6月16日、東京芸術劇場シアターイーストにて、城山羊の会『効率の優先』千秋楽を観た。
作・演出は山内ケンジ、舞台監督は森下紀彦・神永結花、照明は佐藤啓、音響は藤平美保子、舞台美術は杉山至、衣裳は加藤和恵・平野里子、ヘアメイク協力は田中陽、演出助手は岡部たかし、照明操作は溝口由利子、宣伝美術は螢光TOKYO+DESIGN BOY、イラストはコーロキキョーコ、撮影はトーキョースタイル、制作助手は平野里子・渡邉美保(E-Pin企画)、制作プロデューサーは城島和加乃(E-Pin企画)、提携は東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)、製作は城山羊の会。
協賛はギークピクチュアズ、エンジンフィルム。
協力はシス・カンパニー、吉住モータース、クリオネ、ダックスープ、Grick、TES、TTA、六尺堂、黒田秀樹事務所、シバイエンジン、E-Pin企画。
昼下がりのオフィス。ほとんどの社員が昼食に出かけ、残っているのは新婚の秋元(金子岳憲)と神埼(松本まりか)の二人だけ。電話が終わった秋元に、神崎は「部長のこと、どう思います?」と聞く。適当にはぐらかそうとする秋元に、今度は「私、小松課長にセクハラされてるんです」と言う神崎。ギョッとする秋元。
しかし、わらわらと同僚たちが戻って来て、二人の話はうやむやになる。
多忙な企画部のスタッフは、いつも冷徹でシビアな部長(石橋けい)と彼女のコメツキバッタのような小松課長(鈴木浩介)、最近離婚したばかりの田ノ浦(岡部たかし)、ガタイがデカく粗暴な添島(白石直也)、その添島と秘かに付き合っている高橋(吉田綾乃)、最近総務から異動して来た佐々木(松澤匠)、それに秋元と神崎という布陣。
各人が日々の仕事に追いまくられ、部長の指揮の元、何とか業務をこなしている…のだが、佐々木が加わったことでギリギリに保たれていたバランスがおかしな方向に狂い始める。
実は、高橋も佐々木と同じく総務からの転籍組で、彼女は佐々木がストーカーの如く自分を追ってやって来たものと不快に思っている。総務時代の二人の間には、何やらあったようだ。
その高橋のことを、結婚したばかりだというのに秋元は想っている。秋元には、彼女が添島と付き合っていることが憤懣やるかたない。
上司だから…とじっとこらえてはいるが、神崎はどうにも部長のことが生理的に嫌いで、高橋も部長のことをよく思っていない。秋元には「セクハラされてる」と言ったが、その実神崎は小松課長と不倫している。いつまで経っても煮え切らない態度の小松に業を煮やしている神崎だが、小松の妻が二人目を身ごもっていることを彼女はまだ知らない。
トイレに行ったきり戻って来ない高橋を心配して神崎が見に行くと、彼女は貧血を起こして倒れていた。神崎に助けられて戻って来た高橋を、部長は冷ややかな目で迎える。部長にとっては、効率の優先が最重要事項なのだ。
ひたすら謝る高橋とシビアな態度の部長。オフィスには不穏な雰囲気が漂う。元来の部長嫌いから、神崎は聞こえよがしに不平をこぼし、その声はもちろん部長の耳に届く。いよいよ緊張する企画部の面々。
部長は、日ごろから部内に漂う「効率を妨げる」濁った芽を摘み取らねばと考えていた。
そんな不協和音漂う企画部に、専務(岩谷健司)が顔を出して…。
舞台はここから、狂的なスピード感を伴ってエキセントリックでシニカルでブラックな展開に突入する。その毒々しくも可笑し味を含んだ展開こそ、山内演劇の真骨頂と言える。
僕は城山羊の会を『メガネ夫妻のイスタンブール旅行記』(2011)からすべて観ているが、間違いなく本作が最高傑作だろう。
というか、これまでの城山羊の会が創って来た世界観の集大成だとさえ思う。非常に優れた舞台である。
山内ケンジの劇作の特徴は、情緒性の拒絶であると言っていいかもしれない。もちろん、登場人物たちにはそれぞれの感情がある訳だが、誰もが何処か人間的に歪んでいて、まっとうな価値観とはずれたところで生きている。
ただ、当の本人は自分の価値観が歪んでいるなどとは思いもしない。そういう人たちが寄り集まって、閉塞した空間でドラマが展開するから、必然的に物語は風変りで諧謔性に満ちたものになって行く。
山内が作家性に優れているのは、感傷的なドラマツルギーに陥ることなく、のっぴきならない状況や混乱に陥った哀れな人々を容赦なく突き放せるところである。あくまでドライに。
そこに、城山羊の会独特の乾いた笑いが現出するのである。山内演劇には、決してヤワで欺瞞に満ちた優しさなど纏わない。そのヒリヒリし黒さこそが、城山羊の会を観ることの悦びに他ならない。
常識を疑い、カオスと困惑を嗤い、剥き出しの欲望を白日のもとに晒す。シニシズムという言葉が実にしっくりくる舞台なのである。
「生活の糧」である金を稼ぐために集う「会社」というミニマムな世界の中で、愛憎や欲望といった生理的感情とパブリックな場での秩序に折り合いをつけることに破綻を来たしたら、そのコミュニティはどう暴走するのか?
