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うさぎストライプと親父ブルースブラザーズ『バージン・ブルース』

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2017年5月17日ソワレ、こまばアゴラ劇場。
作・演出:大池容子/舞台監督:宮田公一/舞台美術:濱崎賢二(青年団)/照明:黒太剛亮(黒猿)、小見波結希(黒猿)/音響:杉山碧(ラセンス)/演出助手:亀山浩史(うさぎストライプ)/宣伝美術・ブランディング:西泰宏(うさぎストライプ)/制作・ドラマターグ:金澤昭(うさぎストライプ・青年団)、赤刎千久子(青年団)/協力:青年団、アンフィニー、レトル、ケイセブン中村屋、箱馬研究所、黒猿、ラセンス、自由廊、青年団リンク 玉田企画、20歳の国
芸術監督:平田オリザ/技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)/制作協力:木元太郎(アゴラ企画)/主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場/企画制作うさぎストライプ、(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場/助成:平成29年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業


こんな物語である。

とある結婚式場控室。藤木博貴(志賀廣太郎:青年団)は、これから娘の披露宴だと言うのにまだ着替えも済んでおらず、ネクタイが見つからないとあたふたしている。そんな藤木の様子に呆れ苛ついているのは、本日のもう一人の主賓でタキシードに着替え終わった赤石修二(中丸新将)。彼もまた、新婦の父親という位置づけだからことはややこしい。

突然変異なのか何なのか、子供のころから藤木の胸は豊かで、それが原因で彼はずっといじめられてきた。今でもその巨乳は健在である。赤石は藤木の幼馴染であり、いじめられっ子の藤木の面倒をずっと見てきた。

二人が噛み合わないやり取りをしているところに、本日の主役・花嫁の彩子(小瀧万梨子:うさぎストライプ・青年団)が入ってくる。純白のウェディング・ドレスをまとった彼女は、これといった感慨もなさそうに不貞腐れた表情でおもむろにタバコを吸い始める。
そんな娘の態度を赤石はたしなめるが、彩子は聞く耳を持たず紫煙を吐き出し始末だ。
ようやく藤木の着替えも終わろうとしていたが、彼は体調がすぐれないのか椅子に座ったまま俯いてしまう。藤木の顔を覗き込む彩子と、藤木の肩をゆすって起こす赤石。いったんは目を開けた藤木だったが、彼は再びガックリと目を閉じてしまう。
慌てて助けを呼ぼうと赤石控室を出ていくのと入れ違いに、式場の従業員(金澤昭:うさぎストライプ)がそろそろ時間だと告げに来る。慌てる彩子。

混濁する意識の中で、藤木はこれまでの自分な数奇な人生を回想していた…。

女の子が欲しかった藤木の両親は、藤木のことをまるで女の子のように育てた。幼いころの藤木は顔立ちも綺麗で、周りの女の子よりも可愛かった。そんな藤木のことを、幼馴染の赤石はドキドキしながら友達付き合いしていた。
そのせいなのかどうなのか、思春期を迎えた藤木の胸は周囲の女の子よりも大きく発達して、その姿がいじめの対象になった。そんな藤木のことを守ってやったのも、もちろん赤石だ。
気持ち悪がられる藤木とは対照的に、赤石はモテモテだった。それというのも、赤石のペニスは驚くほど立派な代物だったからだ。
藤木はいじめに耐えつつ、自分のことをいじめる周りの連中をじっくり観察して欠陥や弱みを見つけることで密かに精神的な復讐をするようになった。

そんな自分の個人的復讐譚を藤木が赤石に話しているところに、一人のすかした男が突然割り込んできた。つい最近、生徒会の書記になった闇原有太郎(小瀧万梨子)だった。
闇原も藤木の幼馴染で、幼少のころは泣き虫有ちゃんと呼ばれるいじめられっ子だったが今ではいじめられっ子の影など微塵もないエリート意識剥き出しの男になっていた。
闇原は、自分も藤木同様周りの連中の弱みや欠点を観察しているのだと言った。そして、自分は本来生徒会長こそが相応しいポストだと言い切った。
闇原は、今の生徒会長をはめて信用をガタ落ちにさせて自分が生徒会長の座を射止める計画を二人に話し、協力を求めてきた。これで、自分たちの立場も形勢逆転と考えた二人は、闇原への協力を約束した。

計画通り、生徒会長は失脚して新しい生徒会長の座に就いた闇原は、持ち前のカリスマ性を発揮して学園生活を謳歌した。いつしか彼の魅力の虜となった藤木と赤石も、行動を共にするようになる。
高校を卒業すると、闇原は医者を志して大学へと進学。それと同時に、吹き荒れる学園紛争にも積極的に参加するようになる。藤木と赤石も、彼の理想主義に引っ張られてデモやバリケード封鎖に加わっていく。

ところが、闇原の様子がおかしくなる。ある日、闇原は酒に酔ってへべれけになった状態で二人の前に現れる。闇原は、所詮は自分も大きな欠陥を持った人間だったと自棄気味に吐き捨てた。
驚いたことには、闇原は妊娠していた。彼は、二人の前から忽然と姿を消した。

