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大九明子『私をくいとめて』

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『私をくいとめて』


監督・脚本:大九明子/原作:綿矢りさ/撮影:中村夏葉/照明:常谷吉男/録音:小宮元/美術:作原文子/助監督:成瀬朋一
制作:RIKIプロジェクト/配給:日活
公開:2020年12月18日


本作は、『勝手にふるえてろ』(2017)と同じく綿矢りさの原作
前半はややもたついていて「こりゃ、『勝手にふるえてろ』の方が面白かったかな」と思うんだけど、のんが大学時代の親友に会うためローマに行くくだりから俄然疾走感がでてきてスクリーンを映画マジックが覆い尽くす。

一人称複数とでもいうべきのんの演技が素晴らしく、見入ってしまった。ある意味、ほとんど一人芝居のような感じなのだ。親友が橋本愛で、「ジェジェジェ」という科白が出てくるところも実に気が利いている。
改めて思ったのは、のんは27歳の現在でも実に少年的な外見で女性としてのセックス・アピールをほとんど感じないこと。しかも、「あまちゃん」の時からまるでタイムラグを感じさせないルックスというのも、アップになった時に年輪を感じさせる橋本愛とは対照的だ。

劇場内に大音量で響く大滝詠一「君は天然色」のカラフルな開放感も、実に効果的だ。


それにしても、大九監督はのんといい松岡茉優といい黒木華といい女優をファンキーで魅力的に撮ることに長けた人だとつくづく思う。


岨手由貴子『あのこは貴族』

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『あのこは貴族』


脚本・監督:岨手由貴子/原作:山内マリコ「あのこは貴族」(集英社文庫刊)/音楽:渡邊琢磨/撮影:佐々木靖之/照明:後閑健太/録音:近藤崇生、/美術:安宅紀史/編集:堀善介/助監督:張元香織
制作:東京テアトル/配給:東京テアトル、バンダイナムコアーツ
公開:2021年2月26日


渋谷区松涛の医者の家系に生まれた華子(門脇麦)は、良家が集う学校(明らかに、学習院っぽい)で学び彼女も家族も自分たちと同等以上の家計でできれば医者と結婚することが幸せだと何の疑いもなく考えている。
27歳の彼女は仲のいい友人たちもバイオリニストの一人を除いて皆結婚しており、焦りを感じている。そこに、自分の家よりさらに一段階上の家系で弁護士の幸一郎(高良健吾)見合い話がある。


 

富山県出身で慶応大学文学部に進学した美紀(水原希子)は、父が職を失いキャバクラ嬢をしながら自分で学費を稼ごうとするが、結局は中退。彼女の大学にも歴然とした回想が出来上がっており、頂点に立つのは幼稚舎からの持ち上がり組だ。美紀は、ホステスとして店のグレードを上げて行くうちにお客から紹介された会社に転職する。


 

そして、あることがきっかけとなり出会うはずのない華子と美紀は出会うことになる。


 

この映画は、あまりテーマにされることのない日本的なカーストにスポットを当てつつ、どの階層にも存在するある種の生きづらさみたいなものを描いている。なかなか珍しいテーマが、まずは興味深い。
それぞれに役者もいい。『愛の渦』で大胆な濡れ場を演じ、『止められるか、俺たちを』にも主演した門脇麦、城山羊の会のミューズで癖のある芝居には定評のある石橋けい、天井桟敷で寺山修司に寵愛された高橋ひとみ。重箱の隅的には、タクシー運転手の声で岩谷健司もクレジットされている。
個人的には、水原希子が抜群に魅力的だった。

 

 

ラストはいささか定形的な甘さを感じるけど、観て損のない映画だと思う。

吉村栄一「YMO 1978-2043」

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小野島大さんも言及されていたけど、僕も散開までの記述に物足りなさを感じてしまった。マイケル・ジャクソン「BEHIND THE MASK」の件は、ずっと不思議に思っていたからなるほどと納得したけど、個人的にはメンバーのロング・インタビュー「OMOYDE」ほどの衝撃はなかった。

 

 

僕は、高校一年の時に『公的抑圧』を聴いてショックを受けて、『増殖』はレコード店に予約して買った世代。二回目のワールドツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」も日本武道館に見に行った。富士カセットの懸賞で、高橋ユキヒロがデザインしたYMO紙シャツももらったなぁ。

 

 

ロンドン・ニューウェーブとかをまだ聴く前だったこともあって、他のファン同様『BGM』のまったくポップじゃない重く陰鬱なサウンドや「U・T」の奇妙なユーモアに凄く戸惑った。ただ、『BGM』を経過しての『TECHNODELIC』にはどこか前向きな抽象性があって割とすんなり入れた。

