本作は、新進気鋭の映画監督とアーティストの掛け合わせによる映画制作企画の具現化する音楽×映画プロジェクト「MOOSIC LAB 2015」エントリー作品の一本である。
こんな物語である。
若手女子監督コンビの西本マキと吐山ゆんの二人は、歌手デビューする俳優・波川完治(松浦祐也)のPVを撮影中。その様子を、事務所社長の浜田浩文(世志男)が見守っている。
すると、どこから現れたのかどう見ても時代錯誤のボディコンを身に纏った二人組が一緒に出演させろと波川の両脇にぴたっと貼りついた。マキもゆんもキレ気味になるが、こともあろうに浜田社長はこの二人をバック・ダンサーに使うと言い出す始末。早くも、撮影は波乱の予感が立ち込める。
予想通り、謎の二人組ベッド・インの中尊寺まいと益子寺かおりのやり放題のために現場はカオスとなってしまう。とりあえず、休憩を宣言したマキとゆんだったが、撮影を再開しようとするも波川の姿が見えない。彼は、「旅に出ます。探さないで下さい」という置き手紙を残し、失踪してしまった。
すると、ベッド・インは自分たちを主役にして撮影を続けろとさらなる無理難題をふっかけて来た。もちろん、マキとゆんは却下するが、ベッド・インは浜田社長に色仕掛け。たらし込まれた浜田社長は、景気よく予算を上積みして、助監督の近藤力(津田篤)、照明の三上寛樹(三元雅芸)、録音の野村義枝(太田美乃里)まで呼び寄せる。
そんな訳で、PVだったはずの撮影はいつの間にかベッド・イン主演のトレンディ・ドラマ『ベッド・イン THE MOVIE(仮)』に企画が変更されてしまうが、そもそも20代半ばのマキとゆんにはベッド・インが話す90年代バブルのネタは、若いマキとゆんには皆目分からない。
ベッド・インの相手役として呼ばれたかつてのトレンディ俳優・江口良介(深澤和明)と石田駿作(竹本泰志)の二人を見ても、マキとゆんには「ああ、あの育毛剤と白髪染めのCMに出てる人…」程度の感慨しかわかない。
そんなこんなで、どんどんベッド・インのペースに巻き込まれて行くマキとゆん。
次に、ベッド・インの二人は、マキとゆんを強引にライブハウスへ連れて行く。会場ではロック・バンドが演奏中だったが、観客をかき分けてベッド・インがステージに乱入。彼らをバックバンドに押しやって、ライブをジャックしてしまう。
最初はブーイングを送っていた観客たちだったが、いつしかベッド・インのライブに熱狂。その姿を見て、マキとゆんもこの二人組のことを少し見直してしまう。
ところが、江口と石田が車の事故で負傷。急遽、この二人の代役が必要になってしまう。一人は、照明部の三上がいい男でまいとゆんが彼のことを狙っているため安易に決定。
もう一人を探すべく、マキとゆんは街頭でナンパまがいのスカウト活動を始める。偶然声をかけた陣内隆伸(渡辺祐太朗)が駆け出しの役者と知って、二人は彼にもうプッシュ。おまけに、陣内はマキの好みのタイプだった。
そんな訳で、陣内の事務所に出演交渉に出向いたマキとゆん、それにベッド・インだが、女社長の沼津千明(倖田李梨)からそんなお下劣な映画に陣内を出す訳にはいかないとにべもなく断られてしまう。なおも食い下がって交渉してると、じゃあ所属の女子プロレスラー、ファビュラスギャルズとタッグマッチをやって勝てたら出してやるとの条件を出される。
ベッド・インの二人はその条件を快諾すると、そのまま秘密の特訓をするために姿を消した。
予想に反して、ベッド・インは、ミネアポリスあけみ(ミス・モンゴル)とテキサスまどか(和田みさ)のタッグに快勝してしまう。ようやく、トレンディ・ドラマは撮影再開へと漕ぎつけた。
無事に映画はクランク・アップ。打ち上げの席で三上と陣内の気を引こうと、ゆんもマキも滅茶苦茶力を入れた衣装で会場に。ところが、当のベッド・インも男優二人もやって来ない。またしても、あの二人にしてやられたのだった。
それどころか、完成した映画を見ることもなくベッド・インはマキとゆんの前から忽然と姿を消してしまう。
いつしかベッド・インの二人に戦友意識のようなものを抱き始めたマキとゆんは、自分たちのユニットに「破れタイツ」という名前をつけて、ベッド・インを探し始めるが…。
この作品くらい、ストーリー紹介が意味をなさない作品も珍しい。観てみないことには、その魅力や可笑しみがまったく伝わらない映画である。
というのも、本作の面白さは、ベッド・インのインパクトと科白の妙であり、破れタイツのテンポと間だからである。それと、共演陣がベッド・インのペースに巻き込まれて行く雰囲気である。バンに乗り込み、ベッド・インの間に挟まれる三元雅芸など、素で笑ってるようにしか見えない。
