2015年7月1日ソワレ、サンモールスタジオでマーリープロジェクト旗上げ公演『golem、胎児、形なきもの』を観た。
作・演出は御笠ノ忠次、舞台監督は川畑信介(obbligato)、照明は贄川明洋、美術は松生紘子、音響は前田真宏、制作は岩間麻衣子、アートディレクターは菊田参号、プロデューサーは池田理奈。
制作協力は㈱エコラブ、obbligato、肯定座、㈱仕事、㈱スターダスト・プロモーション、ズボラザ、㈱ディスカバリーネクスト、東京スターライズタワー、合同会社バグスタジオ、バッカスカッパ、ヒラヌマ、㈱よしもとクリエイティブ・エージェンシー。
企画・制作・主催はマーリープロジェクト。
こんな物語である。
母を一人残して地元を離れた男(宮下雄也)は、定職にも就かずキャバクラ嬢をしている彼女(大久保凛)から小遣いをもらってお気楽なニート生活をしている。本能の赴くままに彼女の体を求め、しかも避妊することすらしない。ところが、彼女の方は男に夢中だ。
彼女の友人(福原舞弓)は、男のことを屑とののしっているが、それでも彼女は気にすることもない。
たった今も男は避妊せずに求めて来たが、今回は彼女もそれを嫌がった。そんな時に何度も母親から着信がある。最初は無視していた男も、最後には根負けして携帯に出た。すると、聞き慣れない男の声で母親が死んだことを告げられた。男は動揺して、すぐに田舎へと向かった。
母親がとある宗教団体で活動していたことを、男は初めて知った。母親は人望があったらしく、教団のメンバーから慕われていたそうだ。母親の葬儀一切を取り仕切ってくれた教団の一人(竹尾一真:ズボラザ)から色々な話を聞かされて、男は混乱と動揺を繰り返した。
しかし、教団の男が持って来た母の遺言状らしき封筒の中身は、一層男の心をかき乱した。中に入っていたのは男の戸籍謄本で、そこには「民法817条の2による裁判確定」と表記されていた。それは、特別養子縁組であることを示した条項だと教団の男は言った。
自分は、母の本当の子供ではなかったのだ…。
「特別養子縁組」とはあまり聞き慣れない言葉だが、普通養子縁組と差別化された制度のことである。普通養子縁組の場合、子供は戸籍上「養子・養女」と記載され、実親・養親の表記があるが、特別養子縁組の場合「長男・長女」と記載され、実親の表記もない。代わりに、「民法817条の2による裁判確定」と付記される。
つまり、普通の養子であれば二組の親が存在するが、特別養子の場合は養親のみが法的に親と認定される。戸籍上、養子であることと実親に出産の事実が明示されないよう配慮されているのが特徴で、1987年の民法改正によって導入された比較的新しい制度である。
一人の産婦人科医が行っていた行為が、この法改正へのきっかけになった。宮城県石巻市の産婦人科医・菊田昇医師(里村孝雄)である。
法に則った行為とはいえ人工中絶により乳児の生命を断つことに、菊田は次第に葛藤するようになった。やがて、彼は人工中絶を望む女性を説得して出産させ、生まれた子供を不妊に悩む夫婦に偽の出生証明書を作成した上で斡旋するようになった。実母には戸籍上出産の事実が記載されず、養親の戸籍には養子縁組した事実が残らないようにするためである。その数は、100人以上。
それだけでなく、菊田は地元の新聞に赤ちゃん斡旋の広告まで出した。それは、彼なりの社会に対する問題提起であり、意思表示であったようだ。
1973年、菊田は告発されて国会にも参考人として招致される。最高裁でも敗訴したものの、彼の行った行為は「100人以上の胎児の命を救った」という人道的見地から、賛同の声も数多く寄せられた。
その結果、生まれたのが「特別養子縁組」という制度だったのだ。
男が自分の出生の秘密を知って衝撃を受けているその時、キャバクラ嬢の彼女は自分が妊娠していることを知って…。
ディスカバリー・エンターテインメント所属の大久保凛とスターダスト・プロモーション所属の福原舞弓の二人は、2010年に劇団勇壮淑女第4回公演「ボンゴレロッソ」で共演した時に意気投合。
2014年に大久保が「一緒にやろう!」と声をかけたことで始まったのが、このマーリープロジェクトだそうである。
福原は奈賀毬子が主宰する肯定座にも所属していて、僕は肯定座公演をフォローしている縁で彼女と面識を持った。その福原さんが新しく立ち上げた演劇プロジェクトということで、今回サンモールスタジオに足を運んだ。
ちなみに、奈賀さんは今回の公演で客入れ時の案内を手伝っていた。
そんな訳で今回の公演であるが、二人の志こそ伝わるものの如何にも「旗上げ公演!」といういささか肩に力の入り過ぎた舞台…というのが僕の率直な感想である。
それは、硬質なテーマと直截的なタイトルにも表れているように思う。
中央に置かれた応接セットを取り巻く客席に座った大久保凛と宮下雄也が、いきなり濃厚なキスを交わし始める場面で開巻するというのは結構なインパクトだが、全キャストが舞台周囲の席に座っているというのが、先ずは落ち着かない。
ステージを観ているとその視野にスタンバイしている演者が目に入るというのは、キャスト陣が想像する以上に違和感があるものだ。少なくとも、僕は気になって仕方がなかった。