本作が提示するのは、その過激にして劇薬的なテストケースである。
三方を客席が囲むストレス度の高い舞台で、9人の役者たちは、各々の毒を盛大に振り撒いてくれる。正直、彼らの誰とも実生活で関わりたいとは思わないけれど(笑)
その毒を照射されることが、山内演劇の麻薬的魅力なのだ。
城山羊の会の顔とも言える石橋けいはここでも不機嫌なキャラクター全開だし、彼女とぶつかるカウンター・キャラの松本まりかや吉田綾乃も十分に持ち味を発揮している。
演出助手も兼任する城山羊の会皆勤賞の岡部たかしは、いつものように飄々とした演技を見せる。何度も客演していて岡部とはいいコンビの岩谷健司も、独特の可笑しみを披露。
その他の男優陣も、それぞれの混沌を走り抜ける。その振り切れ感が、痛快極まりない。
また、城山羊の会といえばエロティシズムも持ち味の一つだが、本作でもエロネタは健在。大ラスでの展開は、ピンク映画にも演技的振り幅を持つ岩谷健司の面目躍如だろう。
とにかく、いま日本の演劇でこれだけコスト・パフォーマンスに優れた舞台にはそうそうお目にかかれない。
協賛はギークピクチュアズ、エンジンフィルム。
協力はシス・カンパニー、吉住モータース、クリオネ、ダックスープ、Grick、TES、TTA、六尺堂、黒田秀樹事務所、シバイエンジン、E-Pin企画。
昼下がりのオフィス。ほとんどの社員が昼食に出かけ、残っているのは新婚の秋元(金子岳憲)と神埼(松本まりか)の二人だけ。電話が終わった秋元に、神崎は「部長のこと、どう思います?」と聞く。適当にはぐらかそうとする秋元に、今度は「私、小松課長にセクハラされてるんです」と言う神崎。ギョッとする秋元。
しかし、わらわらと同僚たちが戻って来て、二人の話はうやむやになる。
多忙な企画部のスタッフは、いつも冷徹でシビアな部長(石橋けい)と彼女のコメツキバッタのような小松課長(鈴木浩介)、最近離婚したばかりの田ノ浦(岡部たかし)、ガタイがデカく粗暴な添島(白石直也)、その添島と秘かに付き合っている高橋(吉田綾乃)、最近総務から異動して来た佐々木(松澤匠)、それに秋元と神崎という布陣。
各人が日々の仕事に追いまくられ、部長の指揮の元、何とか業務をこなしている…のだが、佐々木が加わったことでギリギリに保たれていたバランスがおかしな方向に狂い始める。
実は、高橋も佐々木と同じく総務からの転籍組で、彼女は佐々木がストーカーの如く自分を追ってやって来たものと不快に思っている。総務時代の二人の間には、何やらあったようだ。
その高橋のことを、結婚したばかりだというのに秋元は想っている。秋元には、彼女が添島と付き合っていることが憤懣やるかたない。
上司だから…とじっとこらえてはいるが、神崎はどうにも部長のことが生理的に嫌いで、高橋も部長のことをよく思っていない。秋元には「セクハラされてる」と言ったが、その実神崎は小松課長と不倫している。いつまで経っても煮え切らない態度の小松に業を煮やしている神崎だが、小松の妻が二人目を身ごもっていることを彼女はまだ知らない。
トイレに行ったきり戻って来ない高橋を心配して神崎が見に行くと、彼女は貧血を起こして倒れていた。神崎に助けられて戻って来た高橋を、部長は冷ややかな目で迎える。部長にとっては、効率の優先が最重要事項なのだ。
