1985年4月13日公開、山口和彦監督『ビッグ・マグナム黒岩先生』。
企画は天尾完次、プロデューサーは佐藤和之・木村政雄、原作は新田たつお(「別冊漫画アクション」)、脚本は掛札昌裕・笠井和弘、撮影は飯村雅彦、美術は今村力、音楽は矢野立美、録音は柿沼紀彦、照明は山口利雄、編集は飯塚勝、助監督は新井清、スチールは加藤輝男。製作・配給は東映。並映は小平裕監督『パンツの穴 花柄畑でインプット』。
宣伝コピーは「じゃかましい!ワシが体で教えたる。」
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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無法状態で機能不全に陥っている仁義泣学園では、不良生徒達による校内暴力や強姦、器物損壊で、もはや教師によるコントロールは不可能な状態だった。元を正せば偏差値を上げるためにすべての運動部活を禁止したことが荒廃の原因だったが、校長の堤省吾(長門勇)は3月末に迫った定年退職を指折り数えるだけの事なかれ主義に徹していた。
そんな学園に、二人の教師が赴任してきた。一人は、FBIからも一目置かれているとうそぶくアメリカ帰りの樺沢征一(西川のりお)で、彼は拳銃をちらつかせて不良達を威嚇してイニシアティヴを取った。
もう一人は、黒縁メガネの見るからに頼りない華奢な男・黒岩鉄夫(横山やすし)で、黒岩は端から生徒達になめられまくっていた。
樺沢の強硬な態度に校長はもちろん、教頭の二本松徳太郎(南利明)も同僚教師の藤倉勇(高田純次)、中山春彦(ベンガル)、岸伸夫(三谷昇)も最初こそ難色を示したが、彼のおかげで校内暴力が沈静化の気配を見せ始めると掌を返した。
女教師の桜井文子(朝比奈順子)や島田幸子(志麻いづみ)は、樺島の科を作って露骨にすり寄った。
だが、用務員の多湖清(たこ八郎)の不手際で樺沢の拳銃がモデルガンだとばれてしまい、不良達は逆襲に転じる。柿崎進一(木村一八)、川崎アケミ(武田久美子)、渡辺桃子(井上麻衣)は、他の仲間とともに樺島を吊し上げした挙げ句、女教師達をレイプした。
再び荒廃へ逆戻りかに見えた学園だったが、黒岩が立ち上がる。彼は、懐から本物の44マグナムを取り出し、不良達を蹴散らした。黒岩は、文部省直属特別第一指導教育課に籍を置く男で、日本で唯一超法規的に拳銃所持を許可された特命教師だった。黒岩は、44マグナムを携えて日本全国の荒れた高校を建て直しているのだ。
今度は黒岩が救世主として祭り上げられたが、生徒との対話を主張する若手教師の榊原波子(白都真理)と銀野八郎(渡辺裕之)は黒岩のやり方に否定的だった。
そんなある日、学園を長期欠席していた問題児の霧原遼一郎(山下規介)が登校。再び不穏な空気が漂い始めた。
黒岩は、アケミの色仕掛けに騙されて44マグナムを奪われてしまう。話し合いをするために霧原達のたまり場ダーティーヒーローというカフェバーに単身乗り込むが、椅子に拘束されて電気ショックによる拷問を受ける。
学園は霧原の支配下に置かれ、教師達は全員校舎の壁に宙吊りにされてしまう。不良達は黒岩が納められた棺をバイクで引いてくると、校庭に埋葬した。
万事休す…と誰もが思ったそのとき、土の中から黒岩が復活。彼は、二丁の拳銃を引き抜くと、バイクを暴走させて荒れ狂う不良達を次々仕留めていった。
これには、さすがの霧原とアケミも白旗を揚げるしかなかった。「今回は、負けた」と言い残して、彼らは去って行った。
黒岩は、波子と八郎に学園の事を託すと、新たなる彼の戦場に向かうのだった。
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一言でいえば、東映の停滞と漫才ブームの終焉を体現するような寒々しい作品である。
1978年から量産体制二本立て興行をやめ大作一本興行に切り替えた東映は、1980年代には自社製作の作品が減少。代わって興行成績を支えたのは、映画プロデューサーとして提携していた角川春樹の角川映画諸作であった。
プログラム・ピクチャーに関しては子会社の東映セントラルフィルムが製作していたが、その東映セントラルフィルムも1988年に解散している。
本作には主演の横山やすしや西川のりお以外にも、紳助・竜介がワンシーンで出演しているが、紳竜もこの年にコンビを解消している。
漫才ブームが起きたのは1980年のことで、1982年には早くも下火になった。ザ・ドリフターズの国民的モンスター番組『8時だヨ!全員集合』(TBS系列)が放送終了になったのが、1985年9月28日のことである。
1982年から「別冊漫画アクション」(双葉社)に連載された新田たつおの「ビッグ・マグナム黒岩先生」を映画化した本作は、ある意味“祭りの後”的な倦怠感と笑えないギャグ、中途半端なバイオレンスが空回りしており、不良達に壊された仁義泣学園の校舎同様すきま風吹きすさぶ寒々しさが全編を覆っている。
おまけに、せっかくキャスティングされた朝比奈順子、志麻いづみ、井上麻衣といったにっかつロマンポルノの人気女優達も、何とも煮え切らないお色気シーンにとどまっている。
プログラム・ピクチャー然とした低予算作品において、思い切りと勢いが失われれば後に残るものなどないのである。
バンドを従えてダーティーヒーローでロックする陣内孝則も、何気にもの悲しい。横山やすしの息子、木村一八が不良の一人として出演しているが、当時は15歳の若さで声変わりもまだなのかキンキン声だから、まったくもって締まらないことおびただしい。
東京乾電池の面々も、どうかと思うが。
そんな中、一切ブレないのがたこ八郎とチャンバラトリオである。
なお、余談ではあるがキャスティング・クレジットに工藤静香と八神康子の名前があったが、どこに出ていたのか分からなかった。
本作は、「怒るでぇ!しかし」と言いたくなるような空虚なだけの東映ダメ作品。ひっそりと記憶の片隅にしまい込んでおくのが相応しい、昭和の徒花的プログラム・ピクチャーの一本だろう。