1985年11月3日公開の黒沢清監督『ドレミファ娘の血は騒ぐ』 。
企画は丸山茂雄・宮坂進、プロデューサーは荒井勝則・山本文夫、脚本は黒沢清・万田邦敏、撮影は瓜生敏彦、美術は星埜恵子、音楽は東京タワーズ・沢口清美、照明は片山竹雄、編集は菊池純一、録音は銀座サウンド、助監督は万田邦敏、監督助手は岡田周一・佐々木浩久・鎮西尚一、撮影助手は岡本順孝・佐竹力也、美術助手は暉峻創三・塩田明彦、照明助手は及川一郎・矢木宏、特殊美術は昼間行雄、特殊機材は河村豊、記録は高山秀子、メイクは浜田芳恵・志川あずさ、タイトルはハセガワプロ、現像は東京現像所、スチールは野上哲夫、制作進行は庄司真由美・植野亮・寺野伊佐雄、製作デスクは山川とも子、宣伝は勝野宏。
協力は多摩美術学園、ぴあ株式会社、立教大学、S・P・P、位相機械ユニット、キー・グリップ、光映新社、東洋照明、日本照明、ペーパーメイル、三穂電気。
製作はEPIC・ソニー、ディレクターズ・カンパニー、配給はディレクターズ・カンパニー。
こんな物語である。
「とうとう来ました、吉岡さん」。
同じ高校でバンドをやっていた愛する吉岡実(加藤賢崇)を追いかけ、吉岡が通っている東京の大学へと田舎からはるばるやって来た秋子(洞口依子)。
学生たちでごった返すキャンパスの華やかさに戸惑いながら、秋子は彼が所属しているはずの音楽サークル「ベラクルス」の部室を見つけ出した。いざ、中に入ると部室の中から激しい息遣いが聞こえて来る。覗いてみると、男女が求め合っていた。驚いて、部室から飛び出す秋子。
部室に吉岡がいないと分かり、秋子は吉岡が専攻している心理学科の平山ゼミを訪ねることにする。すると、先ほど部室でセックスしていたエミ(麻生うさぎ)が何もなかったような顔で秋子に話しかけて来た。二人は、連れ立って教室へと歩いて行った。
教室では、すでに学生たちが集まり平山教授(伊丹十三)の講義が始まっていた。エミは、何の躊躇もなく教室に入って行き、秋子も彼女に続いた。ところが、ここにも吉岡はいなかった。学生(岸野萌圓)の話では、最初の一、二回しかゼミに出て来ていないらしい。
諦めて、秋子は教室から出て行った。
ようやく秋子は吉岡との再会を果たすが、吉岡は高校時代とは似ても似つかぬ軽薄でいい加減な男に成り下がっていた。彼女の恋心は、一瞬にして冷めてしまった。大いなる喪失感を胸に秋子は帰京しようとするが、その彼女を平山が引きとめる。
ゼミ生たちと日々禅問答のような噛み合わない議論を続ける平山の研究テーマは「恥じらい」であったが、ゼミ生たちが平山に何の断りもなく彼が考案した「恥ずかし実験」を実践してしまう。感情コントロールを失った学生たちは破廉恥な肉欲を爆発させ、教室内はたちまち性的カオスとなった。
彼らに大いなる失望を感じた平山は、実験素材としても女性としても気にかけていた秋子を誘い、特別実験室で自ら考案した「恥ずかし実験」を二人きりで実践にするが…。
ミリオン・フィルム配給のピンク映画『神田川淫乱戦争』 (1983)でデビューした黒沢清が、にっかつ配給のロマンポルノ並映作として撮った二本目の商業映画『女子大生 恥ずかしゼミナール』は、諸事情から公開が白紙になってしまう。
そこで、絡みのシーンを大幅にカットした上で20分の追撮を行い、一般映画として再構成したのが洞口依子の映画デビュー作『ドレミファ娘の血は騒ぐ』である。
『神田川淫乱戦争』も相当に人を食ったユニークというよりサブカル的な感じで斜に構えたピンク映画だったが、本作もまさしくその延長線上の作品になっている。
『神田川淫乱戦争』に関わったキャスト・スタッフの多くが、本作にも参加している。ピンク映画の人気女優で、じゃがたらのバック・コーラスや一部の曲では詞も提供していた麻生うさぎは、本作が現時点では最後の映画出演作となっている。平山ゼミの学生を演じている岸野萌圓は、音楽を担当している東京タワーズの岸野雄一である。
スタッフでは、撮影の瓜生敏彦や万田邦敏、塩田明彦、菊池純一、勝野宏が共通しており、製作助手だった笠原幸一は本作で内部エキストラ的に登場する。
とにかく、前作以上にゴダール的にシュールで唐突なカット(ラストの戦争シーンなど、その典型)が随所に見られるし、遊びにしても青臭ささえ感じてしまう自主製作ノリ全開の演出には、自己完結的な退屈さと紙一重の危うさも確かにある。
こういう作品が商業映画として公開されたことに、ある意味当時の豊かさを感じてしまったりする訳だ。それはそれで、何とも羨ましく思う。
まあ、今となっては“あの”黒沢清監督の初期作品という格好の分析アイテムという捉え方もできるし、「洞口依子は、最初から洞口依子だった!」という感慨を抱いたりもする
いずれにしても、幻作品としてお蔵入りすることなく本作が公開されたことを歓迎したい。
僕は、麻生うさぎが大好きで彼女目当てに本作を観たのだが、演技的な拙さは否定できないものの絡みのよさとキュートな存在感に惚れ惚れしてしまった。本当に、本作以降彼女の出演作がなかったことが残念でならない。
…にしても、本当に奇妙奇天烈で珍妙な作品であり、何処にも属さない不思議な映画である。個人的には、妙にスカしたナイス・ミドルな伊丹十三の魅力も捨てがたい。
洞口依子ファンにはこの形で公開されたことを歓迎する向きが多いと思うが、ピンク映画に思い入れのある僕のような者にとっては、当初の『女子大生 恥ずかしゼミナール』版の方こそ是非とも観てみたいと思ってしまう。カットされたシーンには、麻生うさぎが絡む素材も多かっただろうし…。
傑作でも問題作でもないけれど、記憶の片隅にひっそりとしまっておきたい不思議に特別な一本である。