2015年12月12日マチネ、三鷹市芸術文化センター星のホールにて城山羊の会『水仙の花 narcissus』を観た。
作・演出は山内ケンジ、舞台監督は神永結花・森下紀彦、照明は佐藤啓・溝口由利子、音響は藤平美保子、舞台美術は杉山至、衣裳は加藤和恵・平野里子、演出助手は岡部たかし、宣伝美術は螢光TOKYO+DESIGN BOY、イラストはコーロキキョーコ、写真は伊藤之一、撮影は手代木梓・ムーチョ村松(トーキョースタイル)、制作は平野里子・渡邉美保、制作助手は山村麻由美、制作プロデューサーは城島和加乃(E-Pin企画)。製作は城山羊の会。
主催は公益財団法人三鷹市芸術文化振興財団、協賛はギーク ピクチュアズ。
協力はジュデコン、エー・チームオフィススリーアイズ、レトル、ダックスープ、バードレーベル、青年団、山北舞台音響、ランプ、田中陽、TTA、黒田秀樹事務所、シバイエンジン、E-Pin企画。
こんな物語である。
突然、舟木(金子岳憲)は部屋の中に入って来ると、映子(松本まりか)に向けて二発発砲。その後、舟木は自分のこめかみを撃ち抜き自殺。動かなくなった二人を、奥から姿を現した高崎馬(岡部たかし)が覗き込んでいる…。
イズミタカシ(吹越満)は、近くの道に倒れていた女・映子を自分の家に連れて帰りソファに寝かせて様子を見ている。ようやく意識を取り戻した映子は、自分は撃たれて…と胸を押さえるが、イズミは怪訝そうな表情を浮かべる。それもそのはず、映子には流血はおろか傷一つなかった。
イズミは映子から花の香りがしていると感じたが、映子は「自分は、香水などつけていない」と言って首を傾げた。
そこへ、イズミの一人娘で大学生の百子(安藤輪子)が水を運んでくる。映子はグラスに入った氷入りの水を飲み干し人心地つくが、混乱した状態のままだ。何故か彼女は自分が撃たれたと思い込んでおり、そもそも何で道端に倒れていたのかさえ分からないありさまだった。
イズミも戸惑っているところに、奥から義理の妹キヨミ(島田桃依)と医者の夫・丸山(岩谷健司)が暇するために顔を出す。今日は、急逝したイズミの妻・仙子の四十九日だったのだ。
丸山夫妻も事情を飲み込めぬまま、映子に興味を抱いてあれこれと好き勝手なことを言い出す。二人は映子が仙子によく似ていると言って、無遠慮に彼女の顔をべたべたと触り始めた。触れられる度に映子は悩ましげに悶えたが、そのうち感極まって泣き出してしまう。部屋には何とも気まずい空気が流れ、それを潮時に丸山夫妻は帰って行った。
百子が二杯目の水を注ぎに行き、部屋のソファには映子とイズミの二人だけになった。映子は、何やら科を作るように「さっきは、御免なさい。泣き出したりして。あなたに触られたら、泣かなかったのに…」と甘い声を出すと、イズミの手を取って自分の顔に触れさせた。妖しげな溜息とつくと、彼女は突然イズミに口づけした。イズミは、はじかれたように映子の体に覆い被さった。
台所から水を持って戻って来た百子は、ソファの上でもつれ合う二人の姿を見て手に持っていたグラスを落とした。
イズミ家のソファに座り、百子のボーイフレンド・中村ヒロ(重岡漠)が浮気相手とスマホで話している。そこに百子が帰って来て、慌てて中村は電話を切った。
百子はそれが女との電話だと嗅ぎ取ってカマをかけてみると、あっさり中村は認めてしまう。持ち前のサディスティックさで、ねちねちと陰湿に中村を責め始める百子。
何故か台から落ちて水が床を濡らしている水仙の花瓶に気づいた百子は、「花瓶を元に戻せ」「こぼれた水は口で吸い取って、それも元に戻せ」と滅茶苦茶なことを言い出す。
部屋が騒がしいことに気つき、女中が片付けに来る。黒のメイド服を着ているのは、何と映子だった。
あの日の騒動の結果、何故か彼女は腰痛で辞めた前任の代わりにイズミ家の女中として働くようになっていた。映子は水仙の花瓶を元通りに片づけると、二人を残して買い物に出かけた。