まあ、一人暴走気味に滅茶苦茶なのは和田みさだけど(笑)
ある意味、ベッド・インにしても破れタイツにしてもフェイク・ドキュメンタリー並みに「そのまんま…」と言えなくもない。
劇中の会話ではふんだんにバブル期のテクニカル・タームが盛り込まれている訳だが、ベッド・インの二人にとってバブル期というのはもはや近現代史的な位置だから、彼女たちは徹底的な時代考証に基づいて緻密にコンセプトを練り上げているユニットと言っていいだろう。ベッド・インの芸風(と言っていいのか?)は、その裏に生真面目なくらいの勤勉さが伴わなければ、なかなか出来ることじゃないと思う。プロフェッショナルな人たちなのだ。
破れタイツの二人は、いとうせいこうが総合プロデュースを務める第4回したまちコメディ映画祭in台東(2011)で三冠を受賞した期待の若手女性監督ユニットである。劇中で流れる「じ ぞ う」 はその時の受賞作だし、ご丁寧にトロフィと賞状まで登場している。
ちなみに、ラストに二人が着ている衣装も自作だそうである。
さて、本作についての感想を書こう。
かなりカオスでハチャメチャなコメディではあるが、僕の個人的な印象を書けば「実に、生真面目に作られた作品だなぁ…」ということになる。
何というか、作品の端々にサーモン鮭山こと中村公彦監督と脚本担当の当方ボーカルこと小松公典の作家的律儀さとサービス精神が感じ取れる。
で、キャラクターのリアリティとコラボレーションの充実を図るべく、ベッド・インと破れタイツ双方の意向を作品に反映しているため、この二組は生き生きと描かれている。その反面、映画はやや盛り込み過ぎてオーバーフロー一歩手前的な佇まいを見せている。
その辺りのトゥー・マッチさも含めて、カタいこといわないで笑いながら楽しむのが本作への正しい接し方だと思うが、野暮を承知でさらに書き進めたいと思う。
この作品に貫かれているのは、言ってみればベッド・インのアイデンティティでもある「記号としてのバブル」である。
だからこそ、過剰なくらいにバブル期のキーワードが散りばめられているし、正直に言ってその部分は分かる人だけ笑えばいいのである。個人的に一番笑ったのは、「ジーザス栗と栗鼠」「人間発電所」だったけど、まあいいや…。
キーワードをすべて理解できるのは40代後半から50代前半の人だろうし、そもそもそういった言葉など分からなくても、本作のノリは楽しめるはずである。そういったバブル期が分からない人の代表として、破れタイツの二人が機能している部分もある訳だから。
つまり、この作品の物語構造は、ベッド・インが掻き回して破れタイツが収束させるというその繰り返しで進んで行く。そして、キメる個所では、もう一度ベッド・インに戻って持って行くという流れである。その反復運動と小ネタの数々が、作品としてのエンジンになっている訳だ。
ただ、僕が気になったのは、70分という尺の中で幾度となく映画が冗長に感じられたことである。
ベッド・インにとってはこれが映画デビュー作だし、キャラクター一発勝負的な部分が大きいにせよ、周囲の共演陣も含めていささか演技的に単調なのだ。破れタイツの二人は、そもそも独自のテンポを持っているから映画のリズム感になっているのだが、作品トータルとしての映画的グルーヴにはやや乏しいように思う。
とりわけ、深澤和明と竹本泰志が絡むトレンディ映画の撮影シーンの部分や、世志男とやり取りする部分では、もう少し男優陣に振り切れた勢いが欲しいように思った。和田みさ程の勢いは要らないにしても。
その意味では、松浦祐也の可笑しさは流石だと思う。
女社長役の倖田李梨は妙に可愛くてツボだったが、登場シーンで強面に挑発する場面でやや型にはまった怒り演技が散見されて残念だった。
もうひとつ気になったことといえば、音楽シーンの音圧の低さと音の抜けの悪さである。音楽と映画のコラボレーションが主要テーマな訳だから、音楽シーンにもう少しインパクトが欲しいように思う。
あと、これはもう予算の関係で詮無いことだけど、本当ならプロレス・シーンで『カリフォルニア・ドールズ』 的なヒート・アップが欲しいのだが、それは僕なんかよりもよほど監督とプロレス好きの脚本家が切実に思っていることだろう。
本作は、カオスなバカバカしさと遊び心が魅力の怪作。
テンポ的に不満もないではないが、このメンバーでもう一度何かやらかして欲しい気がする。
余談ではあるが、深澤和明は元BOØWYのメンバーで、竹本泰志が主宰する東京パワーゲートのメンバー。BOØWYの1stアルバム『MORAL』収録の名曲「NO. NEW YORK」は、深澤の作詞である。
そして、この二人のマネージャー広畑聡として登場するのは、サーモン鮭山である。