むしろ、散開頃のドラムがシモンズだったことに違和感を覚えた。シンドラムと比較して、どこか音が軽くて安っぽく感じたからだ。そういえば、「ALL TOGETHER NOW」ではっぴいえんどが再結成ライブをやった時、松本隆が叩いていたのもシモンズだった。松本隆は、ドラムを叩くのが久しぶり過ぎてどこのスティック買えばいいのか分からないからC-C-Bの笠浩二に聞いたと言ってたっけ(笑)シモンズと言えばC-C-Bだよね、やっぱり。

僕の記憶だと、イエロー・マジック・オーケストラって、当時「コンピューターに演奏させるなんて、音楽として邪道だ」みたいな批判も結構されていたし、シンセサイザーに対する拒否反応もあったはず。

『BGM』がリリースされた時、細野さんは「次にどんなアルバムを出しても絶対に売れるなんていう状況は一生に一度しかないから、やりたいことをやった」と言ってたし、教授は「100万売れてもちゃんと届いてるのは30万くらいだから、『BGM』でふるいにかけた」みたいなことを言ってた。「千のナイフ」が入っているのは、細野さんが教授に「千のナイフ」みたいな曲をとオーダーしたけど、できなかったからカバーになったと発言していたように思う。

僕は、YMOからビートルズ、クラフトワーク、DEVO、はっぴいえんど、キャラメルママ、サディスティック・ミカ・バンド、スネークマンショー、ブライアン・イーノ、PASSレコード、TGみたいに掘りさげていったなぁ。

CANにたどり着いたのも、スネークマンショーのファースト・アルバム『急いで口で吸え』にホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」が入っていたからだし。

そういえば、忌野清志郎と坂本龍一が「い・け・な・いルージュ・マジック」をリリースした時、RCサクセションの一部シンパから、清志郎が裏切者みたいな批判をされていたっけな。

 

近田治夫自伝「調子悪くてあたりまえ」

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「調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝」を読み終えたけど、これは滅茶苦茶面白かった。

 

 

近田春夫って、ず~っと何か胡散臭いというかすべてが冗談なんじゃないかと思わせる怪しい存在感があって実体がつかみきれなかった。とにかく、音楽業界のカメレオンみたいに音楽性もころころ変わるし、タレントの印象が強くなった時期もあったし、評論家とコラムニストの折衷みたいな文章書きの一面もあった。

本書の中でも触れているけど、ビートたけしが「オールナイトニッポン」で近田春夫がザ・ぼんちに書いた「恋のぼんちシート」がパクリだと指摘していたのを僕はリアルタイムで聞いていた。リスナーからの投書だったと思うけど。

 

 

だけど、他に比肩すべき存在もいなければ、類を見ない独自の音楽的な嗅覚を常に感じさせる活動をしていた。

個人的に、ミュージシャンとしてリアルタイムで意識したのは近田春夫とビブラストーンで、『Vibra is Back』は発売後割りとすぐにCDを購入した。確か、読売新聞の夕刊に近田春夫が日本人には馴染みづらいラップを始めて、「Hoo! Ei! Ho!」という曲で歌詞の終わりに「さ~」をつけることで日本語におけるライム問題を解消したみたいなことが書かれていた。

その曲を聴いてみたいと思ったのと、大好きなじゃがたらのOTOがギターで参加していたことに興味を持ったのだ。DAT一発録りのこのライブ・アルバムは、とにかくファンキーで最高だった。今でも、日本のラップとしては最高の一枚だと思ってる。1989年のCDだったから、録音はともかく音圧がしょぼかった印象がある。ボリュームが小さいのだ。

 

 

それからは、後追いで色々聴いた。YMOがバッキングで参加したソロ・アルバム『天然の美』は今ひとつピンと来なくて、断然面白かったのがハルヲフォン。

 

 

中でも、『電撃的東京』はずっと個人的なフェイバリット・アルバム。オリジナルは一曲だけで、他は歌謡曲をロックなアレンジでカバーしたこのアルバムは、ラモーンズの1st『ラモーンズの激情』と共通する疾走感があって大好きだった。何というか、「電撃バップ」の勢いでブリル・ビルディング系のヒット曲をラモーンズが演奏すると『電撃的東京』と同じテイストになりそうな気がする。オリジナル曲「恋のT.P.O.」のコミカルな展開は、近田春夫版「ハイそれまでヨ」みたいだ。

あと、ビブラトーンズのエセ歌謡曲みたいなポップさも好きだった。

 

 

