2014年7月19日、秋葉原CLUB GOODMANにてTransparentz企画ライブ第三弾「Transparentz vs 血と雫」を観た。前回のTransparentzライブは、1月25日
だった。
残念ながら、僕は対バンである血と雫のライブは観れずに帰ったのだが、Transparentzの演奏について感想を書きたい。
残念ながら、僕は対バンである血と雫のライブは観れずに帰ったのだが、Transparentzの演奏について感想を書きたい。
Transparentz:山本精一(g)、日野繭子(noise)、HIKO(ds)、Isshee(b)
この日の演奏時間は、50分くらい。演奏開始と同時に、凄まじい音圧のノイズが客席に向けて文字通り叩きつけられる。僕は、かなりステージに近い場所で聴いていたのだが、音の塊と空気の震えが体にビリビリと伝わって来て息苦しいほどだった。その破壊力は、これまでのライブでも群を抜く迫力である。「ゴジラ登場!」みたいな比喩しか思い浮かばない。
ただ、この日のPAは音が団子状にこもっていて、各パートの音が聴き分けづらい。メロディのある音楽だろうとノイズだろうと最低限の音の分離は必要だろうと僕は考えているので、その意味でもいささかのストレスを感じてしまう。破壊力というものは、やはりそれ相応のアウトプットあってのことだろう。
よく聴いていると、コズミックな効果音であったり、金属板やエフェクターによる音の歪みであったりと轟音の中にも様々な音響的ギミックが施されているのだが、出音の状態が一本調子であるために、なかなかこの日の演奏には彼らならではの音の核みたいなものが見えてこない。
「ここで、この音がもっと前に出ていれば」とか「ここで、HIKOのビートがもっとトライバルな音抜けをしていれば」とか聴いていて感じるのだが、それが上手くアウトプットされないゆえ、イけそうでイけない寸止め感みたいなフラストレーションが溜まってしまう。
ただ、轟音に反応して大きく頭や体を揺らすオーディエンスも沢山おり、彼らを見ていると、つくづくノイズというのはある種のセラピーだよなと思った。
そんな状態が続いたのだが、音像がフォーカスされたのがラストの10分である。ここから、山本とIssheeが抜けてステージに残った日野のノイズとHIKOのドラムスで終演するまでの時間は、まさしくTransparentzならではの音であった。
それを聴くにつけても、もう少しトータルで音を構築できなかったのか…という恨めしさが残る。
ただ、轟音に反応して大きく頭や体を揺らすオーディエンスも沢山おり、彼らを見ていると、つくづくノイズというのはある種のセラピーだよなと思った。
そんな状態が続いたのだが、音像がフォーカスされたのがラストの10分である。ここから、山本とIssheeが抜けてステージに残った日野のノイズとHIKOのドラムスで終演するまでの時間は、まさしくTransparentzならではの音であった。
それを聴くにつけても、もう少しトータルで音を構築できなかったのか…という恨めしさが残る。
ただ、このバンドはまだまだ試行錯誤の段階だろうから、これからの展開が楽しみである。彼らの真価が問われるのは、恐らく次のライブだろう。
会場に来ていたDFH-M3メンバーの大西蘭子さんに挨拶してから、僕は帰途についたのだった。
会場に来ていたDFH-M3メンバーの大西蘭子さんに挨拶してから、僕は帰途についたのだった。