スザンネ・ビア監督『真夜中のゆりかご』(英語タイトルは『A Second Cchance』)。
脚本は、これで6作目のコンビとなるアナス・トーマス・イェンセン。
2014年/デンマーク/102分/カラー/デンマーク語、スウェーデン語/シネマスコープ/5.1ch
アンドレア(ニコライ・コスター=ワルドー)は、先輩刑事のシモン(ウルリッヒ・トムセン)とコンビを組んで犯罪を追いかける敏腕刑事。彼は、湖畔にシンプルでシックな家を構え、愛妻アナ(マリア・ボネヴィー)と生後間もない息子と幸せに暮らしている。
2014年/デンマーク/102分/カラー/デンマーク語、スウェーデン語/シネマスコープ/5.1ch
アンドレア(ニコライ・コスター=ワルドー)は、先輩刑事のシモン(ウルリッヒ・トムセン)とコンビを組んで犯罪を追いかける敏腕刑事。彼は、湖畔にシンプルでシックな家を構え、愛妻アナ(マリア・ボネヴィー)と生後間もない息子と幸せに暮らしている。
ある日、通報を受けたアンドレアがシモンと共にアパートに駆けつけると、出てきたのはかつて自分が刑務所送りにしたジャンキーのトリスタン(ニコライ・リー・コス)。乱雑に散らかった部屋の奥には、恋人のサネ(リッケ・メイ・アンデルセン)がいた。
抵抗する二人を押しのけてトイレのドアを開けたアンドレアは、糞尿にまみれて寝かされている幼児を見つけて愕然とする。明らかに、ネグレクトが見て取れたからだ。
このままでは、この子がジャンキー・カップルの手で殺されてしまうのも時間の問題のように思われ、アンドレアの胸は痛んだ。
そこでアンドレアが子供を保護しようとすると、サネは半狂乱になって息子を奪い返そうとした。
絵に描いたような幸せを感じて、日々を暮らしているアンドレアとアナ。ただ、時としてアナはエキセントリックに興奮することがあった。子供が欲しいというのは、結婚以来のアナの強い希望だったが、彼女は育児についてかなりナーヴァスになっているようにアンドレアは感じていた。
だから、というのでもないがアンドレアは夜泣きの激しい息子をあやしたり、育児に積極的だった。
悲劇は、突然訪れた。尋常ではない妻の状態に気づいて、アンドレアは起き出した。アナは、横たわった息子を前にして酷い興奮状態だった。アンドレアが息子の様子を見ると、すでに呼吸は止まっていた。彼は何度も何度も人口呼吸を試みるが、我が子は息を吹き返さない。救急車を呼べといっても、アナはフリーズしたままだ。あまりにもあっけない死だった。
ところが、アンドレアが警察に連絡を入れようとすると、アナは狂乱状態に陥って、子供を奪われるくらいなら今ここで自殺すると泣きわめいた。
困り果てたアンドレアは、とりあえず鎮静剤を水に溶かして妻に飲ませる。薬が効いて眠った妻をベッドに残し、アンドレアは息子の遺体を乗せて車のハンドルを握った。
アンドレアはシモンに電話を入れるが、シモンは酔い潰れて電話が鳴っても目を覚まさなかった。諦めて留守電にメッセージを残すと、アンドレアはトリスタンのアパートに向かった。
そして、部屋に忍び込んだアンドレアは、眠り込んでいるトリスタンとサネに気づかれることなく、二人の子供を連れ出す。トイレに、事切れた我が子の亡骸を残して…。
何が正しい行いなのか…といった固定概念に揺さぶりをかけながら、最終的にはモラリティへと帰結して行く物語である。
クライム・サスペンス的なタッチと家族の愛憎、衝撃的なツイストとラストに訪れる平穏と哀切。それを、ビアとイェンセンのコンビは美しいデンマークの水辺の情景を挿入しつつ描く。
ところどころに、登場人物も観客も容赦なく突き放す残酷なストーリーテリングを行いつつも、終始映画には女性的な冷静さとヒューマニティを感じさせるのは、この女性作家コンビの特質なのだろう。
ただなぁ…と思う。
僕は、どうしても物語前半の力技に過ぎる展開や、登場人物のステロタイプ的造型と行動原理、そしてあちこちに張られたある種あからさまな伏線ゆえに、どうにも作品に乗り切れないところがあった。
もちろん、物語の根幹をなすのはアンドレアによる幼児連れ去りといういささか荒唐無稽とも思えるギミックなのだが、その前段として実直で正義感に溢れたアンドレアの描写や、母親が赤ん坊の顔を見にも来ずにプレゼントだけ送って来るといった分かり易い物語的“振り”が散りばめられてたりする訳だ。
後半を見ればビア監督が描こうとしているテーマは明白だし、この物語を収束させるにはこの展開以外には考えられないだろう。
その畳みかける後半には流石に唸るし、感傷的になり過ぎず温かな余韻を残すラストには、誰もが救われた気持ちになることだろう。
僕が個人的に不満なのは、アンドレアやアナの人物像に深みが感じられないところである。特に、物語の鍵を握るアナという女性のエキセントリックさや心の闇、孤独と苦悩といった部分が、どうにも表層的に映るのである。
むしろ、前半では類型的に描かれながら、物語後半で俄然人物としての深みを感じさせるシモンに僕は惹かれる。部屋に散乱していたアルコール類を片づけ、一人再生に向かおうと決意するシーンは、描写が静かな分かえって胸に響く。
それから、物語の要所要所で登場する橋の佇まいがとても印象的だ。
本作は、ある種の挑発さえ感じる意欲作ではある。
だからこそ、前半の展開にもう少し他のやり方がなかったのか…と思ってしまうのだ。
だからこそ、前半の展開にもう少し他のやり方がなかったのか…と思ってしまうのだ。