興味深いところでは、荒井晴彦の初単独脚本作である若松孝二監督『濡れた賽の目』(根津甚八の映画デビュー作でもある)の音楽を担当したこと。ただ、荒井晴彦はピンク映画での仕事を自分の脚本家キャリアにカウントしていないので、脚本家としてのデビュー作は田中陽造に師事してからの曽根中生監督『新宿乱れ街 いくまで待って』だと自身では位置づけている。

 

 

この自伝を読んで思ったのは、彼を支えていたのは音楽的なアカデミズムと純粋な探求心、そして瞬発力だったんじゃないかということ。その意味では、生粋のクリエイターなんだなと。巻末のイラストでは、江口寿史が描いた肖像画が最高でした。

五百旗頭幸男・砂沢智史『はりぼて』

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『はりぼて』

監督:五百旗頭幸男、砂沢智史/撮影・編集:西田豊和/プロデューサー:服部寿人/語り:山根基世/声の出演:佐久間脩/テーマ音楽:「はりぼてのテーマ~愛すべき人間の性~」作曲・田渕夏海/音楽:田渕夏海/音楽プロデューサー:矢崎裕行

配給:彩プロ

公開:2020年8月16日

 

本当にやるせないと言うか色々なことを考えさせられるドキュメンタリーだった。

 

自民党が大半を占める保守王国の富山市議会で、政務活動費を不正に受け取っている議員がいることを2016年に開局したローカルテレビ局「チューリップテレビ」が次々とスクープしていき、結果的に14人の市議が辞職に追い込まれるという内容。

議員報酬を月額60万から70万に引き上げる法案が提出されたことが発端となって、チューリッピテレビが取材をしていく中で、次々と不正が明らかになっていく。市議会への情報開示を手段としてその資料を解明していくんだけど、当初はのらくらかわしていた市議たちもそのうち言い逃れ出来ない事実を積み上げられて、遂には認めざるを得なくなる。

 

おまけに、チューリップテレビの記者が情報開示請求したことを担当部局が議会局の担当にリークするという守秘義務違反まで発覚する。

市長に意見を求めても、「それは制度的に私がどうこう言える立場にない」と逃げまくる。

その市議たちの右往左往ぶりが最初こそ滑稽で笑えるくらいなんだけど、そのうち何とも息苦しくなってくる。それは、市民の税金を正しく市政のために使うという当たり前のことを何の躊躇もなく不正に受給した挙句、追及されるまで(あるいは、追及されても)あの手この手で言い逃れしようとする世の中の常識から乖離した彼らの意識に暗澹たる気持ちになっていくからだ。

市議会レベルでさえこうなのだから、これが都道府県議会、国政と規模や利権が大きくなればどうなるのかは容易に想像がつく訳だ。

 

おまけに、市議にはなり手がいない自治体も多く、さらには投票率も低い。それを考えると、悪い冗談では済まされない。今のコロナ禍や東京オリンピックに鑑みても、本当に考えさせられる。

映画は、それだけでは終わらない。監督に名を連ねる二人はチューリップテレビの記者で五百旗頭はキャスターも務めているのだが、二人にも思いがけないオチがついてこのドキュメンタリーは終わる。

そのエンディングは、まるで伊丹十三監督『マルサの女2』のような後味の悪さなんだけど、この映画はドキュメンタリーなのだ。

 

とにもかくにも、一人でも多くの人に観てもらって考えて欲しいドキュメンタリーだった。

坂上香『プリズン・サークル』

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『プリズン・サークル』

監督・制作・編集:坂上香/撮影:南幸男、坂上香/録音:森英司/アニメーション監督:若見ありさ/音楽:松本祐一、鈴木治行

製作:out offrame/配給:東風

公開:2020年1月25日

 

凄いドキュメンタリーだった。

6年間にわたる取材申し込みでようやく許可が下り、2年に渡って日本の刑務所内部を初めて撮影した作品。

 

「島根あさひ社会復帰促進センター」という官民協働の新しい刑務所は、更生プログラムに組み込まれた「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」という教育カリキュラムがとにかく斬新で、初犯者がメインの受刑者たちを精神的にどう更生させていくかに重きが置かれている。その内容が、本当に理にかなっていて刑務所のあるべき姿を思わせる。

ここから出所した元受刑者の再犯率は、他の刑務所に比べて格段に低いことから見てもその効果のほどが分かると言うものだ。

20代の受刑者4人に対するインタビューもしているのだが、彼らはそれぞれ幼少期にとても酷い環境で過ごしていた。幼い頃の一定期間、親からちゃんとした愛情を受けていない子供は著しく自己肯定感が乏しくそれが成長するにしたがって深刻な問題を引き起こすことは広く知られているが、彼らもその例外ではない。

