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藤田敏八『修羅雪姫』

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1973年12月1日公開藤田敏八監督『修羅雪姫』



製作は奥田喜久丸、原作は小池一夫・上村一夫、脚本は長田紀生、撮影はたむらまさき、美術は薩谷和夫、音楽は平尾昌晃、照明は石井長四郎、編集は井上治、録音は神蔵昇、助監督は瀬川淑、スチールは橋本直己。製作は東京映画、配給は東宝。並映は小谷承靖監督『ザ・ゴキブリ』。


こんな物語である。

時は、明治。柴山源蔵(小松方正)とその手下たちを仕留めた鹿島雪(梶芽衣子)は、依頼人・松右衛門(高木均)が住む東京外れの乞食集落へと赴いた。集落を脅かしていた源蔵殺しの代償として雪が求めたのは、竹村伴蔵(仲谷昇)・塚本儀四郎(岡田英次)・北浜おこの(中原早苗)の三人を探し出すことだった。松右衛門は全国の乞食を束ねる頭であり、彼はこの三人とは同じ村の出身だった。



遡って、明治六年。日本では初の徴兵令が布告され、世は騒然となった。各地で農民の一揆や焼き打ちが相次ぐ中、この混乱に乗じて竹村伴蔵・塚本儀四郎・北浜おこの・正景徳市(地井武男)の四人は無知な村人の不安を利用して大金を騙し取っていた。彼らは、白い服を着込んで村にやって来る者こそ徴兵を目論む徴兵官だと吹聴した。
そんな折、小学校教師の鹿島剛(大門正明)と妻・小夜(赤座美代子)、それに息子の司郎(内田慎一)がこの村にやって来る。剛の着ている白い制服を目にした村人は、半鐘を何度も叩いた。
集まった村人たちは、凶暴な目で鹿島一家を取り囲むと小夜の目の前で剛と司郎を惨殺。その中心で嘲笑っていた四人組は、半狂乱になった小夜を拉致監禁して、何度もなぶりものにした。



金を稼いだ四人は、ここが潮時と村を抜け出した。小夜の体に夢中の徳市は彼女を連れて東京に出て商いを始めたが、機会をうかがっていた小夜は徳市を殺した。
殺人罪で収監された小夜は、誰かれ構わず刑務所にいる男たちを誘っては交わり、同じ房にいる女囚たちから色情狂と蔑まれた。彼女は身籠ったが酷い難産で、子供の命と引き換えに自分は事切れた。
今わの際、見守る女囚たちに自分の身の上を語ると、雪と名づけた赤ん坊を託して小夜は息を引き取った。小夜は、自分に代わって復讐を遂げてくれる子供欲しさに男を誘っていたのだ。女囚たちは、小夜の亡骸にすがりついて号泣した。
程なくして出所したお富に連れられて、雪は元旗本で今は住職をしている道海(西村晃)の寺へとやって来た。その日から、雪は道海の過酷な特訓を受け、母の無念を晴らすべく修羅の道へと入って行った。



現在、雪が身を寄せるタジレのお菊(根岸明美)の元に、松右衛門から竹村伴蔵発見の報がもたらされた。伴蔵は病を患い、海沿いの村で娘の小笛(中田喜子)と暮らしていた。伴蔵は働くこともせず、酒と博打に明け暮れていた。小笛は籠を編んで生活費を稼ぐ振りをしていたが、その実は地回りのヤクザ浜勝の元で体を売って生活費を作っていた。
雪は、伴蔵が住む地へと赴き、浜勝の元に身を寄せると賭場で壷を振った。その賭場には、伴蔵の姿があった。雪は一人目の復讐を遂げたものの、何の因果か小笛と知り合うこととなった。彼女は伴蔵を殺めに行く直前、何かあったら東京にいるタジレのお菊を訪ねるようにと小笛に言った。



