2015年12月5日公開、山崎樹一郎監督『新しき民』。
プロデューサーは桑原広考・黒川愛・中西佳代子、脚本は山崎樹一郎、撮影は俵謙太、照明は大和久健、俗音は近藤崇生、美術は西村立志、組付大道具宇山隆之、助監督は福嶋賢治、メイク・結髪は中野進明、衣裳は石倉元一、アニメーションは中村智道、音楽は佐々木彩子、スチールは内堀義之、宣伝美術は山本アマネ。
製作・配給は一揆の映画プロジェクト、製作協力はシネマニワ、宣伝はcontrail。
DCP/117分/モノクロ・パートカラー/1:1.5 Half Vision/5.1ch/2014年/日本
本作は、280年前に津山藩内の山中(現・岡山県真庭市)で起こった一揆を題材に、三年の歳月をかけて製作された映画である。
なお、山崎樹一郎は真庭市で農業を営みながら映画製作をしている異色の監督である。
こんな物語である。
1733年、中国山脈旭川上流の山間に位置する山中(現・岡山県真庭市北部)。治兵衛(中垣直久)は、風呂敷を背負って一人峠を歩いている。
製作・配給は一揆の映画プロジェクト、製作協力はシネマニワ、宣伝はcontrail。
DCP/117分/モノクロ・パートカラー/1:1.5 Half Vision/5.1ch/2014年/日本
本作は、280年前に津山藩内の山中(現・岡山県真庭市)で起こった一揆を題材に、三年の歳月をかけて製作された映画である。
なお、山崎樹一郎は真庭市で農業を営みながら映画製作をしている異色の監督である。
こんな物語である。
1733年、中国山脈旭川上流の山間に位置する山中(現・岡山県真庭市北部)。治兵衛(中垣直久)は、風呂敷を背負って一人峠を歩いている。
遡ること、七年前。津山藩領内、山中で小作をしている治兵衛。妻のたみ(梶原香乃)は身重で、随分とその腹は大きくなっている。
たみの兄・新六(本多章一)は元・木地師で、現在は地主・権右衛門の婿養子。彼はは文武に長けており一時は侍を志していたほどだが、現在は慣れぬ百姓仕事に苦労している。そんな新六にとって義弟の治兵衛は頼りになる存在だったが、権右衛門は治兵衛のことを毛嫌いしていた。
治兵衛には、幼馴染で同じ小作仲間の万蔵(佐藤亮)という友人がいるが、万蔵は米を盗んだかどでしょっ引かれ、それ以来山奥で母のたづ(ほたる)と世捨て人のように暮らしている。
時折、治兵衛は万蔵の住みかに食べ物を差し入れてやったが、いよいよ年貢が厳しさを増しており食べ物の調達もままならなくなっていた。そして、治兵衛の目には日毎に万蔵が弱っているように映った。
津山藩では、藩主の死により色々と良からぬ噂が囁かれていた。そんな折、勘定奉行の神尾伊織(川瀬陽太)は、幕府に召し上げられる前に山中里蔵の年貢米を集めるよう命じた。
日に日に藩からの年貢取り立ては厳しさを増し、生活苦にあえぐ者たちの不満も雪だるま式に膨れ上がっていた。山中では、徳右衛門(瓜生真之助)を中心に一揆の頭衆が組織され、日夜密談が繰り広げられていた。新六も、その一人である。
いよいよ、徳右衛門は蜂起を決意する。藩への要求は、年貢の軽減や免除等六箇条。新六の提案で、木地師やたたらにも賛同を得るため山年貢や運上銀免除も加えられた。
一揆の頭衆は、山中惣百姓が蜂起することになったと村に触れ回った。新六は、木地師の頭(藤久善友)の元を訪れ蜂起に加わるよう働きかけた。山年貢や運上銀の免除も要求に加えたと聞くと、頭は蜂起への協力を約束した。
百姓や山の衆の群衆が取り囲む中、大庄屋屋敷で交渉が持たれ、藩側は山年貢と運上銀以外の要求を受け入れた。徳右衛門はその回答を受け入れたが、同じ席にいた新六の顔は曇った。
屋敷から出た徳右衛門は交渉結果を群衆に伝え、勝利宣言すると解散を命じた。その言葉に百姓たちは歓喜の声を上げ、その声に山の衆たちの不平の言葉はかき消された。
藩の狙いが百姓と山の衆を二分することだという新六の想像通り、山の衆たちを中心に、庄屋の米蔵を襲う暴徒が現れた。その流れは、新六にも徳右衛門にも止めることは不可能だった。
治兵衛は、たみに「今度は本気で殺されっぞ」と怯えた表情で告げると、家を飛び出して行った。
これがきっかけとなり、徳右衛門たちはとうとう藩と戦を構えざるを得なくなる。ところが、百姓たちの動きを察知した藩は、早くも部隊を送り込んた。内部に、藩と密通している者がいる。その裏切り者は、新六ではないのかと一揆首謀者たちは思い込んだ。