その少年時代から犯罪に手を染めて逮捕される過程、あるいは逮捕されて以降の彼らの思考を見ているだけで胸が苦しくなってくる。

ただ、この新しい刑務所の収容人数はたったの40人に過ぎない。犯罪者をどう更生させるかというのはもはや深刻過ぎる課題だが、間違いなくこの刑務所には一つの光を感じた。

個人的に気になったのは、度々挿入されるアニメーションが過剰に情緒的なことだった。

 

必見のドキュメンタリーとして、強くお勧めしたい。

アミール・トンプソン『サマー・オブ・ソウル』

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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)


 

監督・製作総指揮:アミール・“クエストラブ”・トンプソン/製作:ジョセフ・パテル、ロバーロ・フィヴォレント、デイヴィッド・ダイナースタイン/撮影:ショーン・ピーターズ/編集:ジョシュア・L・ピアソン/音楽監修:ランドール・ポスター
出演:スティーヴィー・ワンダー、チェンバー・ブラザーズ、B.B.キング、フィフス・ディメンション、デヴィッド・ラフィン、エドウィン・ホーキンス・シンガーズ、ステイプル・シンガーズ、オペレーション・ブレッドバスケット・オーケストラ、マヘリア・ジャクソン、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、モンゴ・サンタマリア、レイ・バレット、ハービー・マン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ソニー・シャーロック、マックス・ローチ、アビー・リンカーン、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモン、チャック・ジャクソン
公開:2021年8月27日

1969年6月29日から8月24日までの日曜日午後3時からニューヨークのハーレムにあるマウント・モリス・パークで開催されたフリーコンサート「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」を記録した映像に、関係者や参加した観客の証言、当時の社会情勢映像を加えて編集されたドキュメンタリー映画である。
黒人公民権運動の高まりやマルコムX、マーティン・ルーサー・キングの暗殺、ベトナム戦争等の背景もあり、黒人のアイデンティティを強く打ち出したイベントでナイトクラブ歌手のトニー・ローレンスが主催した。当時のニューヨーク市長ジョン・リンゼイも開催に協力している。警備を担ったのは、ブラック・パンサー党である。

フェスティバルの映像はテレビ・プロデューサーであるハル・トゥルチンが40時間にわたってビデオテープに収録したものの、発表する機会がないまま50年間地下倉庫に眠っていた。
映画の中では、この映像が公開されなかった理由を同じ年に開催されて映画も公開されたウッドストックと比較して「所詮、黒人のコンサート記録など歴史に残す意義がないと思われたし、誰も見たがらなかったってことだ」みたいなことが語られている。
だが、それよりも何よりもこのフェスティバルのコンセプトが黒人の問題意識と当時の白人による政権に対する批判といったある種政治的ラジカルさを前面に出していたことと関係していたではないか。
このフェスティバル開催期間中の7月24日、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功しているが、そのことを聞かれた黒人たちは「そんな物に金を使うなら、貧困にあえいでいる人々を助ける方に回してくれ」といった発言を繰り返している。

あと、このフェスティバルを映像に記録した行為がある種の気紛れというかビジネス戦略なきまま恣意的に行われたことこそ、お蔵入りになった最大の原因のように思えてならない。このフェスティバルから3年後の1972年8月20日にスタックス・レコードが企画してロスアンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われたコンサート「ワッツタックス」は、スタックス・レコードが『ワッツタックス/タックス・コンサート』として1973年に映画公開しているからだ。当然、ライブ盤もレコードとしてスタックスからリリースされて映画共々高い評価を得た。


 

コンサートの映像は今観ても十分に刺激的で興奮するが、如何せん音楽に対する愛情が希薄に思えてならない編集に苛々してしまう。というのも、フェスティバルの性格上演奏シーン以上に当時の社会情勢や個人の思いを語ったコメンタリーの方に重きが置かれているからだ。
しかも、そのコメントが音楽に被せられたり中途半端にカットインされてしまうのも興覚めである。貴重な演奏シーンを堪能したいのに、何ともフラストレイトさせる編集なのだ。
それから、市井の人々の感傷やミュージシャンに対する過度の政治的思想的期待も1969年当時ならまだしも、それから50年以上も経過した今日に語ってしまうのはどうにも違和感がある。まるで竜宮城から帰って来た人のように見えてしまう。


 

さて、肝心の演奏だが驚くほどバラエティに富んだ人選がなされている。ソウル、ゴスペル、ブルース、ポップス、ジャズ、ジャズロック、ラテンジャズ、サルサまで。
ただ、あまりにもゴスペル色が強くていささか宗教映画を観ているような気持ちになってしまった。その尺がまた長いので、不謹慎とは思いつついささか眠気が襲ってきた。聴衆がほぼ黒人で占められているという事情もあるが、ポップ・グループ寄りのフィフス・ディメンションでさえボーカル・スタイルがゴスペルなのである。スタックスと契約後、ソウル・グループとして大ヒットを飛ばすステイプル・シンガーズもこの時期はまだゴスペルがメインだった。