しばらくすると、イズミが見知らぬ男・舟木を伴って帰宅する。舟木は映子の兄で、家の前の道でバッタリ会ったのだと言う。偶然にしては出来過ぎていないかと百子は訝しく思うが、そこに映子が買い物から戻って来る。
ひと目舟木の顔を見るや、映子は固まった。彼女は、「自分に兄などいない。この人は、私の夫です」と不快感も露わに吐き捨てた。イズミと百子は、舟木の方を見た。舟木は、動揺して歯切れ悪くいい訳を始めるが、要するに彼は逃げ出した妻を連れ返しに来たのだった。
しかし、彼女は頑なに舟木を拒んだ。映子とイズミは出逢った日から数え切れないくらい何度も男と女の関係を持っており、二人の営みをこっそり百子がのぞいていると映子は挑発的に言った。
その甘い声と仕草に、イズミは催眠術にでもかかったかのように映子の体に吸い寄せられて行く。百子が絶叫して止める声も届かず、二人は体を求め始めた。
突然、イズミ家を丸山夫妻が訪れた。二人の来訪は、四十九日の法要以来だ。二人のためにお手伝いがコーヒーを運んで来るが、それは何とボーイ姿をした舟木だった。
丸山は、仙子名義の不動産のことで話があると切り出すが、その言葉を遮ってイズミは「実は、仙子が生きていた」と言い出す。これには、丸山夫妻も顔を見合わせるしかなかった。
仙子は、三鷹市芸術文化センターの階段で何者かに背後から突き落とされ、死んだのだ。彼女の死に顔は、丸山もキヨミもちゃんと確認している。
だが、イズミの話によれば、階段から落ちた衝撃で女の顔は判別不能なくらいに滅茶苦茶になり、それを手術で復元したのだと言う。だから、事故の時点で誰かの死体を仙子と取り違えてしまったのだ、と。狐につままれたような話だ。
そこに仙子が姿を現すが、彼女はどう見ても映子だった。さらには、今回の件でコンサルタントとして雇われたという怪しげな男も登場する。男は、高崎馬と名乗った。
この後、帰宅した百子も交えてさらに話は二転三転。事態は、思ってもみない方向へと暴走を始める…。
会場が三鷹市芸術文化センター星のホールで、前説が森元さん…とくれば、熱心な城山羊の会ファンならすぐピンと来るはずだ。
森元さんが開演前の注意事項を話すところから、すでに舞台は始まっているのだ。しかも、今回は2013年12月に星のホールで上演した『身の引き締まる思い』 で森元さんが果した役割を説明するくだりがそのまま物語のイントロダクションになっていた。
その他にも、前回公演『仲直りするために果物を』 (2015)が小ネタに使われたり、謎のコンサルタントの名前が『あの山の稜線が崩れていく』 (2012)の登場人物と同じ高崎馬であったりといった遊びが本公演にはさりげなく配置されている。
このあたりにも、山内ケンジに劇作家としてある種の余裕ができて来たように感じる。
だが、そういった遊び心とは裏腹に、物語全体を覆うのは「淫靡で不穏な悪意」と「狂気に満ちた容赦のない暴力性」である。
上質なタペストリーの如く緻密に織り上げられた理不尽に残酷な舞台は、次第に観客の思考力をも奪い始め、やがては物語自体の世界観や時間軸までも歪ませて、何もかもを不条理な地獄に飲み込んでしまう。そう、まるで水仙の花から漂う甘美にして妖しい香りのように。
観るものを煙に巻くような冒頭から、あえて演出的にほとんど聞き取れるかどうかギリギリのトーンで発声する吹越満と松本まりかの会話からして、舞台には張り詰めた尋常ならざる緊張感が漂う。
ところどころで山内ならではのくすぐりも散りばめられてはいるが、次の瞬間にはエキセントリックなツイストが用意されている。波状攻撃のように畳みかけるスピード感と、暗転する度に物語自体のフレームが歪む展開に、我々は幻惑され続ける。
その目まぐるしいまでのドライヴ感と、徹底的に突き放すドライネスこそが山内演劇を観ることの麻薬的快感に他ならない。
タイトル「水仙の花」が指すのは、正確には水仙の花が放つ芳香のことなのだが、さらに具体的に言うとその香りは映子あるいは仙子、そして百子の股間から放たれるフェロモンの匂いの比喩である。
彼女たちのフェロモンとそれに幻惑されて堕ちて行く男たちというストーリーテリングは、まさしく捕食する者とされる者との過酷な食物連鎖の構造そのものだ。