ひたすら謝る高橋とシビアな態度の部長。オフィスには不穏な雰囲気が漂う。元来の部長嫌いから、神崎は聞こえよがしに不平をこぼし、その声はもちろん部長の耳に届く。いよいよ緊張する企画部の面々。
部長は、日ごろから部内に漂う「効率を妨げる」濁った芽を摘み取らねばと考えていた。
そんな不協和音漂う企画部に、専務(岩谷健司)が顔を出して…。
舞台はここから、狂的なスピード感を伴ってエキセントリックでシニカルでブラックな展開に突入する。その毒々しくも可笑し味を含んだ展開こそ、山内演劇の真骨頂と言える。
僕は城山羊の会を『メガネ夫妻のイスタンブール旅行記』(2011)からすべて観ているが、間違いなく本作が最高傑作だろう。
というか、これまでの城山羊の会が創って来た世界観の集大成だとさえ思う。非常に優れた舞台である。
山内ケンジの劇作の特徴は、情緒性の拒絶であると言っていいかもしれない。もちろん、登場人物たちにはそれぞれの感情がある訳だが、誰もが何処か人間的に歪んでいて、まっとうな価値観とはずれたところで生きている。
ただ、当の本人は自分の価値観が歪んでいるなどとは思いもしない。そういう人たちが寄り集まって、閉塞した空間でドラマが展開するから、必然的に物語は風変りで諧謔性に満ちたものになって行く。
山内が作家性に優れているのは、感傷的なドラマツルギーに陥ることなく、のっぴきならない状況や混乱に陥った哀れな人々を容赦なく突き放せるところである。あくまでドライに。
そこに、城山羊の会独特の乾いた笑いが現出するのである。山内演劇には、決してヤワで欺瞞に満ちた優しさなど纏わない。そのヒリヒリし黒さこそが、城山羊の会を観ることの悦びに他ならない。
常識を疑い、カオスと困惑を嗤い、剥き出しの欲望を白日のもとに晒す。シニシズムという言葉が実にしっくりくる舞台なのである。
「生活の糧」である金を稼ぐために集う「会社」というミニマムな世界の中で、愛憎や欲望といった生理的感情とパブリックな場での秩序に折り合いをつけることに破綻を来たしたら、そのコミュニティはどう暴走するのか?
本作が提示するのは、その過激にして劇薬的なテストケースである。
三方を客席が囲むストレス度の高い舞台で、9人の役者たちは、各々の毒を盛大に振り撒いてくれる。正直、彼らの誰とも実生活で関わりたいとは思わないけれど(笑)
その毒を照射されることが、山内演劇の麻薬的魅力なのだ。
城山羊の会の顔とも言える石橋けいはここでも不機嫌なキャラクター全開だし、彼女とぶつかるカウンター・キャラの松本まりかや吉田綾乃も十分に持ち味を発揮している。
演出助手も兼任する城山羊の会皆勤賞の岡部たかしは、いつものように飄々とした演技を見せる。何度も客演していて岡部とはいいコンビの岩谷健司も、独特の可笑しみを披露。
その他の男優陣も、それぞれの混沌を走り抜ける。その振り切れ感が、痛快極まりない。
また、城山羊の会といえばエロティシズムも持ち味の一つだが、本作でもエロネタは健在。大ラスでの展開は、ピンク映画にも演技的振り幅を持つ岩谷健司の面目躍如だろう。
とにかく、いま日本の演劇でこれだけコスト・パフォーマンスに優れた舞台にはそうそうお目にかかれない。
舞台という一期一会のライブ空間を共有する喜びに満ちた城山羊の会。見逃すのは、人生の損失というものである。
強くお勧めしたい。