 

製作者の指向性もあるのだろうが、ミュージシャンの映像フィーチャーにはかなりの偏りが見られた。重きを置かれていたのは、スティーヴィー・ワンダー、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ニーナ・シモン辺り。

 


 

個人的に興味深かったのは、フィフス・ディメンションの「アクエリアス~レット・ザ・サンシャイン・イン」、ソロで「マイ・ガール」を歌うテンプテーション脱退後のデヴィッド・ラフィン、後にハービー・ハンコックがカバーしてヒットする「ウォーター・メロンマン」を演奏するモンゴ・サンタマリア。
サム&デイヴの「ホールド・オン」を演奏するハービー・マンは、バックでロイ・エアーズがヴィブラフォンを演奏していた。ソニー・シャーロックのパワフルなギター・プレイは、ジャズロックというよりもはやロフトジャズのようだった。


 

そして、圧巻だったのはスライ&ザ・ファミリー・ストーン。「シング・ア・シンプル・ソング」「エブリデイ・ピープル」に、煽りまくる「ハイヤー」の熱狂。
だが、最高に素晴らしいと僕が思ったのは夫のマックス・ローチが叩くドラムをバックにアビー・リンカーンが歌った「アフリカ」だった。ニーナ・シモンのようにアジる訳でもなく、他のミュージシャンたちのようにゴスペルライクに熱くなるでもなく、ある種の静謐ささえ感じさせるアビーの透明な歌声にこそ彼らのルーツであるアフリカの大地を思わせる壮大なスケールがあって、心が浄化されるようだった。

 

 

とまあ色々と思うところはあるのだが、あらゆる音楽ファンが避けて通ることのできない希少なドキュメンタリーであることには違いない。必見である。

R・J・カトラー『BELUSHI ベルーシ』

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『BELUSHI ベルーシ』


 

監督・脚本・製作:R・J・カトラー/製作総指揮:ビル・コーチュリー、ショーン・ダニエル、ヴィニー・モルホトラ、アンドリュー・ラーマン/アニメーション:ロバート・バレー/音楽:ツリー・アダムス/音楽監修:リズ・ギャラチャー/グラフィック:ステファン・ナーデルマン/ストーリープロデューサー:オースティン・ウィルキン/共同製作:ライアン・ギャラガー、カロリン・ジュリアンス/編集:ジョー・ベシェンコフスキー、マリス・ベンジンス/製作:ジョン・バトセック、ダイアン・ベッカー、トレヴァー・スミス/配給:アンプラグド
公開:2021年12月17日


人気絶頂だった33歳の時にスピードボールのオーヴァードーズで急逝したアメリカの天才コメディアン、ジョン・ベルーシの人生を追った2020年製作の尺108分に及ぶドキュメンタリーである。
本作は、妻のジュディス・ベルーシが保管していた未公開音声テープ、ジョンから贈られた手紙、関係者の証言、アーカイヴ映像、アニメーションで構成されている。

ジョン・ベルーシがアルバニア系移民二世だったことに始まり、幼少期から次第に人気ものになって行く思春期、ジュディスとの出会い、コメディ劇団での人気、ニューヨークへ赴きラジオ番組で活躍した後に「サタデー・ナイト・ライブ」への出演、ジョン・ランディス監督『アニマル・ハウス』(1978)での全米ブレイク、盟友ダン・エイクロイドと結成したブルース・ブラザースの大成功とジョン・ランディス監督による映画化『ブルース・ブラザース』(1980)の大ヒット、プレッシャーと麻薬摂取による破滅までが描かれている。
資料や証言をふんだんに集めて製作された至って真摯なドキュメンタリーで、ジョン・ベルーシの才能やパーソナリティ共々胸に迫る映画だと思う。


 

ただ、膨大な情報をそのまま羅列してしまったような編集が頂けない。情報過多で、それを字幕で見ていると正直ぐったり疲れてしまう。おまけに、その資料からジョン・ベルーシの人間性や不慮の死に至った原因を読み解き彼の人生を浮き彫りにするような方向に作られておらず、ひたすら資料や証言を繋げているだけという印象を受けてしまう。
だから、ジョン・ベルーシに関するスクラップ・ブックを見せられている感じで、その人となりが立体的に立ち上がらない。それが、本作における一番の不満である。