それは、観劇とは違ったベクトルに気持ちが注がれている場違いな人を目にする異物感とでも言えばいいだろうか。
1973年の赤ちゃんあっせん事件、できちゃった結婚なる言葉が市民権を持ち、他方では不妊治療や少子化が社会の関心事となっている現在、さらにはセクシャル・マイノリティーやLGBTといったトピックまでを題材にした硬質な物語である。それに、新興宗教団体までが登場する。
だが、それぞれのパーツがやや乱暴に並べられている感じで、物語はいささか緻密さを欠いた印象を受ける。何というか、それぞれが深刻な問題であるにもかかわらず、その表層部分だけを感情的に訴えかけてくる押しつけがましさにも似た熱さが、僕には馴染めなかった。
一番の原因は、宮下雄也演じるニートが事あるごとに感情を爆発させるからである。それを周囲の人間も同じテンションで受けて立つから、どうにも単調で情緒的な力技に終始した舞台構成になってしまっているのだ。
引きの部分や会話の行間といったメリハリに乏しいのである。
その意味では、菊田医師が苦悩する回想シーンにもっと当時の時代性と彼の内面を表現する舞台的な計算が欲しかったように思う。
里村孝雄は演技こそ静謐だが、着ている服にしても、胸から下げたネックレス(というか、ペンダント)にしても、薄茶色に染めた髪にしても、とても昭和40年代を生きる実直な産婦人科医には見えなかった。今風に過ぎるのである。
彼女の妻を演じた菅川裕子(バッカスカッパ)が淡々とした口調で過去を回想する場面はよかったが。
藤枝直之演じる弁護士が、風俗のMCみたいなしゃべりをするくすぐりもどうかと思うし、そもそも亡くなった母親が宗教団体に身を寄せていたという設定もあまり生かされているとは思えなかった。
そして、舞台は最後まで情緒的に押し切る形で幕が下ろされる。あらゆる意味で、作り手がこの公演にかける意気込みが、観ている僕にはややしんどくて疲れてしまったのも事実である。
個人的には、大久保凛の潔さを伴った芝居と愛くるしい表情に惹かれるものがあった。
マーリープロジェクト旗上げ公演は、演じる側のヒートアップがやや空回り気味な印象を受ける舞台であった。
このプロジェクトに、より洗練された次回公演があることを先ずは望みたい。
ちなみに、奈賀さんは今回の公演で客入れ時の案内を手伝っていた。
そんな訳で今回の公演であるが、二人の志こそ伝わるものの如何にも「旗上げ公演!」といういささか肩に力の入り過ぎた舞台…というのが僕の率直な感想である。
それは、硬質なテーマと直截的なタイトルにも表れているように思う。
中央に置かれた応接セットを取り巻く客席に座った大久保凛と宮下雄也が、いきなり濃厚なキスを交わし始める場面で開巻するというのは結構なインパクトだが、全キャストが舞台周囲の席に座っているというのが、先ずは落ち着かない。
ステージを観ているとその視野にスタンバイしている演者が目に入るというのは、キャスト陣が想像する以上に違和感があるものだ。少なくとも、僕は気になって仕方がなかった。
それは、観劇とは違ったベクトルに気持ちが注がれている場違いな人を目にする異物感とでも言えばいいだろうか。
1973年の赤ちゃんあっせん事件、できちゃった結婚なる言葉が市民権を持ち、他方では不妊治療や少子化が社会の関心事となっている現在、さらにはセクシャル・マイノリティーやLGBTといったトピックまでを題材にした硬質な物語である。それに、新興宗教団体までが登場する。
だが、それぞれのパーツがやや乱暴に並べられている感じで、物語はいささか緻密さを欠いた印象を受ける。何というか、それぞれが深刻な問題であるにもかかわらず、その表層部分だけを感情的に訴えかけてくる押しつけがましさにも似た熱さが、僕には馴染めなかった。
一番の原因は、宮下雄也演じるニートが事あるごとに感情を爆発させるからである。それを周囲の人間も同じテンションで受けて立つから、どうにも単調で情緒的な力技に終始した舞台構成になってしまっているのだ。
引きの部分や会話の行間といったメリハリに乏しいのである。
その意味では、菊田医師が苦悩する回想シーンにもっと当時の時代性と彼の内面を表現する舞台的な計算が欲しかったように思う。
里村孝雄は演技こそ静謐だが、着ている服にしても、胸から下げたネックレス(というか、ペンダント)にしても、薄茶色に染めた髪にしても、とても昭和40年代を生きる実直な産婦人科医には見えなかった。今風に過ぎるのである。
彼女の妻を演じた菅川裕子(バッカスカッパ)が淡々とした口調で過去を回想する場面はよかったが。
藤枝直之演じる弁護士が、風俗のMCみたいなしゃべりをするくすぐりもどうかと思うし、そもそも亡くなった母親が宗教団体に身を寄せていたという設定もあまり生かされているとは思えなかった。
そして、舞台は最後まで情緒的に押し切る形で幕が下ろされる。あらゆる意味で、作り手がこの公演にかける意気込みが、観ている僕にはややしんどくて疲れてしまったのも事実である。
個人的には、大久保凛の潔さを伴った芝居と愛くるしい表情に惹かれるものがあった。
マーリープロジェクト旗上げ公演は、演じる側のヒートアップがやや空回り気味な印象を受ける舞台であった。
このプロジェクトに、より洗練された次回公演があることを先ずは望みたい。