企画は増田弥寿郎、原作は梶山季之「新潮社版」、脚本は中西隆三、撮影は横山実、音楽は佐藤允彦、主題歌は「酒場人形」(作詞:山口洋子、作曲:猪俣公章、唄:青江三奈、ビクターレコード)、照明は藤林甲、録音は沼倉範夫、美術は佐谷晃能、編集は鈴木晄、助監督は藤井克彦、製作主任は岡田康房、スクリプターは熊野熙子、色彩計測は山崎敏郎・東洋現像所、スチールは浅石靖。製作・配給は日活。
1968年/カラー/82分/シネマスコープ・サイズ
こんな物語である。
銀座に7軒のキャバレーやバーを展開する暁興業で、人事部長兼保安部長として手腕をふるう篝正秋(小林旭)。彼は、ホステスのスカウトや他店からの引き抜き、トラブルの解決までを手掛ける切れ者でホステスたちからの信望も厚く、夜の街では彼のことを「女の警察」と称している。
篝は、親代わりに自分のことを育ててくれた小平社長(十朱久雄)の右腕として、東奔西走。雇ったばかりのホステス・堀江美智子(太田雅子)がたちの悪いチンピラのヒモ松田(藤竜也)に囲われているのを助け出したり、休む暇もなく働いている。
そんなある日、かつて篝がスカウトして結婚を機に店を辞めた玖島千代子(十朱幸代)の夫が、自動車事故を起こして急死する。篝と玖島は大学の同期で、千代子に玖島を紹介したのも篝だった。
篝は、雑誌編集者の玖島がかなりの特ダネを取材していた最中に事故死したことを知り、彼の突然の死に疑問を持った。そこで、玖島の葬儀で久しぶりに再会したやはり親友で興信所を開業している加藤汀三(小高雄二)と共に、事件究明に乗り出す。
一方、小平の元をライバル会社大宝観光社長の宝部(富田仲次郎)が訪れ、自分のクラブを5億で買って欲しいと持ちかけた。しかも、宝部はこの話を金融王の大川作之助(加藤嘉)にも持って行っていた。
宝部は随分と急いでいる風で、小平はこの話には何か裏があるのではと考えた。早速、小平は篝にこの件を徹底的に調べるよう命じた。
篝は、店のホステス丹羽章子(牧紀子)の上客に大川と国土開発公団の課長・藤代(木浦佑三)がいることを突き止めた。さらに、藤代は佐本覚(内田稔)と元鉄道次官の託摩周六(内田朝雄)を連れて店にやって来ていることも分かった。
並行して玖島の事故を調べている篝と加藤は、玖島の上司で雑誌編集長の田村(神田隆)から玖島が所有していた名刺入れを預かった。その中には、託摩の名刺も含まれていた。これは、何かの符丁のようだと篝は考えた。
鍵を握っていると思われた章子が、突然姿を消した。彼女に多額の支度金を用意した小平は、篝に章子を探し出すよう命じるが、意外なところからも同じ依頼が舞い込む。章子をかこっていた大川も、彼女を探し出してほしいと篝に言って来たのだ。大川は、章子の体にゾッコンだった。
調べを進めるうちに、いよいよ玖島の事故は仕組まれた殺人だったのではないかとの疑いが濃厚になって行く。託摩は憲民党幹事長の工藤(加原武門)とも繋がる大物国鉄族であり、佐本は怪しげな不動産コンサルタント、そして国土開発公団の中間管理職。宝部が一刻も早く数億の金を工面したがっていること。
大がかりな鉄道絡みの政治的な用地買収利権のきな臭い匂いが、そこかしこに漂っていた。
一方、未亡人となった千代子は、再びホステスとして働きたいと篝に懇願。夜の街に復帰する。
事件の裏に隠された真実とは?
篝は身の危険も顧みず、親友の無念を晴らすため、そして千代子のために、事件の核心へと突き進んで行くが…。
如何にもプログラム・ピクチャー然としたスピーディな展開が、誠に痛快な娯楽作品である。
クールさと熱い正義感を持ち合わせ、女にもモテまくる篝というタフガイを小林旭が軽快に演じる。
最終的な黒幕の大物加減もいいし、事件に直接関わる胡散臭い連中の存在もなかなかだ。舞台が銀座ネオン街ゆえ、登場するホステスたちと小林旭の濡れ場でもしっかりと描かれていて潔い。
ただ、篝と互いに想い合う千代子役の十朱幸代が淡白なところがいささか物足りない。ちなみに、小平社長役の十朱久雄とは、親子共演である。
本作は、青江三奈がホステス役で登場して劇中で歌を披露する歌謡映画でもあり、この後すぐにシリーズ化される。確かに、シリーズ化に適した素材である。
内容的には、如何にも日活ロマンポルノ前夜の風俗映画であるが、監督した江崎実生はロマンポルノ転向後の日活では撮っていない。助監督の藤井克彦は、ロマンポルノのローテーション監督の一角を担うことになる。
ストーリー展開としては怒涛のご都合主義が貫かれるものの、登場人物たちの魅力、波状攻撃のように畳みかけてくるエピソードの数々、悪役がしっかりとキャラ立ちしているところ等々、娯楽作品に必要な要素をすべて備えていると言っていいだろう。
おまけに、太田雅子こと梶芽衣子も小林旭を誘惑しようとしっかり脱いでいるし、青江三奈の歌唱シーンまで観ることができるのだから、これ以上何を求めるものがあるというのだろう。
ある意味、今こそ学ぶべき点の多い一本である。