それが本能であるからこそ、映子も百子も相手に対して一切の躊躇もなければ同情心も抱かない。そこには、良心の呵責といった面倒臭い倫理観など無縁である。
冒頭で登場する暗喩に満ちた発砲シーン。映子と舟木の死体を覗き込む高崎馬の姿は、ある意味本作を象徴する不穏の影を具現化した「不条理的記号」のようである。
また、劇中で百子が何度も繰り返し見る夢について愉快そうに中村に語るシーン。自分が映子を階段から突き落とし、ぐちゃぐちゃになった顔に犬が糞をするという夢なのだが、言うまでもなくそれは彼女の母・仙子の死に様とオーバーラップするものである。
その場所が三鷹市芸術文化センターの階段という設定が、冒頭で森元さんが前説する場面と見事にリンケージする訳だ。
芝居のラスト10分。恐らく多くの観客の頭を占めていたのは、冒頭に仕組まれた記号的な伏線を山内が一体どのように回収してみせるのか…ということだったのではないか。
そして、彼は演劇的マジックの到達点としか言いようのない秀逸さで、ものの見事に伏線を回収してみせた。
非道なまでに残酷でありながら、同時に性的絶頂そのもののように甘美な終幕は、あまりにも美しくそして苛烈だ。こんな物語を、山内ケンジ以外の一体誰が書けるというのだろう。
徐々に暗転して行く舞台、その最後で照明に照らされ浮かび上がる水仙の花。その、非の打ちどころのない完璧なエンディングに、図らずも落涙してしまった。
本当に、独創的で素晴らしい劇作家である。
出演した俳優についても触れておく。
もちろん吹越満も悪くないが、やはり本作は松本まりかの悪魔的な存在と安藤輪子のパラノイアティックな狂気、この女優二人の演技力あっての完成度であることは間違いない。 本当に、魅力的な女優たちである。
主催は公益財団法人三鷹市芸術文化振興財団、協賛はギーク ピクチュアズ。
協力はジュデコン、エー・チームオフィススリーアイズ、レトル、ダックスープ、バードレーベル、青年団、山北舞台音響、ランプ、田中陽、TTA、黒田秀樹事務所、シバイエンジン、E-Pin企画。
こんな物語である。
突然、舟木(金子岳憲)は部屋の中に入って来ると、映子(松本まりか)に向けて二発発砲。その後、舟木は自分のこめかみを撃ち抜き自殺。動かなくなった二人を、奥から姿を現した高崎馬(岡部たかし)が覗き込んでいる…。
イズミタカシ(吹越満)は、近くの道に倒れていた女・映子を自分の家に連れて帰りソファに寝かせて様子を見ている。ようやく意識を取り戻した映子は、自分は撃たれて…と胸を押さえるが、イズミは怪訝そうな表情を浮かべる。それもそのはず、映子には流血はおろか傷一つなかった。
イズミは映子から花の香りがしていると感じたが、映子は「自分は、香水などつけていない」と言って首を傾げた。
そこへ、イズミの一人娘で大学生の百子(安藤輪子)が水を運んでくる。映子はグラスに入った氷入りの水を飲み干し人心地つくが、混乱した状態のままだ。何故か彼女は自分が撃たれたと思い込んでおり、そもそも何で道端に倒れていたのかさえ分からないありさまだった。
イズミも戸惑っているところに、奥から義理の妹キヨミ(島田桃依)と医者の夫・丸山(岩谷健司)が暇するために顔を出す。今日は、急逝したイズミの妻・仙子の四十九日だったのだ。
丸山夫妻も事情を飲み込めぬまま、映子に興味を抱いてあれこれと好き勝手なことを言い出す。二人は映子が仙子によく似ていると言って、無遠慮に彼女の顔をべたべたと触り始めた。触れられる度に映子は悩ましげに悶えたが、そのうち感極まって泣き出してしまう。部屋には何とも気まずい空気が流れ、それを潮時に丸山夫妻は帰って行った。
百子が二杯目の水を注ぎに行き、部屋のソファには映子とイズミの二人だけになった。映子は、何やら科を作るように「さっきは、御免なさい。泣き出したりして。あなたに触られたら、泣かなかったのに…」と甘い声を出すと、イズミの手を取って自分の顔に触れさせた。妖しげな溜息とつくと、彼女は突然イズミに口づけした。イズミは、はじかれたように映子の体に覆い被さった。
