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瀬々敬久『ストレイヤーズ・クロニクル』

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2015年6月27日公開の瀬々敬久監督『ストレイヤーズ・クロニクル』



原作は本多孝好「ストレイヤーズ・クロニクル」(集英社刊)、脚本は喜安浩平・瀬々敬久、撮影は近藤龍人、音楽は安川午朗、主題歌はゲスの極み乙女。「ロマンスがありあまる」、挿入歌はゲスの極み乙女。「サイデンティティ」、照明は藤井勇、美術は磯見俊裕、装飾は天野竜哉、録音は小松崎永行、VFXスーパーバイザーは前川英章、アクション監督は下村勇二、編集は早野亮、スクリプターは松澤一美、スタイリストは纐纈春樹、ヘアメイクは橋本申二、助監督は李相國。
企画制作は日本テレビ放送網、制作プロダクションはツインズジャパン、製作は映画「ストレイヤーズ・クロニクル」製作委員会(日本テレビ放送網、ワーナー・ブラザース映画、讀賣テレビ放送、バップ、ツインズジャパン、D.N.ドリームパートナーズ、電通、集英社、札幌テレビ放送、宮城テレビ放送、静岡第一テレビ、中京テレビ放送、広島テレビ放送、福岡放送)、配給はワーナー・ブラザース映画。
宣伝コピーは「望まぬ“能力”と限られた“命”。それでも僕らは、生き抜くんだ。」


こんな物語である。

1990年代初頭、二つのプロジェクトによって人の進化に関する実験が極秘裏に行われた。
ひとつのチームは、被験者である親の脳に強いストレスを付加することで異常ホルモンの分泌を促し、生まれてくる次世代の子供の潜在能力を限界まで引き出す実験を行った。もうひとつのチームでは、遺伝子操作によって昆虫や動物の遺伝子と掛け合わせることで新種の人類を生み出す実験を行った。
ところが、バブル崩壊のあおりを受けてプロジェクトはうやむやのうちに立ち消えることとなった。

あれから20年後。前者の実験によって生み出された超視覚の昴(岡田将生)、超記憶の良介(清水尋也)、超腕力の亘(白石隼也)の三人は、当時のプロジェクトにも関わっていた現・外務副大臣の渡瀬浩一郎(伊原剛志)の管理下で公にできない任務を請け負っている。
彼らは超能力の代償として、脳にかかる激しい付加により「破綻」と呼ばれる精神崩壊のリスクを背負っており、20歳前後までしか生きられない運命だった。仲間の一人は、すでに破綻が原因で自殺していた。昴たちが渡瀬に従うのも、渡瀬が破綻を解消させる鍵を握っているからだった。
昴たちは、渡瀬の指示で拉致された大物政治家・大曾根誠(石橋蓮司)の孫娘(岸井ゆきの)を助け出すが、その現場で亘に破綻が起きてしまう。昴は、亘のことを渡瀬に託す他なかった。



亘の破綻を目の当たりにした昴は、今は普通に学生として日々を送っている二人の仲間のことが心配になり会いに行くことにする。一人は、超高速移動の隆二(瀬戸利樹)。隆二は久々の再会を喜びつつも、自分のことは放っておいてほしいと言った。
もう一人は、超聴覚の女子大生・沙耶(成海璃子)で、現在は養父母と一緒に生活していた。昴に再会した沙耶は、親元を出て昴と良介が暮らす家に押しかけて来てしまう。



昴は、いつ訪れるか分からない破綻の恐怖に怯え、いまだ渡瀬の元から飛び出せないでいる。
すると、その渡瀬から新たなるミッションが与えられる。渡瀬と共にパネル・ディスカッションするため来日する科学者リム・シェンヤン(団時朗)が命を狙われているのだという。リムは、もうひとつのプロジェクトを指揮した男だった。そして、彼の暗殺を企てているチーム・アゲハとは、彼の手によって生み出された超能力者集団だった。
渡瀬の命は、このチーム・アゲハを捉えること。