三年前に塚本儀四郎が海難事故ですでにこの世を去っていたことを知って、雪は大きな衝撃を受ける。この男こそ、首謀者だったからだ。心の整理もつかぬまま、雪は儀四郎が眠る墓を訪れる。ぶつけようのない怒りにまかせ、雪は墓前に供えられた花を叩き斬ると墓を後にする。
雪のすぐ後に、儀四郎の墓を訪れた者がいた。平民新聞を発行するごろつきの編集者・足尾竜嶺(黒沢年男)だった。彼は、早速雪の後をつけた。
雪は、この胡散臭い男を相手にしなかったが、竜嶺もなかなかにしたたか者だった。彼は、道海から雪の生い立ちを聞き取ると、「修羅雪姫」と題して自分の新聞で連載を始める。彼の書いた連載は評判を呼んだ。
雪は、道海の元を尋ねて自分のことをしゃべった真意を問う。道海は竜嶺という男を気に入ったようだったが、それよりもこの連載が広く知れ渡ることでいまだ行方のつかめない北浜おこのが動き出すだろうと読んでいた。

海道の読み通り、いやそれを超えて事態が動き出した。東京に出て来た小笛は、小説を読んで父死亡の真相を知り、竜嶺の元に事実を確認に来た。すべては、事実だと竜嶺は言い切った。すると、そこに官憲が踏み込んで来て事実無根の小説で世間を騒がしたかどで竜嶺を引っ張って行ってしまう。何処か様子がおかしいと感じた小笛が後をつけると、彼らは花月という料亭に消えた。
小笛はその足でタジレのお菊のところを訪ね、竜嶺の一件を話すと立ち去った。雪が花月に踏み込むと、竜嶺に拷問を加えるおこの一味の姿があった。



雪は竜嶺を助けると、おこのを追うが、一足遅くおこのは首を括って自死していた。雪は、自分の手で仕留められなかった悔しさから、おこのの体を剣で真っ二つに斬った。
しかし、竜嶺はこの時すでにとある真相に気づいていた。



終わったかに見えた雪の復讐。しかし、「修羅雪姫」の物語には、まだ語るべき最重要のくだりが残されていた…。



言わずと知れた、梶芽衣子の代表作のひとつである。クエンティン・タランティーノが大きな影響を受けて、自身の監督作『キル・ビル』(2003)で本作へのオマージュを捧げているのは広く知られたエピソードだろう。
原作は、1972年から1973年にかけて「週刊プレイボーイ」に連載された劇画である。
本作を観ていると、東宝配給作品というより何だか東映作品のようなテイストを感じる。製作の東京映画は、東宝の関連会社として設立され、「駅前シリーズ」「若大将シリーズ」等を手掛けた。
ダイニチ映配が解消されて、大映が倒産し日活がロマンポルノ路線に移行すると、増村保造や神代辰巳、本作で監督を務めた藤田敏八も東京映画で監督作を撮るようになった。本作の佇まいが何処となく東宝的でないのは、そういった事情もあるのではないか。

四章で構成された怨恨復讐譚は、今の目で観ればベタで直球ストレートな作品である。ところどころでは劇画も挿入され、まさしく昭和に隆盛を誇った外連味たっぷりの劇画活劇の趣だ。
血染めの雪吹雪にしても、いささか顔が白すぎる梶芽衣子と西村晃のメイクにしても、お約束のように進む展開にしても、ある種の清々しさを持って身を委ねていられる。まさしく、これはひとつの正しきエンターテインメントだろう。やり過ぎ感という意味では、道海が雪を鍛える場面は、まるで「巨人の星」のようである。

本作における物語的なキモは、言うまでもなく小笛と雪の関係性や、竜嶺と儀四郎の関係性である。この辺りの捻り具合が、本作をただの復讐譚で終わらせていないのだ。
ただ、終幕に向けて性急に展開するクライマックスの決闘シーンは、演出的にはやや乱暴に過ぎるのではないか。それが、惜しまれる。

で、本作最大の魅力といえば、梶芽衣子の凛々しさに尽きる。その雪を支える竜嶺を演じた黒沢年男の渋さも魅力的だし、初々しい中田喜子もいい。
個人的には、小夜役の赤座美代子や雪役の梶芽衣子の凄味に比して、北浜おこのを演じた中原早苗以外の敵役がやや淡白でヒールとして弱いのが物足りなかった。

本作は、ある意味正統的なダーク・ヒロインものの快作。
梶芽衣子のクールな情念演技を、ひたすら堪能すべき一本である。

野暮を承知で言うと、「修羅雪姫」が「白雪姫」にかけられていることは想像に難くないが、だからと言って劇中に「修羅雪姫」という言葉が出てくるのはどうかと思う。如何せん、雪という女に姫の要素は皆無である。

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