台所から水を持って戻って来た百子は、ソファの上でもつれ合う二人の姿を見て手に持っていたグラスを落とした。
イズミ家のソファに座り、百子のボーイフレンド・中村ヒロ(重岡漠)が浮気相手とスマホで話している。そこに百子が帰って来て、慌てて中村は電話を切った。
百子はそれが女との電話だと嗅ぎ取ってカマをかけてみると、あっさり中村は認めてしまう。持ち前のサディスティックさで、ねちねちと陰湿に中村を責め始める百子。
何故か台から落ちて水が床を濡らしている水仙の花瓶に気づいた百子は、「花瓶を元に戻せ」「こぼれた水は口で吸い取って、それも元に戻せ」と滅茶苦茶なことを言い出す。
部屋が騒がしいことに気つき、女中が片付けに来る。黒のメイド服を着ているのは、何と映子だった。
あの日の騒動の結果、何故か彼女は腰痛で辞めた前任の代わりにイズミ家の女中として働くようになっていた。映子は水仙の花瓶を元通りに片づけると、二人を残して買い物に出かけた。
しばらくすると、イズミが見知らぬ男・舟木を伴って帰宅する。舟木は映子の兄で、家の前の道でバッタリ会ったのだと言う。偶然にしては出来過ぎていないかと百子は訝しく思うが、そこに映子が買い物から戻って来る。
ひと目舟木の顔を見るや、映子は固まった。彼女は、「自分に兄などいない。この人は、私の夫です」と不快感も露わに吐き捨てた。イズミと百子は、舟木の方を見た。舟木は、動揺して歯切れ悪くいい訳を始めるが、要するに彼は逃げ出した妻を連れ返しに来たのだった。
しかし、彼女は頑なに舟木を拒んだ。映子とイズミは出逢った日から数え切れないくらい何度も男と女の関係を持っており、二人の営みをこっそり百子がのぞいていると映子は挑発的に言った。
その甘い声と仕草に、イズミは催眠術にでもかかったかのように映子の体に吸い寄せられて行く。百子が絶叫して止める声も届かず、二人は体を求め始めた。
突然、イズミ家を丸山夫妻が訪れた。二人の来訪は、四十九日の法要以来だ。二人のためにお手伝いがコーヒーを運んで来るが、それは何とボーイ姿をした舟木だった。
丸山は、仙子名義の不動産のことで話があると切り出すが、その言葉を遮ってイズミは「実は、仙子が生きていた」と言い出す。これには、丸山夫妻も顔を見合わせるしかなかった。
仙子は、三鷹市芸術文化センターの階段で何者かに背後から突き落とされ、死んだのだ。彼女の死に顔は、丸山もキヨミもちゃんと確認している。
だが、イズミの話によれば、階段から落ちた衝撃で女の顔は判別不能なくらいに滅茶苦茶になり、それを手術で復元したのだと言う。だから、事故の時点で誰かの死体を仙子と取り違えてしまったのだ、と。狐につままれたような話だ。
そこに仙子が姿を現すが、彼女はどう見ても映子だった。さらには、今回の件でコンサルタントとして雇われたという怪しげな男も登場する。男は、高崎馬と名乗った。
この後、帰宅した百子も交えてさらに話は二転三転。事態は、思ってもみない方向へと暴走を始める…。
会場が三鷹市芸術文化センター星のホールで、前説が森元さん…とくれば、熱心な城山羊の会ファンならすぐピンと来るはずだ。
森元さんが開演前の注意事項を話すところから、すでに舞台は始まっているのだ。しかも、今回は2013年12月に星のホールで上演した『身の引き締まる思い』 で森元さんが果した役割を説明するくだりがそのまま物語のイントロダクションになっていた。
その他にも、前回公演『仲直りするために果物を』 (2015)が小ネタに使われたり、謎のコンサルタントの名前が『あの山の稜線が崩れていく』 (2012)の登場人物と同じ高崎馬であったりといった遊びが本公演にはさりげなく配置されている。
このあたりにも、山内ケンジに劇作家としてある種の余裕ができて来たように感じる。
だが、そういった遊び心とは裏腹に、物語全体を覆うのは「淫靡で不穏な悪意」と「狂気に満ちた容赦のない暴力性」である。
