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小林政広『海辺のリア』

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2017年6月3日公開、小林政広監督『海辺のリア』

 


エグゼクティブプロデューサー:杉田成道/プロデューサー:宮川朋之、小林政広/アソシエイトプロデューサー:ニック・ウエムラ、塚田洋子/制作経理:小林直子/契約担当:中野雄高/監督・脚本:小林政広/音楽:佐久間順平/撮影監督:神戸千木/撮影:古屋幸一/助監督:石田和彦/制作担当:棚瀬雅俊/録音:小宮元/衣裳デザイナー:黒澤和子/美術:鈴木隆之/編集:金子尚樹/ヘアメイク:小泉尚子/衣裳:大塚満、澤谷良/小道具:佐々木一陽/制作進行:小泉剛/タイトル:小林直子
助成:文化庁文化芸術振興費補助金/宣伝:日本映画放送/配給:東京テアトル/企画・制作:モンキータウンプロダクション/製作:「海辺のリア」製作委員会(日本映画放送株式会社、カルチュア・エンタテインメント株式会社、株式会社WOWWOW、株式会社ビーエスフジ、東京テアトル株式会社)
2016/日本/105分/カラー


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

ぼさぼさで乱れた髪、伸び放題の髭、どこか焦点の定まらぬ目をした80がらみの老人が、不機嫌そうに一人何ごとかブツブツつぶやきながら道路の真ん中を歩いている。
夏だというのにシルクのパジャマの上に黒のロングコートを羽織り、キャリーバッグを引きながら歩く老人は、していたマフラーを投げつけ履いていた靴さえ脱ぎ捨てて前に進む。

男の名は、桑畑兆吉(仲代達矢)。半世紀以上のキャリアを積んだ役者であり、俳優養成所まで主宰した彼は、まさしく日本を代表する稀代の名優と謳われた。
20年前に役者を引退し表舞台から去った兆吉は、最愛の妻に先立たれて今では認知症の疑いがあった。長女の由紀子(原田美枝子)、由紀子の夫で元は兆吉の弟子だった行男(阿部寛)に裏切られ、遺書を書かされた挙句に兆吉は高級老人ホームに送られてしまう。
役者の道を挫折した行男は会社経営者へと転身したものの、多角経営に乗り出して大きな負債を抱える羽目になった。父の世間知らずをいいことに、由紀子はマネージャーとなって兆吉の莫大な財産を一手に握っていた。おまけに、彼女は運転手(小林薫)と関係を持っている。

その老人ホームを脱走した兆吉は、行く当てもなく今こうして彷徨い歩いていた。目の前に広がる海に引き寄せられるように、兆吉は道を外れて浜辺へと歩を進めた。
いつしか、兆吉に道連れができている。着古した薄手の紺色ジャンバーにくたびれたボーダーのTシャツとジーパン、見るからに疲弊した表情で苛立ちを隠そうともしない女性の名は、伸子(黒木華)。
伸子の見たくれの汚さをさも愉快そうに揶揄する兆吉。伸子は、兆吉に食ってかかり攻撃的な言葉を吐くが、兆吉はどこ吹く風だ。
もはや兆吉の記憶からは消し去られているが、伸子は由紀子と腹違いの二女。50代も半ばだった兆吉が、当時愛人関係にあった26歳の女性に産ませてた娘が伸子だった。
ところが、伸子が私生児を出産したことを許せず、兆吉は彼女を家から追い出した。伸子が兆吉と会うのはその時以来で、皮肉にも現在彼女は26歳だった。

 


兆吉の老人ホームから連絡があり、行男は慌てているが由紀子は「どこかで行き倒れてくれたら、清々する」と言い放つ。そんな夫婦の様子を、無言で冷ややかに見ている運転手の姿。
止める由紀子を振り切ると、行男は車を発進させた。助手席に座り、憮然とした表情を浮かべる由紀子。
老人ホームへ着くと改めてことの次第を聞いた行男は、いったん家に戻って由紀子を下ろすと、再び兆吉を探すために車を発進させた。