それから、せっかくジョン・ベルーシという稀代のエンターテイナーを扱っているのだから、もっと彼のパフォーマンス映像を見せて欲しかったように思う。
ジョー・コッカーやマーロン・ブランドの物まね、エリザベス・テイラーの悪意あるパロディ、黒澤明監督『用心棒』にインスパイアされたサムライ・コメディ、ブルース・ブラザースの演奏シーン等々。「サタデー・ナイト・ライブ」の映像も、断片的でフラストレーションを感じてしまった。


 

個人的には、如何にもアメリカンで大味な「サタデー・ナイト・ライブ」の力で捻じ伏せるような笑いが苦手で、いささかトゥー・クレバーともいえる60年代イギリスの「モンティ・パイソン」の方が好みではあった。
モンティ・パイソンのメンバーで、ニール・イネスと一緒にビートルズのパロディであるラトルズをやっていたエリック・アイドルも登場する。映画の中では、何も触れられていないが。
ダン・エイクロイドが脚本を準備していた『ゴーストバスターズ』(1984)に、ジョン・ベルーシが出ていたらなとつくづく思う。彼の代わりに主演して全米の人気者になったのが、「SNL」でも共演したビル・マーレイである。

それにしても、妻のジュディスとダン・エイクロイドが如何にジョン・ベルーシにとって重要な人物だったのかを改めて認識した。そのダン・エイクロイドが語る話の一つ一つが胸に響く。意外にも、『ブルース・ブラザース』で共演したキャリー・フィッシャーのコメントが大々的にフィーチャーされていた。
ただ、どうしてもラストが感傷的になり過ぎているのが気になった。コメディアンらしくジョー・コッカー「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の物まねで終わらせていいじゃないかと思うのだが、そうはいかないのだ。

いずれにしても、1980年代に入るとドラッグで命を落とすアメリカ・ショービズ界のタレントはさほどいなくなっていたように思う。
それを思うと、ジョン・ベルーシが抱えていた心の闇や麻薬依存症への対処法がもう少し成熟していればと思わずにはいられないのである。


永岡俊幸『クレマチスの窓辺』

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『クレマチスの窓辺』


 

監督・編集:永岡俊幸/脚本:永岡俊幸、木島悠翔/プロデューサー:辻卓馬/主題歌:山根万理奈「まどろみ」/撮影:田中銀蔵/照明:岡田翔/効果・整音:中島浩一/メイク:ほんだなお/衣裳:小宮山芽以/監督助手:長谷川汐海/制作進行:秋山友希/撮影助手:滝梓/車輌:西村信彦/タイトル・ヴィジュアルデザイン:東かほり/カラリスト・DCPマスタリング:清原真治/劇中音楽:ようへい、伴正人、sing on the pole/協力:島根観光連盟、松江フィルムコミッション協議会/後援:ダブルクラウン、TROMPETTE
製作:Rute9、focalnaut co.,ltd/配給・宣伝:アルミード
公開:2022年4月8日
2022/日本/62分/カラー/ヨーロピアンビスタ/デジタル


東京生まれ東京育ちの絵里(瀬戸かほ)は、25歳の会社員。数字に追われるストレスフルな毎日に疲れた彼女は、一週間の休暇を取って地方の街で息抜きすることに決めた。亡くなった祖母が一人で住んでいた古民家はすでに売ることが決まっているが、絵里は叔母(西條裕美)に頼んでその家で過ごすことにした。
その叔母、建築の仕事に就いている叔母の息子(馬場俊策)と大学生の娘(里内伽奈)、息子の婚約者(小山梨奈)、三代続く靴屋の倅(ミネオショウ)、祖母と付き合いのあった近所の花屋(小川節子)と出戻りの娘(しじみ)、考古学の大学准教授(星能豊)、東京から自転車で旅するバックパッカー(サトウヒロキ)と交流し、祖母が残した日記を読むうちに絵里の心は少しずつほぐれていく…。


 

島根県でオールロケを敢行した映画で、永岡俊幸の劇場デビュー作。永岡と木島悠翔、しじみ、主題歌を歌っている山根万理奈は島根県出身である。

ピンク映画マニアの僕にとって、永岡俊幸はある意味懐かしさを覚える名前だった。というのも、彼は竹洞哲也の助監督についていたことがあり、その時の作品をすべて観ているからだ。具体的に挙げると、『いんらん千一夜 恍惚のよがり』(2011)、『義父の求愛 やわ肌を這う舌』(2012)、『人妻家政婦 うずきに溺れて』(2012)、『お色気女将 みだら開き』(2012)、『挑発ウエイトレス おもてなしCafe』(2014)である。
『いんらん千一夜 恍惚のよがり』にはしじみも出演しており、彼女の代表作の一本と言っていい素晴らしい演技を披露している。