チーム・アゲハのリーダー学(染谷将太)は車椅子に乗った青年で、彼は死ぬと解き放たれるウィルスの感染者だった。彼の体からウィルスが放射された場合、その致死率は80%。
碧(黒島結菜)は、高周波で敵を探索する能力の持ち主。モモ(松岡茉優)は超圧縮呼気の持ち主で、装着した歯列矯正具に仕込んだ鉄鋲を吐き出して攻撃する能力を持っていた。静(高月彩良)は、相手を幻惑麻痺させる能力と猛毒なキスで仕留める殺傷能力を持っていた。壮(鈴木伸之)には超高速移動とけた外れの腕力が、ヒデ(柳俊太郎)には指を鋭利な鉤爪に変化させる硬化能力があった。
だが、遺伝子操作の代償として、彼らは老化が非常に早く生殖能力も失われており、その寿命は昴たち同様20年前後であった。唯一の例外は碧で、彼女にだけは生殖能力があり寿命も長かった。
チーム・アゲハの面々は、リムの元を飛び出し自力で生きていた。そして、自分たちにこのような宿命を科した者たちへの復讐のために、残虐な殺人を繰り返していたのだった。



昴たちは、コインの裏表のようなチーム・アゲハと対峙することになるが…。



かなりの予算がかけられた、プロジェクトの大きさを感じさせる映画である。それは、ファースト・シーンを観ただけでも伝わって来る。
しかし、である。映画としてのハコも物語のスケールも大きいのだが、126分の尺でスクリーンに映し出される作品は、映像の迫力とは裏腹に何とも粗っぽくドラマの薄さを印象付ける出来であった。
人間の傲慢さによって生み出された昴たちの苦悩は繰り返し描かれているのだが、そのバック・グラウンドにしても、彼らの戦いにしても、黒幕の渡瀬や大曾根にしても、あまりにもミニマムで矮小なのだ。
人間が自分たちの進化をコントロールするといった壮大な極秘実験が帰結する先として、ちょっとこれはないんじゃないか…と思ってしまう。
物語の悲壮感を煽るのは、言うまでもなく昴たちに極めて限定的な生しか与えられていないという感傷装置な訳だが、彼らを生み出した黒幕的存在・渡瀬の行動原理が拍子抜けするぐらいにお粗末で鼻白む思いである。

また、大曾根にしても演じる石橋蓮司は貫録十分だが、大物政治家のキャラクターとしては如何にもステロタイプである。
そして、影のように渡瀬に付き添うイラク派兵経験を持った元自衛官にして警備会社「ガソリン」社長の井原卓(豊原功補)も、佇まいこそ曰くありげだが場当たり的かつご都合主義的にしか描かれていない。

本作に登場する若手俳優たちは総じてビジュアルに優れており、その整った顔立ちを鑑賞するだけでも悪くなないのだが、昴を演じる岡田将生の演技はいささか硬いように感じる。
また、演技力には定評のある成海璃子にしても松岡茉優にしても、本来の冴えが見られず物足りない。
だが、僕が最も不満なのは渡瀬を演じた伊原剛志のあまりにもぎこちなく拙い演技である。渡瀬という男の浅薄な造形とそれに拍車をかける伊原の演技力では、物語に厚みが出ようはずもない。やはり、際立ったヒールがいてこそ、こういうジャンル・ムービーは生きてくるのだ。

その中にあって、有無を言わさぬ素晴らしい演技を披露しているのが、近年活躍が目覚ましい染谷将太である。本当に、観ていて惚れ惚れする。
また、黒島結菜の儚げな佇まいと、高月彩良の凛々しさには惹かれるものがあった。

本作は、ピンク映画時代から一貫してギリギリの生死を描いて来た瀬々敬久らしさの幾ばくかは感じられるものの、非常に中途半端な作品であった。
やはり、瀬々監督にはオリジナル脚本の作品を撮って欲しいと思う。

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