
場所が公園ゆえに子供が遊んでいる訳だが、子供を見ると鶫の様子がますますおかしくなって行く。実は、鶫が台所で包丁を使っていた時に5歳の息子が後ろから抱きつき、驚いた拍子に誤って彼女は息子の小指を切り落としてしまったのだ。
幸い息子の指は繋がったが、鶫はショックでノイローゼ状態になり、彼女が落ち着くまで近所にある夫の実家に息子を預けていた。
そのことがあって以来、鶫は自分のことを母親失格だと責め続けていた。今となっては遠くに住んでいる沙織を呼び出したのも、自分の苦しみを彼女に聞いて欲しかったからだ。
もはや諦めて二人が帰ろうとした時、息を切らせて沙織がやって来る。乗っていた電車が事故で遅延した上に、携帯の電池も切れて連絡できなかったのだという。
数年ぶりの再会に旧交を温める二人。自分の近況を話す中で、鶫は息子のことを告白する。話を聞き終えた沙織は、優しく鶫のことを慰め元気づけた。そして、沙織自身が今直面している驚きの事実を告白した。
そこに、舞い戻って来た荒川が加わって…。
『牛泥棒』
父親が亡くなり、実家で父と二人暮らしをしていた次女・伍代楓(高畑遊:ナカゴー)の元に親戚縁者が集まった。
通夜が終わり、楓は長女・乙葉(森岡望:青年団)の夫・徹(金山寿甲:東葛スポーツ)とビールを飲んで一息ついているところだ。部屋の壁には、かつて父が仕留めた牛の首の剥製が飾ってある。
実はこの二人、かつては付き合っていた時期もあったが結局徹は彼女を捨てて姉の乙葉と結婚した。今でも楓は独り者のままだ。適当に昔話をした後、やって来た徹の甥・光太郎(成瀬正太郎)を引き合いに出して、徹はとんでもないことを言う。「こいつの筆下ろしをしてくれないか」と。
しばし気まずい沈黙が流れ徹は慌てて謝るが、何と楓はオーケーした。徹は金を渡そうとするが、楓は受け取らなかった。
そこに、三女の優(清水葉月)と恋人の信一(北川昇吾)がやって来る。優を一目見た光太郎は驚きを隠せない。伍代家の三女は、何と女優の蒼井優だったのだから。優は、次の映画『フラガール3』について話す。今度の彼女は盲目の難役で、ヌードにもなるという。
プレッシャーでナーバスになっている彼女を信一が激励すると、優は思い余って濃厚なキスを交わす。これには、一同ドン引きだ。
すると、突然光一郎が優に「自分の初体験の相手になって欲しい」と言い出す。楓の手前さすがの徹も凍りつくが、信一は事もなげにいくらで?と切り出し、優は優で「よくあることだから」とサラッと言ってのける。
結局金額は100万とふっかけられて、それを徹と光一郎で50万ずつ折半することで話がつく。
そこに長女の乙葉が戻って来る。酒がなくなり、光太郎が酒屋に買い出しに行くことになる。彼は信一のカローラのキーを受け取り出て行くが、信一がこよなく愛するカローラをぶつけてしまい、血相を変えて戻って来る。
話を聞いた信一はキレて、優とやらせる話もなしだ!と暴れ始める。最初は謝っていた光太郎も逆ギレ。そのうち、一家それぞれが溜めていた憤懣が爆発。明日の告別式を前に、伍代家では大乱闘が始まってしまう。そのどさくさの中、乙葉が牛の剥製を持ち出して…。
2004年に作・演出を手掛ける鎌田順也、三越百合、白石広野を中心に旗揚げしたナカゴーは、20代で構成された若手劇団である。
ハイペースで芝居を打っている彼らは、今後も9月27日から29日までナカゴープレゼンツ マット・デイモンズ『レジェンド・オブ・チェアー』(千駄木ブリックワン)、11月21日から12月8日までナカゴー第11回公演『アムール、愛』(あさくさ劇亭)の公演が決まっている。
僕は、城山羊の会主宰の山内ケンジがツイッターで彼らの舞台を絶賛しているのを読んで興味を持ち、知人の役者である岩谷健司からも勧められて観に行った。
今年1月に観た昨日の祝賀会公演『冬の短篇』
に出演していて印象に残った清水葉月が客演していたことも、興味を惹いた理由の一つである。
で、初めて彼らの芝居を観て抱いた感想は、「若いなぁ…」というものだった。皮肉でも何でもなく、今のナカゴーは特権ともいえる若い勢いこそが芝居作りの原動力になっているように感じたのだ。
初期衝動を伴った若い疾走感は当然の如く粗削りだし、勢いがある種アナーキーなやけくそパワーの奔流の如く舞台を駆け抜けて行くのもバカバカしさと紙一重ではある。
僕もそこそこいい歳なので、彼らの強引さは時として疲れるし、あまりにもストレートで身も蓋もない下ネタの数々には、若干の苦笑を伴ってしまうのも事実だ。
たとえば、いくら清水葉月が蒼井優に似ているからといって(実際に、彼女は蒼井優と雰囲気がそっくりだ)、まんま蒼井優役にしてしまうというのは普通やらないと思う(笑)
スラップスティックと評するには、いささかアマチュア的な泥臭さが目につく訳だ。それは劇中でのくすぐりの部分にも言えることで、笑いの要素が若い劇団にしてはかなり常套句的にベタな感じもする。シニカルにツイストしないのだ。
言ってみれば、芝居好きの仲間が集まって飲みながら「こんなネタやったら、バカバカしくて大笑いだよね」的に盛り上がったものをそのまま芝居として構築しました…というような感じの力業である。
ただ、洗練というものは回を重ねて経験を積むうちに嫌でも身についてしまうものである。問われるのは、どういう洗練に向かうのか…ということである。今の段階では、鎌田順也の作家性がどういう方向に収れんして行くのかは全く読めないが、かつての小劇場ブームから羽ばたいた優れた劇団がそうであったように、彼らもお客と共に成長して行く劇団という感触を持った。
ある程度経験を積んだ演劇関係者が彼らの芝居を観れば、その若さを眩しく感じるかもしれないけれど、やはりナカゴーは同世代のお客と共に進んで行くべき劇団である。
今回観た2本は共に混沌の中で終幕する一幕劇だが、直截的な表現で技巧をこらさず突き進んで行くところに僕は潔さと爽快さを感じた。
浅いと言ってしまえば浅いエピソードではあるが、劇の尺的にも勢いに任せて駆け抜けるから退屈さとは無縁である。「やり過ぎだよなぁ…」と失笑するところはあるにせよ。
演劇的には若さ溢れるにもかかわらず、役者からはあまり溌剌とした若さを感じないところが面白いといえば面白い。
その中にあって、前述した客演の清水葉月の若さは突出していた。彼女の芝居の思い切り良さが、僕はなかなか好きだ。