時は流れた。赤石は結婚して、平凡な社会人として日々を過ごしていた。あれ以来、彼は藤木とも闇原とも会っていない。
そんなある日、突然旧友から会いたいと連絡があり、赤石は待ち合わせの喫茶店に赴く。自分同様、藤木もそれなりに歳を重ねて中年になっていた。挨拶もそこそこに、赤石は闇原のことを尋ねてみる。すると、藤木が話した内容はにわかに信じられないものだった。
闇原は出産しており、その場に藤木は立ち会ったと言った。彼から聞かされた内容は壮絶なもので、とても赤石の想像力を超えていた。何と、尿道から出産した闇原は、新しい命と引き換えにこの世を去ったのだ。そして、闇原の子を藤木はずっと育てているのだと言う。
藤木が赤石に突然連絡したのは、彼が数日仕事で出張することになり、あいにくその時期子供を預けられるところがなくて困ったからだった。闇原の、そして藤木の娘は現在5歳。今、店の外で待たせているのだと言って藤木は娘を呼んだ。

赤石は、言葉を失った。彩子は闇原にそっくりというより、闇原そのものだったからだ。初めは、女房に説明できないからと断っていた赤石だったが、やがて腹を決めた。彼は、彩子を預かることを引き受けたのだった。

さらに、時は流れた。彩子は、藤木と赤石という二人の父親に育てられてすくすく育ち、恋人もできた。

そして今日、いよいよ結婚式当日を迎えたのだが…。


演出家・大池容子の劇作が一皮むけたことを実感させるスラップスティック・コメディの良作である。
彼女の舞台を見始めたのは、2014年9月のうさぎストライプと木皮成「デジタル」からだが、僕の好みを言わせてもらえば、この作品が最も楽しめた。

ストーリー紹介をお読みいただければお分かりいただけると思うが、結構突飛な設定と四人それぞれの人生をクロノジカルに描く構成の舞台である。なかなかディープな物語を、大池は歯切れのいいスピーディな演出によって上演時間70分で畳みかけていく。そのリズム感が、爽快である。
そして、メインの役者三人になかなかムチャ振り(あるいは、罰ゲーム的コスプレ)とも思える幅広い年齢層を演じさせている。
そのキッチュなたたずまいと不条理な設定に、思い切りのいい明け透けな下ネタを散りばめつつ、最終的には心に染み入るエモーショナルな美しい幕切れに着地して見せる。その演劇的技巧が、秀逸だ。

パンフレットにいつも記されるお馴染みの紹介だが、うさぎストライプの演劇は「どうせ死ぬのに」をテーマに、動かない壁を押す、進まない自転車を漕ぐ、など理不尽な負荷を俳優に課すことで、いつかは死んでしまうのに、生まれてきてしまった人間の理不尽さを、そっと舞台の上に乗せている…というのが基本スタイルである。

「デジタル」や「いないかもしれない」(動ver.)がまさしくそんな舞台で、正直観ていて僕は疲れてしまった。
あるいは、シュールで被虐的な暴力性というのも大池芝居によく用いられるテーマで、「わかば」や小瀧万梨子が正式メンバーに加わった「みんなしねばいいのに」などがそういった作劇の作品だったと思う。
大池容子のメンタリティや彼女自身のネガティヴィティを創造性に変換することで、ある種の浄化やセラピーの如き物語を表現するのがうさぎストライプという場であり、彼女の精神性を演劇的フィジカルさへと変換した作品に共鳴した人がうさぎストライプの演劇を求めるのではないか、というのが僕の見解である。

ただ、これはあくまで個人的な嗜好として…ということだが、僕にとって魅力を感じる大池演劇といえば、むしろ「空想科学」、「いないかもしれない」(静ver.)、「セブンスター」といった物語性と正面から向き合った舞台である。
動かない壁を押す、進まない自転車を漕ぐといった理不尽な肉体的負荷より、日常生活にあふれている理不尽でストレスフルな精神的負荷(あるいは暴力性)の方が余程心に堪えるし、「どうせ死ぬのに」と斜に構える以前に「今、生きていることのつらさ」の方が厳然たる事実に他ならないからだ。
そういった個人的思いもあり、見続けてはいるものの僕は大池が作る演劇世界に微妙なもやもやを感じることも少なくない。

そんな訳で、本作「バージン・ブルース」の吹っ切れたような抜けの良さは、ちょっとした驚きだった。シンプルに物語として面白いし、あまりにどうしようもないくすぐりや下ネタもしっかり良質な現代的笑いに昇華されているからだ。
何といっても本作の良さは、予測不能なジェットコースター的ドライヴ感であり、それが惚れ惚れするような情緒性を伴って物語的に回収される見事なエンディングである。

「デジタル」や「いないかもしれない」二部作にも出演していた小瀧万梨子が正式メンバーに加わって二作目となる「バージン・ブルース」は、うさぎストライプにとって小瀧加入最初の成果と言って差し支えないだろう。
ベテラン俳優二人を相手に、時に不貞腐れ、時にエキセントリックに、時に冗談めかしたキザったらしさでとくるくる表情を変える小瀧の演技こそが、この舞台の魅力であり芝居を加速させるタフで馬力のあるエンジンそのものである。
その一方、飄々とした志賀廣太郎と実直な中丸新将のコントラストも楽しい。

ただ、である。
正直に言ってしまうと、大池容子と小瀧万梨子が奏でるある種若く現代的な演劇リズムに比して、ベテラン二人のテンポがややもするとオフビート的に映ってしまい、温度差のようなものを感じる場面が散見された。オールドスクールとニュースクールのすれ違い…とでもいえばいいだろうか。
そこが、惜しまれる。

そして、幾ばくかのセンチメンタルさを持ったラストにおけるツイストは見事だと思うのだが、もう少し演出的に整理した見せ方ができなかったのかな、というもどかしさを感じたことも事実である。


とまあ不満もあるにはあるのだが、「バージン・ブルース」はうさぎストライプの新たなる旅立ちを予感させるに十分な良質の舞台であった。
次作が、楽しみである。


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