劇的なことは何も起こらない脱現実的な「半日常映画」といった趣きの小品である。
本作を観ていてまず思ったのは、ロケハンの素晴らしさだ。出てくる全ての風景が実に美しく、その映像を見ているだけで絵里と一緒にささやかなヴァカンスを楽しんでいる気持ちになれる。

ただ、前半の展開がどうにも疲れてしまう。一週間という極めて限定的な時間、おまけに映画の尺が62分しかないため、あらゆることが矢継ぎ早に起こるのである。おまけに、絵里が地方都市にやってきた理由や登場人物たちのバックグラウンドを科白の中で説明しようとするから、会話がすべて前のめりなのである。
相手の話を聞いてそれに受け応えるのではなく、一人の役者が科白を言ったから次は自分が科白を言う番だ…みたいな性急さなのだ。おまけに、ワン・シチュエーションの中でドミノ倒し的に出会いがある。それがかなり窮屈に感じる。観ている方も、息をつく暇がない

やはり、尺を長くするか登場人物をもっと絞るかどちらか選択すべきだったように思う。絵里が読んでいる祖母の日記の扱いも祖母と花屋のオーナーの関係も匂わせるだけで投げっ放しだし、後半の靴屋と絵里がバーでさし飲みするシーンも必要なのかと思ってしまった。いたずらな寄り道が多すぎてかえって、どのエピソードも着地場所を失っているようにさえ見えるのだ。
バックパッカーが登場してからは、映画のテンポが穏やかになり美しい街並みと調和するので観ていてとても気持ちがいい。まあ、初対面の異性を無防備に自分の家に連れて行く25歳の独身女性がいるかな…と首を傾げもするが。
監督としては、意識的に前半を都会の忙しなさの延長的なテンポにして、後半はそこから解放されて地方都市の時間に映画のテンポを合わせたようだが、それにしてももう少し前半はやりようがあったのではないかと思う。

それでも、この映画は悪くないと思う。何と言っても、大仰さがなくアンチ・ドラマティックなのがいい。ひと時の人生の凪を描いた映画があってもいいではないか。そうでなくても世の中は情報に溢れており、我々は常に数字や選択に追われて日々を疲弊しながら生きているのだから。ここではない何処かに思いを馳せてリセットを望んでいるのは、絵里も僕らも同じだ。
ささやかな奇跡のようなものを求めるのが、映画を観るという行為に他ならないのである。

映画終盤、絵里は「こんなに一週間が長く感じたのは初めてかも」と言う。僕は「短く」ではないかと思って違和感があったのだが、永岡監督は「長い」にするか「短い」にするか悩んだ末に自分がシナハンで過ごした五日間の濃度を長く感じたので「長い」をチョイスしたそうである。であれば、「濃く」が一番しっくりくる言葉のように思う。

本作で一番驚いたのは、小川節子のキャスティングである。約45年ぶりの復帰作らしいが、小川節子と言えば初期の日活ロマン・ポルノを支えた人気女優の一人。ロマン・ポルノの第一弾として1971年に日活が製作したのが、かの有名な白川和子主演の西村昭五郎監督『団地妻 昼下りの情事』と小川節子主演の林功監督『色暦 大奥秘話』だ。
まさか、小川節子としじみが親子役を演じる日が来るとは夢にも思わなかった。


永岡俊幸には、是非とももっと尺の長い監督第二作目を撮ってほしいものである。

小林豊規『静かに燃えて』

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『静かに燃えて』


 

プロデューサー・監督・脚本・編集:小林豊規/撮影:中井正義、高畑洋平、細澤恭悟/照明:磯貝幸男/録音:山谷明彦/美術:野中茂樹/絵画:蔵野春生/絵画制作:小林芳雄/衣裳:山本祐行、生井ゆみ/ヘアメイク:藤枝純子/グレーディング・EED:白石悟/音楽:金剛地武志/ミキサー:岩波昌志/音響効果:斎藤みどり/シンセサイザーPG:宮澤謙/監督補:住岡由統/助監督:山崎賢児、福島隆弘/制作進行:長田浩一/撮影助手:小畑智寛/美術助手:伊藤佳純/衣裳助手:川野さわこ、直田晴菜/ヘアメイク助手:春本みゆき、宮井麻三子、本橋英子/制作進行助手:大倉望/制作応援:宮下直樹、坂本俊夫/脚本協力:小林富美/制作協力:岩橋修平
制作・配給:株式会社オフィス101
公開:2023年10月14日