腹が減ったと駄々をこねる兆吉に根負けした伸子は、渋々弁当を買いに行く。決してここから動くなと言われたにもかかわらず、兆吉はまたしても海辺を歩き始める。
弁当を手に伸子が戻ってくると、兆吉の姿はどこにもない。そのころ、行男は一人浜辺をふらつく兆吉の姿を見つけて駆け寄っていた。ところが、兆吉は行男のことさえ分からず、行く手を遮り車に乗せようとする行男と揉み合いになる。
何とか後部座席に兆吉を押し込み運転席に身を滑らせた行男は、いつの間にか助手席に座っている伸子に気づいてギョッとする。

伸子は、兆吉だけでなく由紀子や行男のことも憎んでいた。彼女は、自分が家を追われたのは、姉の企みに父が乗せられたからだとも考えていたからだ。おまけに、今となってはその父までもが家を追われて老人ホームに入れられているのだ。行男は必死で弁解するが、伸子は一切聞く耳を持たない。

無一文で家から放り出された伸子は、悲しみと行き場のない怒りに震え途方に暮れていた。私生児を生んだことに激怒して伸子を追い出した兆吉だが、愛人に兆吉が生ませた私生児が伸子なのだ。理不尽極まりない仕打ちに違いなかった。
行く場所も仕事の当てもない伸子は、何とかパチンコ屋の住み込み仕事を見つけて昼夜を問わずに働いた。ようやく子供と二人の暮らしに目途がつき、アパートを借りようと持ったが、今度は保証人がいない。
散々迷った末に認知すらしなかった先方に相談すると、伸子は認知と引き換えに子供を取り上げられてしまった。文字通りすべてを失った伸子は、絶望に打ちひしがれて兆吉に会うためここに戻って来たのだ。
ところが、かつては愛し今では殺したいほどに憎んでいる暴君の如き父親に再会してみると、思いもしなかった見るも哀れな姿になり果てていた。
自分がどこから来たのかも分からない。どこへ行くのかも分からない。自分が誰なのかも分からない。目の前にいる伸子が誰なのかすらも分からないのだ、もはやこの男は。
出口を失った伸子の怒りと絶望は、そのまま行男や由紀子にも向かった。

 


結局、この日三人は行男の車内で一夜を明かす羽目になった。頻繁にかかってくる由紀子からの携帯に、行男は苛立ちを隠そうともしなかった。伸子は、ひたすら憮然とした表情だった。兆吉だけが、我関せずの体で気まぐれに言葉を発していた。
行男は、兆吉を老人ホームに送り届けるが、またもや兆吉は歩き出してしまう。その後を追う伸子。行男は、もはやあきれ果てて二人を追う気になれなかった。
一人老人ホームの前に取り残された行男は、意を決して由紀子に電話した。散々自分の父親のことを蔑ろにし、おまけに夫である自分の前で平然と運転手と関係を持つ妻にもほとほと嫌気がさしていた行男は、妻に宣言した。借金は、自分の残りの人生で何とかする。会社は解散する。由紀子とは離婚する。
そして、自分はその芝居と人生に惚れぬいた兆吉の面倒を見ると。

 


兆吉に追いついた伸子は、改めて自分はあなたの子供だといった。しかし、兆吉は最後まで伸子のことを自分の娘だと分からなかった。娘は由紀子一人しかいないという兆吉に向かって、伸子はこれまでもこれからも自分のことを拒絶するのかと訴えて涙を流した。彼女の涙が悲しみからなのか、それとも憤りからなのかは伸子自身にも分からなかった。

再び、あの海辺にやってきた二人。兆吉は、伸子の中にかつて自分が演じた『リア王』のコーディーリアの姿を重ねていた。伸子は、一人去って行った。残された兆吉は、観客もいない海辺で一人『リア王』を演じ始める。そして、力尽きたように砂浜にくず折れた。