一方、津山藩では今回の騒動の責任で伊織に所払いを命じた。「それならいっそ、切腹を…」と伊織は唇を噛み締めた。
藩への内通者は、松吉だった。彼が事前に情報を漏らしていたせいで、徳右衛門たちの蜂起はいともたやすく鎮圧され、百姓たちは次々に首をはねられた。
その様子を影から見ていた新六と治兵衛は山道を逃走していたが、新六は引き返すと言い出す。「お前はどうするのか」と問われ治兵衛が言葉に窮していると、そこに万蔵の幻影が現れて逃げることを忠告した。
治兵衛は、おもむろに路傍の石を拾い上げると自らの顔に打ち付け、変わり果てた顔で「わしは、行く」と言った。その背中に向けて、新六は「生きて帰れ」と言葉をかけた。
それから、七年の歳月が流れ…。
本作は、自主製作映画という制約や枠を軽々と越える熱い志に満ちた力作である。冒頭、雪の中に歩を進める治兵衛を映し出すシーン、そこに被さるスピリチュアルなピアノの旋律。それだけで、観ている者は居住まいを正してこれから語られる物語に対峙する気分になることだろう。
本作を撮る上で監督の山崎がこだわったのは、一揆首謀者たちを物語の中心に据えるのではなく、その周辺で普通の生を営む市井の人を主人公に現在へと繋がる普遍的な物語を紡ぎ出すということであった。
山中一揆の取材を進める中で一揆参加者の子孫から話を聞いた人物の人生が、治兵衛のモデルになっている。
ほぼモノクロームの映像で語られる山中一揆の物語は、山崎の意図通り一揆周辺の市井の人々の生活に寄り添いながら淡々と進んで行く。映画的ドラマチックさをあえて回避するストーリーテリングは、舞台となった真庭市で生きる山崎樹一郎の作家的真摯さを強く印象付ける。
ただ、彼が貫く誠実な語り方が、この映画に込められた熱量をともすれば映画の内側に蓄積させて、“共鳴する人は強く共鳴するが、一般的な意味では観る人の間口をやや狭くしている”というもどかしさを感じてしまう。
これだけのロケーションで、現代へと通ずる市井の人の営みを描いた力作だからこそ、映画マニアだけでなく沢山の人に届いて欲しいと僕は思うのだが、それにはやや物語的なカタルシスというかドラマ的仕掛けを抑制し過ぎているように思うのだ。
一揆をあくまで題材と捉える方向性はもちろん悪くないのだが、一揆首謀者たちによる隠れ家での密談シーンにしても、藩側との交渉シーンにしても、裏切り者の密告によって徳右衛門たちが次々捕らえられて斬首されるシーンにしても、神尾伊織が刺客に倒れるシーンにしても、いささか淡白に過ぎるように思う。
登場人物の造形にしても、主人公・治兵衛よりむしろ周辺にいる新六や治兵衛にとっての黙示録的存在として登場する万蔵の亡霊、あるいは神尾伊織の方に人物的な厚みや魅力を感じてしまう。
結局のところ、治兵衛が愛する妻やこれから生まれる我が子を捨てて七年間も逃亡した後、とある事件をきっかけに郷里に戻るまでの葛藤や苦悩がほとんど削ぎ落されてしまっているが故に、観る側にとっていささか治兵衛は共感しづらいのである。
それから、逃亡先の京都の長屋で治兵衛と伊織が隣人となっており、酒を酌み交わすある意味シニカルなシーンも、あえてこういう映画的邂逅をさせるのであれば、もっと描き方があったのでは…と思う。
僕が強く感じたのは、この映画は山中一揆を題材にあえて逃亡を選ぶ治兵衛という平凡な男の人生を描いてはいるが、実のところ彼の逃亡と帰還劇もまたこの物語にとってはひとつの題材に過ぎぬのではないか…ということである。
では、結果的に本作の中心として描かれているものは何なのか?
それは、一揆や藩の政策に翻弄されながらも自分たちの意志を貫き、したたかに強く生きようとする女たちである。治兵衛の妻・たみであり、万蔵の母・たづであり、伊織の妻・しん(古内啓子)であり、木地師の頭の妻・さち(西山真来)のことだ。
それを最も強く印象付けるのが、七年間の不在後に戻った治兵衛が目にするたみたち四人の女が麦畑で種を撒いているシーンだろう。
ラストで物語は現在へと時を駆けるのだが、そこで治兵衛とたみの子孫が自分たちの“娘”に語って聞かせる「かつて、この地であった一揆を巡る昔話」のシーンを観ていても、治兵衛の子孫よりたみの子孫と娘の方に人生の輪舞曲を見てしまうのは、いささか感傷的に過ぎるだろうか?
佐々木彩子のつけた素晴らしい音楽共々、多くに人の胸に響いて欲しいと思う。