2001年1月19日アメリカ公開(日本では2004年7月31日)のデニス・サンダース監督『エルビス・オン・ステージ(Elvis:That’s the Way It Is-Special Edition)』。
本作は、1970年11月11日アメリカ公開(日本では1971年2月12日)されたオリジナル版からインタビュー・シーン等をオミットして演奏シーンを追加、さらには音響もデジタル5.1chにヴァージョン・アップされている。
製作はリック・シュミドリン、製作総指揮はジョージ・フェルテンスタインとロジャー・メイヤー、音楽はエルヴィス・プレスリーとジョー・ガルシオとグレン・ハーディン、ミキシングはブルース・ボトニック、撮影はルシエン・バラード、編集はマイケル・サロモン、配給はメトロ・ゴールドウィン・メイヤーとターナー・エンターテインメント。
なお、編集に際して108分だった上映時間は95分に短縮されている。
撮影は、1970年7月19日から9月9日にかけて行われた。収録されているのは、ラスヴェガス、インターナショナル・ホテル大ホール(キャパシティ4,100人)における8月10日オープニング・ショーから8月14日カクテル・ショーまでの8ステージと、MGMスタジオにおけるリハーサル風景である。
バッキング・ミュージシャンは、ジェームズ・バートン(g)、ジョン・ウィルキンソン(g)、チャーリー・ホッジ(g)、ジェリー・シェフ(b)、ロニー・タット(ds)、グレン・D・ハーディン(pf,arr)、ミリー・カーカム、スウィート・インスピレーションズ、インペリアルズ(chor)、ジョー・ガルシオ・インターナショナル・ホテル・オーケストラ(strings)。
1960年に陸軍を除隊したエルヴィスは、マネージャーであるパーカー大佐が映画配給会社との長期出演契約を締結してしまったため(1969年までに27本)に、思うような音楽活動ができなくなっていた。
そんな彼が歌手としての再起を賭けて臨んだNBC-TVスペシャル「ELVIS」(1968年12月3日午後9時放映)が、全米視聴率42%(瞬間視聴率70%超)と空前の大成功を収める。
それを受けて、1969年からエルヴィスはラスヴェガスを拠点に超過密スケジュールでのコンサート活動を再開したのである。
先ずは、快活に動く1970年のエルヴィス35歳の雄姿に見惚れる。シャープな体、精悍で甘いマスク、勢力と男の色気に溢れた佇まい。そりゃ、女性ファンが放っておかない訳だ。
そして、随所に挿入されるMGMスタジオでのリハーサル・シーン。有能なミュージシャン仲間との信頼に裏打ちされた、リラックスして楽しげな演奏シーンに心奪われる。
ここでのセッション・シーンは、音楽することへのエルヴィスの喜びがダイレクトに伝わって来るようで、こちらまで頬が緩んでしまうのだ。
色々な曲が演奏される中で目を引くのが、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」とビートルズの「ゲット・バック」だろう。この辺りのヒット曲を屈託なく演るところにも、ミュージシャンとしてのエルヴィスのイノセンスを感じる。
元々、ポール・サイモンがゴスペルの影響下で作った「明日に架ける橋」だが、エルヴィスの楽曲テイストには、後日同曲をソウルフルにカバーしたアレサ・フランクリンのバージョン(1970年8月録音)と類似点を感じる。
そして、コンサート・ショー本編。襟が高い白の派手なスーツ、お約束の空手アクション。楽団まで従えた大人数のバッキング・メンバー。会場を埋めるセレブリティなオーディエンスの中には、サミー・デイヴィスJr.の姿も見える。
そのあまりにゴージャスな煌びやかさからは、ロック的なテイストを感じることはできない。
映画でのオープニング3曲、「ザッツ・オール・ライト」「アイ・ガット・ア・ウーマン」「ハウンド・ドッグ」のクオリティに腰を抜かす。
ファンにはお馴染みのエルヴィス・スタンダードとも言える3曲(「アイ・ガット・ア・ウーマン」はレイ・チャールズのカバー)を高速でパンキッシュな演奏で聴かせる。
その音的な佇まいは、カントリーとソウルをミックスして、ロックンロールの衝動で演奏したとでも言えば近いだろうか。