兆吉と別れた伸子は、履き古したスニーカーを脱ぐと海へと入って行った。

行男は、海辺で倒れている兆吉を見つけると、由紀子に連絡した。くだんの運転手の車でやって来た由紀子。ところが、兆吉は由紀子を自分の亡くなった妻だと思い込んでいた。車の乗り込んだ兆吉は、誰にともなく自分の役者としての半生を語り始める。
またしても老人ホームに連れてこられた兆吉は、ここでいいからと頭を下げた。安心した由紀子は、父の言葉を信用して車を発進された。「ねえ、このままドライブしない?」という由紀子に、愛人の運転手は「悪党」と不敵に笑った。

あれだけの啖呵を切った行男だったが、結局は妻に言いくるめられて借金を返済してもらう代わりに兆吉のことは由紀子に一任した。会社の専務に電話して借金返済のめどがついたと告げると、行男は、自棄気味に笑った。

ところが、兆吉は老人ホームに戻ることなく、またしてもあの道を歩き始めた。

海辺に戻った兆吉。その頬はやや上気したように紅が差し、霞がかかったようだった瞳は焦点を結び、鋭い眼光と生気を取り戻した兆吉は、まるで乗り移ったように再びリア王を演じ始める。寄せては返す波音しか聞こえないこの場所で、兆吉は彼にしか見えない満員の観客を前に渾身の力を込めて。それは、まるで彼が生きてきた証のような輝きを放っていた。
最後の科白を力の限り吐き出すと、命の炎を燃焼し尽くしたように兆吉は海の中に倒れ込んだ。

波に浮かぶ兆吉の体を、抱きかかえる者があった。それは、伸子だった。
頭の先までずぶ濡れになりながら、厳しい眼差しと固く結ばれた口元で、殺したいほど激しく憎んでいる父親を懸命に助ける彼女の胸に去来するのは、一体どんな思いなのか…。


2012年の『日本の悲劇』以来となる小林政広待望の新作は、『春との旅』、『日本の悲劇』に続いて三度目となる仲代達矢とがっちりタッグを組んだ渾身の人間ドラマであった。
長編映画としては4年ぶりだが、実はその間にも2015年には博品館劇場でドラマ・リーディング『死の舞踏』を仲代主演・小林演出で上演しているし、同年スカパー!で製作された杉田成道監督の仲代主演ドラマ『果し合い』(共演に原田美枝子)では小林が脚本を担当している。小林が時代劇の脚本を書いたのは、『果し合い』が初めてだった。
仲代達矢が小林政広に寄せる信頼のほどが、伝わってくるようである。しかも、この『海辺のリア』にエグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされているのは杉田成道だ。

「ひとりの人に贈る映画を初めて作った」と小林が言えば、仲代は「シナリオを読んだ瞬間、ああ遭遇してしまった。今だからこそできる作品に…」と返す。
主人公は、半世紀以上のキャリアを持った大御所俳優にして、俳優養成所を主宰する大スターと来れば、演ずる本人のみならず誰もが本作を「仲代達矢のドキュメンタリー」「仲代達矢の人生そのもの」と思わずにはいられないだろう。
しかも、仲代は2014年に無名塾公演『バリモア』でジョン・バリモアの晩年を演じたばかりである。

当初「オン・ザ・ロード・アゲイン」と題された脚本は、数十回の改訂を経て「海辺のリア」に改題された。10代の小林が水道橋のジャズ喫茶スイングでバイトしていた時の同僚で当時早稲田大学在学中の村上春樹「海辺のカフカ」を想起させるある意味大胆なタイトルである。
独自の視点でオリジナリティにあふれた硬派な物語を一貫して紡いできた小林政広だが、その姿勢は本作でも変わらない。ある種の頑固ささえ感じさせる作家性は、我が道を生きた主人公・桑畑兆吉の生き様に重なるようではないか。