上質なタペストリーの如く緻密に織り上げられた理不尽に残酷な舞台は、次第に観客の思考力をも奪い始め、やがては物語自体の世界観や時間軸までも歪ませて、何もかもを不条理な地獄に飲み込んでしまう。そう、まるで水仙の花から漂う甘美にして妖しい香りのように。
観るものを煙に巻くような冒頭から、あえて演出的にほとんど聞き取れるかどうかギリギリのトーンで発声する吹越満と松本まりかの会話からして、舞台には張り詰めた尋常ならざる緊張感が漂う。
ところどころで山内ならではのくすぐりも散りばめられてはいるが、次の瞬間にはエキセントリックなツイストが用意されている。波状攻撃のように畳みかけるスピード感と、暗転する度に物語自体のフレームが歪む展開に、我々は幻惑され続ける。
その目まぐるしいまでのドライヴ感と、徹底的に突き放すドライネスこそが山内演劇を観ることの麻薬的快感に他ならない。
タイトル「水仙の花」が指すのは、正確には水仙の花が放つ芳香のことなのだが、さらに具体的に言うとその香りは映子あるいは仙子、そして百子の股間から放たれるフェロモンの匂いの比喩である。
彼女たちのフェロモンとそれに幻惑されて堕ちて行く男たちというストーリーテリングは、まさしく捕食する者とされる者との過酷な食物連鎖の構造そのものだ。
それが本能であるからこそ、映子も百子も相手に対して一切の躊躇もなければ同情心も抱かない。そこには、良心の呵責といった面倒臭い倫理観など無縁である。
冒頭で登場する暗喩に満ちた発砲シーン。映子と舟木の死体を覗き込む高崎馬の姿は、ある意味本作を象徴する不穏の影を具現化した「不条理的記号」のようである。
また、劇中で百子が何度も繰り返し見る夢について愉快そうに中村に語るシーン。自分が映子を階段から突き落とし、ぐちゃぐちゃになった顔に犬が糞をするという夢なのだが、言うまでもなくそれは彼女の母・仙子の死に様とオーバーラップするものである。
その場所が三鷹市芸術文化センターの階段という設定が、冒頭で森元さんが前説する場面と見事にリンケージする訳だ。
芝居のラスト10分。恐らく多くの観客の頭を占めていたのは、冒頭に仕組まれた記号的な伏線を山内が一体どのように回収してみせるのか…ということだったのではないか。
そして、彼は演劇的マジックの到達点としか言いようのない秀逸さで、ものの見事に伏線を回収してみせた。
非道なまでに残酷でありながら、同時に性的絶頂そのもののように甘美な終幕は、あまりにも美しくそして苛烈だ。こんな物語を、山内ケンジ以外の一体誰が書けるというのだろう。
徐々に暗転して行く舞台、その最後で照明に照らされ浮かび上がる水仙の花。その、非の打ちどころのない完璧なエンディングに、図らずも落涙してしまった。
本当に、独創的で素晴らしい劇作家である。
出演した俳優についても触れておく。
もちろん吹越満も悪くないが、やはり本作は松本まりかの悪魔的な存在と安藤輪子のパラノイアティックな狂気、この女優二人の演技力あっての完成度であることは間違いない。 本当に、魅力的な女優たちである。
ちなみに、吹越は『微笑の壁』(2010)、松本は『効率の優先』 (2013)以来の城山羊の会出演である。
本作は、城山羊の会の新たなる到達点と断言できる劇薬的な傑作。
水仙の花が放つ魔性の香り同様、山内演劇の甘美な毒に酔いしれてほしい。
余談ではあるが、吹越満と安藤輪子と金子岳憲は12月19日からユーロスペースで公開される山内ケンジの監督第二作目『友だちのパパが好き』にも出演しており、この映画も彼のエキセントリックな作家性が遺憾なく発揮された良作コメディである。
本作は、城山羊の会の新たなる到達点と断言できる劇薬的な傑作。
水仙の花が放つ魔性の香り同様、山内演劇の甘美な毒に酔いしれてほしい。
余談ではあるが、吹越満と安藤輪子と金子岳憲は12月19日からユーロスペースで公開される山内ケンジの監督第二作目『友だちのパパが好き』にも出演しており、この映画も彼のエキセントリックな作家性が遺憾なく発揮された良作コメディである。