その後、スクリーンに映し出されるのは、「ハートブレイク・ホテル」、「ラヴ・ミー・テンダー」、レイ・チャールズの「愛さずにはいられない」、「ジャスト・プリテンド」、「ワンダー・オブ・ユー」、「イン・ザ・ゲットー」、「パッチ・イット・アップ」、ライチャス・ブラザースの「ふられた気持ち」、「ポーク・サラダ・アニー」、「ワン・ナイト」、「冷たくしないで」、カール・パーキンスの「ブルー・スエード・シューズ」、「恋にしびれて」、「この胸のときめきを」、「サスピシャス・マインド」、そして大団円の「好きにならずにいられない」。
この時期エルヴィスの選曲や演奏コンセプトは、大きくポピュラー・テイストな方向に舵を切っていた訳だが、確かにここでも「ジャスト・プリテンド」「ふられた気持ち」「ポーク・サラダ・アニー」「この胸のときめきを」のアレンジメントには歌謡ショー的分かりやすさを感じる。
そして、ファン・サービスに徹したステージング。「ラヴ・ミー・テンダー」を歌いながら客席を回り、ファンの女の子たちのキスの嵐を受け止め、差し出されたタオルで汗を拭う。その姿には、ロックのコンサートというよりも杉良太郎のディナー・ショーをイメージする向きもあるだろう。
ただ、である。
どんな演奏スタイルでどんな楽曲を演奏しても、高度な演奏テクニックとゴスペル・ライクなコーラス隊をバックに、圧倒的な声量でパーフェクトに自分の歌を歌い上げるエルヴィス・プレスリーという男の途轍もないパフォーマンスには、それこそ「打ちのめされずにいられない」。
そう、彼は史上最高の歌手であり、ソング・スタイリストであり、そして孤高に屹立したアメリカ大衆音楽の体現者なのだ。
だからこそ、人は彼をこう称えるのである。「キング・エルヴィス」と。
ラスヴェガスのコンサート・ショーは、エルヴィス或いはバッキング・ミュージシャンにとっては1960年代に隆盛を誇った「ソウル・ミュージック・レビュー」の感覚だったのではないか。ジェームズ・ブラウンやアイク・アンド・ティナ・ターナーやモータウンのように。
この凄まじい音楽の洪水の中にあって、誰がジャンル分けなど気にするだろう。それが、ロックだろうが、ソウルだろうが、カントリーだろうが、ゴスペルだろうが、そんなことはどうでもいい些事に過ぎないのである。
とはいえ、エルヴィスの完璧なパフォーマンスに酔いながら、映画をシートに座って鑑賞する僕の胸中に複雑な思いが去来したのも、また事実である。
1970年という時代。前年にはウッドストック・ミュージック・アンド・アート・フェスティヴァル、1970年に入って第3回ワイト島音楽祭をピークに、ロックの世界はある種の喪失感を抱いていた時期である。そこには、ベトナム戦争の泥沼化やヒッピー幻想への敗北感も伴っていたことだろう。
ビートルズの解散、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリンの死去。その翌年には、ドアーズ(本作のリミックスを手掛けたブルース・ボトニックは、ドアーズのエンジニアとしても有名)のジム・モリソンも鬼籍に入った。黒人音楽の世界では、ニュー・ソウル運動の前夜である。
時代は、大きく動いていたのだ。
時代検証において“if”はまったく意味をなさないが、もしエルヴィスが映画契約に拘束されることなく除隊後も音楽活動を続けることができたなら、彼の音楽或いはアメリカのポピュラー音楽状況はどうなっていたのだろう…と考えずにはいられない。
というのも、ジャニス・ジョプリンを擁したビッグ・ブラザーとホールディング・カンパニーやオーティス・レディング、ジミ・ヘンドリックスが頭角を現し、ザ・フーの暴力的なライヴ・パフォーマンスがオーディエンスのド肝を抜いたモントレー・ポップ・フェスティバルが開催されたのが1967年。
当然の如く、エルヴィスの音楽活動も変革期を迎えた音楽シーンの影響と無縁ではなかっただろうと想像するからである。
その時代と交錯することがなかったという意味においても、やはりエルヴィスという天才は孤高の存在であったのだ。
そして、それ以降1977年8月16日に訪れる悲劇的な死に思いを馳せる時、僕はどうしようもない切なさに胸をかきむしられる。
最高潮に達したファンの熱狂の中、「好きにならずにいられない」の演奏終了とともに降ろされる緞帳。一度、その幕の間から顔をのぞかせて客席に微笑むエルヴィスを見て、僕はその喪われしものの大きさに、一人溜息をつくのである。
これ以上、一体何を言うことがあるだろうか。
10月26日から11月8日に立川シネマシティで公開予定の『エルビス・オン・ステージ』で、多くの人に70年代エルヴィスの巨大さを体感して欲しいと切に願う。