『日本の悲劇』で、当時取り沙汰されていた超高齢化社会と年金不正受給問題を苛烈な家族の物語としてシリアスに描いた小林は、『海辺のリア』では認知症を疑われるかつて役者としての名声をほしいままにした男の人生最後の魂の彷徨と燃焼を描いてみせた。
同じ老いを扱った作品ではあるが、前者の徹底したペシミスティックさとは異なり、後者には滑稽と冷酷と強かさが混然一体となった何とも不思議な生命力の最後の躍動がほの見える。それこそが、『海辺のリア』最大の魅力と言っていいだろう。
明るく前向きな作品とは言い難いものの、強烈なインパクトを持って迫るラストシーンには「それでも、命ある限り生きていくしかないのだ」といったポジティヴな一条の光の如き救いがある。
『リア王』には悲惨な結末しかないが、『海辺のリア』にはかすかな希望が残されているのだ。そこが、いい。

ただ、個人的には登場人物の造形がいささかカリカチュア的に過ぎることが気になる。
それは、伸子をコーディーリアに重ねることからも明らかなように、兆吉を取り巻く人々を『リア王』の物語的世界観に当てはめているからなのだが、行男にしても由紀子にしても運転手にしても、いささか人物像が前近代的なくらいに古典的なヒールに映ってしまうのである。
あえて現代に『リア王』を持ち込むのであるから、登場人物たちにもアップ・デートされたヒール像を提示することはできなかっただろうか。そこが、不満である。
それから、兆吉が伸子の身なりを揶揄する時に使う「女子」という言葉。認知症を患っている稀代の元名優が、若い女性を“今風”に女子と言うことが引っかかった。

さて、小林本人も言っているように、本作は徹頭徹尾仲代達矢のための映画である。しかし、認知症になり家族からも裏切られ見捨てられ彷徨するかつての名優…という物語を撮るというのは、よほどの信頼関係なくしては不可能なことである。
その意味でも、撮る側にも演じる側にも相当な覚悟を強いた作品に違いない。

上映時間105分を引っ張るのは、言うまでもなく仲代達矢の尋常ならざる熱量ほとばしるエネルギッシュな演技である。
ただ、本作のエンジンを司るのは彼のチャーミングにして飄々としたユーモラスで軽妙な芝居である。「あんた、どちらさん?」ととぼけるように問う仲代の表情は、まるでいたずらっ子のような純朴さだ。この軽妙さには、『死の舞踏』や『果し合い』の演技との連続性を感じる。

また、大胆な遊び心は小林の手になる脚本にも言えることだろう。劇中に出てくる「あの映画と違って、俺のは本名だ。桑畑兆吉(くわばたけちょうきつ)は」という兆吉と伸子のやり取り。言うまでもなく、黒澤明監督『用心棒』で三船敏郎が演じた桑畑三十郎のことであり、仲代は三船のライバル新田の卯之助を演じていた。
本作のキーとなっているのは「リア王」だが、仲代達矢が主演した黒澤明監督『乱』もまた「リア王」をモチーフにした作品だった。
しかも、『海辺のリア』で衣裳デザインを担当した黒澤和子は、黒澤明の長女である。

脇を固めるのも錚々たるメンバーである。阿部寛、原田美枝子、小林薫の一癖も二癖もある芝居も見どころだ。

そして、近年評価著しい黒木華。正直に言うと、僕は中盤まで彼女の演技に乗ることができなかった。伸子という女性の内面には、怒り、憎悪、喪失、消耗、疲弊、絶望といった負の感情が複雑に渦巻いているはずだが、黒木の演技はいささか攻撃的で前のめりに過ぎるのではないか…と感じたからだ。相対する仲代の変幻自在な軽やかさに比して、彼女の芝居がやや単調に思えたのだ。
だが、その印象も兆吉を前にして落涙する場面から一変してしまう。
まるでリア王が乗り移ったような仲代の鬼気迫る熱演の後、衝撃的なラストシーンでの黒木華の表情こそ、まさしく本作の白眉だろう。

 



本作は、稀代の名優仲代達矢と鬼才小林政広のコラボレーションにおける一つの到達点である。だからこそ、次を撮らなければならないともいえる。
だって、これで終わりだったらまるで映画のようじゃないか?

 


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