美大を卒業した田村容子(とみやまあゆみ)は、カルチャースクールで油絵の講師として働いている。彼女は、教室の年配の女生徒がオーナーのテラスハウスに持ち主と一緒に住んでいた。ところが、大家が亡くなってしまう。
後日、容子は大家の孫でOLの須藤由佳里(笛木陽子)と喫茶店で面会した。できればこれからもあの家で暮らしたいと容子は話すが、それを聞いた由佳里は自分が祖母のテラスハウスで暮らすつもりだと言った。容子が困った表情を浮かべると、自分と一緒に暮らさないかと由佳里は提案してきた。そして、二人の新しい生活が始まった。

容子は同性愛者であることを隠し、よきルームメイトとして由佳里と接しているものの内心では彼女に惹かれていた。一方の由佳里は、一見天真爛漫のようで就寝前には睡眠導入剤を服用していた。部屋が殺風景だからと、由佳里は壁一面に容子が描いた油絵を飾った。
ある時、洗濯していた由佳里は洗濯物の中に男物のトランクスを見つけて容子に尋ねた。二階に干しているのに、以前下着を盗まれたことがありダミーに男物も一緒に干しているのだと容子は言って箪笥の中に入れてある新品のトランクスを見せた。

同じテラスハウスに、大学生の姉弟・村上柊子(原田里佳子)と悠輝(蒔苗勇亮)が引っ越してきた。以前に住んでいた部屋は、酔った悠輝がバカ騒ぎして追い出されてしまったのだ。今度の部屋は彼らの両親が長年物置代わりに使っていたため、荷物が散乱しており片付けには随分と時間がかかりそうだった。
そんなある日、柊子は弟がぼ~っとした顔で隣室の二階を見上げているのを目撃する。悠輝は、干してあった洗濯物を見ていた。一歩間違えたらストーカーさながらの表情に、柊子は激怒。不貞腐れた悠輝は、家の片づけを放棄して自室にこもってしまった。柊子はこの一件を携帯で母親に報告するが、母親は隣室に引っ越しの挨拶に行くよう言った。

ある時、容子を美大時代の同級生だった佐野幸彦(榛原亮)が訪ねて来た。彼は、近くで友人と工房をやっていると言った。一目見て彼に惹かれた由佳里は、後日佐野の工房を訪ね彼に請われて手のモデルをやった。すっかり佐野のことを好きになってしまった由佳里は、再び彼の元を訪ねたが告白することもなく彼女の恋は破れた。
その後も容子と由佳里は一緒に暮らしていたが、徐々に容子は自分の気持ちを抑えることが辛くなってくる。だが、本当のことを口には出せない。妙にぎくしゃくし始めた二人の関係は、ある出来事をきっかけに大きな分岐点を迎えることになる。

柊子は、渋る悠輝を引っ張ってテラスハウスの隣人の元へ引っ越すの挨拶に行くが…。


小林豊規が初監督した長編映画は2018年に撮影されたが、公開の目途が立たぬまま月日が流れた。そして、この度一週間の限定ながら下北沢トリウッドで5年越しの公開にこぎつけた。

僕はずっととみあやまあゆみ出演の舞台や映画を追いかけているので本作も観たが、正直に言うとあまり期待してはいなかった。中盤まではどうにも乗れず、「う~む…」という感じでスクリーンと対峙していたのだが、後半に思いがけないツイストがあって思わず唸ってしまった。
「なるほど、こう来るか!」という驚きがあり、結果的に作品は予想外の拾いものであった。

前半に拒否反応が出た最大の理由は、とかくバストアップのショットと切り返しが多用され、映像に奥行きがないこと。それから、役者の演技のせいなのかそれとも演出のせいなのか、はたまた編集のせいなのか会話のシーンでテンポがしっくりこないこと。この二つが、何ともストレスフルだったのだ。
それから、ストーリーテリングにいささか首を傾げる部分もあった。個人的に思ったのは、容子が教え子の家で共同生活を送るようになった経緯をちゃんと描いておく必要があったのではないかということだ。そこを飛ばして唐突に由佳里との面会場面になってしまうので、何やら出し抜け感が否めなかった。
また、いささかご都合主義が散見されたのも気になる。LGBT的な人物造形を揃えすぎなところも気になるし、その一方で催眠術教室の場面にはセンシティヴさを欠いていたように思う。
それでも、終盤のツイストや容子と由佳里の別離のエモーショナルさは秀逸だった。

人物造形では、いささか由佳里が定型的というか映画装置的な薄さが気になった。容子同様、彼女についてももう少し繊細に描いた方が映画に奥行きが生まれたように思う。
役者については、やはりとみやまあゆみが説得力のある演技を見せてくれたが、原田里佳子の快活さも魅力的に映った。


本作は、なかなかにトリッキーな人間ドラマの佳作。
ちゃんと公開されないのは、ちょっともったいない作品だと思う。

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