製作は井田寛・上野廣幸、企画・プロデューサーは深田誠剛、プロデューサーは小野仁史・平田陽亮・相川智、ラインプロデュー-サーは橋立聖史、原作・脚本・編集は橋口亮輔、撮影は上野彰吾、照明は赤津淳一、録音は小川武、美術は安宅紀史、装飾は山本直輝、衣裳は小里幸子、ヘアメイクは田辺知佳、助監督は野尻克己、制作担当は伊達真人、音楽は明星/Akeboshi、主題歌は「Usual Life_Special Ver.」明星/Akeboshi、協賛はザズウ、女性は文化庁文化芸術振興費助成金、制作プロダクションはランプ、宣伝はシャントラバ/ビターズ・エンド、配給は松竹ブロードキャスティング/アーク・フィルムズ、製作は松竹ブロードキャスティング。
宣伝コピーは「それでも人は、生きていく」
日本/2015/ビスタ/140分/5.1ch
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
--------------------------------------------------------------------------------
機械より正確な耳を持ち、橋梁点検の仕事をしている篠原アツシ(篠原篤)は、三年前に愛する妻を通り魔事件で喪った。健康保険料さえまともに払えないアツシは、犯人に損害賠償請求を起こそうと何とか金を工面して弁護士の元を回っているが、誠意ある対応をしてもらえず、やり場のない苛立ちと深い絶望感を募らせている。
高橋瞳子(成嶋瞳子)は、派遣社員時代に知り合った冴えない夫とそりの合わない姑・敬子(木野花)と三人暮らしをしている。近所の弁当屋でパートをしている彼女は、皇室の熱烈なファンであり、趣味は少女漫画を書くことだ。
主に企業相手の弁護士事務所に所属する四ノ宮(池田良)は、エリート意識の高い完璧主義者だ。彼はゲイであり、年下の恋人と高級マンションで同棲しているが、パートナーに対しても無意識に尊大な態度を取っている。それが原因で、彼は恋人に出て行かれてしまう。
新婚の夫を結婚詐欺で訴えたいと息巻くクライアントの女子アナ(内田滋)に対しても、彼は内心見下してあざ笑っている。
そんなある日、彼は歩道橋で何者かに背中を押され、階段から落ちて骨折入院する羽目になる。
テレビのニュースで、犯人が措置入院になったことを知ったアツシは、自らの無力にいよいよ絶望して、会社を無断欠勤して自宅に引きこもる。一人、犯人に対する激しい殺意をもてあまし憔悴するアツシ。彼のことを心配した社長の黒田大輔(同)は、アツシのアパートを訪ねて、何とか彼を元気づけようとする。
瞳子は、ひょんなことから弁当屋に出入りしている肉屋の藤田弘(光石研)と知り合い、夫と姑が不在の時に自宅で関係を持つ。枯渇しきった退屈な彼女の日常に、降って湧いたようなささやかな刺激。
彼女は、弘との関係を深めていく。
入院している四ノ宮を大学時代の親友で不動産業者の聡(山中聡)が妻と息子と一緒に見舞いに来てくれる。
聡の妻は、四ノ宮が夫に注ぐ熱っぽい視線を怪訝そうな目でうかがっている。聡は四ノ宮がゲイであることを大学時代にカミング・アウトされていたが、その想いが自分に向けられていたことを知らない。
アツシのことを心配する義姉が差し入れ持参で彼のアパートを訪ね、締め切られた仏間に線香を上げる。妹を失ったことで彼女も深い傷を負っていたし、その他にも義姉は義姉なりのつらい経験を背負って生きている。
久しぶりに会った二人は継ぐべき言葉が見つからず、互いを探るようにポツポツと会話するのだった。
瞳子は、弘に連れられてとある養鶏場にやってくる。彼は、ここを買い取って起業しようと思っているから、出資してくれないかと言った。
すでに心が走り出している瞳子は、貯金を下ろし荷物をまとめて駆け落ち覚悟で弘の家を訪れる。ところが、弘は自宅で覚醒剤を打ち恍惚の表情を浮かべていた。愕然とする瞳子。
そこに、弘の妹だと紹介されていた吉田晴美(安藤玉恵)が入ってくる。実は、晴美は弘の女だったが、愛想を尽かし出て行くところだった。
晴美は、起業の話は嘘っぱちでこの男はいつでもこうなのだと吐き捨てて出て行った。
瞳子は、朦朧としている弘に向かって、独り言のように夫とのなれそめや自分の夢について話し続けるのだった。
四ノ宮は、独立するために聡に事務所物件を紹介してもらう。ところが、聡の態度はどこかよそよそしい。聡は、四ノ宮が息子にいたずらしようとしていたと妻から聞かされたと言った。耳を疑う四ノ宮だったが、聡はつれなく去って行った。
収まりの付かない四ノ宮は誤解を解くため聡に電話を入れるが、一方的に電話を切られてしまう。傷ついた四ノ宮は、電話に向かって切々と自分の思いを訴え続けるのだった。
もはや自暴自棄になったアツシは、ネット掲示板で見た売人に連絡してドラッグを購入するが、それは偽物だった。風呂場で手首を切って自殺しようとするが、それもできなかった。
妻の位牌を前にして、彼は激しく慟哭し続ける。
そして、ようやく職場復帰したアツシを黒田は温かく迎えた。死ねないのであれば、生きていくしかないのだ。
アツシは、同僚たちと一緒に乗船すると、橋梁検査に出た。彼の頭上には、青い空が広がっている。
瞳子は、再びつまらない日常生活へと戻っていった。求めてくる夫に「ゴムを切らしてるから」と彼女は言うが、「できてもいいじゃないか。夫婦なんだから」と言われた。
その言葉に、彼女は自分の中で何かが変わったような気持ちになった。
例の女子アナを前にする四ノ宮。彼女は、夫とよりを戻すつもりだと一方的にまくし立てている。上の空でその話を聞き流しながら、四ノ宮はかつて聡からもらった思い出の万年筆に手を触れ、ふっと落涙する。
その涙を自分の話に心打たれてのことと自分勝手に勘違いして、彼女は感動する。
今日も、青空の下でアツシたちは橋梁検査にいそしんでいる。
アツシのアパートでは、ずっと締め切られていたカーテンが開け放たれ、妻の位牌の横には彼女の愛したチューリップの花が飾られていた。
--------------------------------------------------------------------------------
『ぐるりのこと。』から7年ぶりの橋口監督作品である。脚本執筆に8ヶ月を費やし、ワークショップに参加した三人をオーディションで主演に選び、キャストの約8割をアマチュアの役者が占めている。
また、主要な登場人物たちはすべてアテ書きだそうである。
第89回キネマ旬報ベスト・テンの日本映画ベスト・テン第1位、監督賞、脚本賞、新人男優賞(篠原篤)、第58回ブルーリボン賞で監督賞を獲得した本作は、上映当初から高く評価されロングランになった話題作である。
力作であることは間違いないし、色んな意味で閉塞した今の状況を容赦なくえぐるような作品でもある。
ただ、なぁ…と僕は思う。
様々な問題や傷を抱えて苦しみ悶える人がいて、彼らを容赦なく突き放す苛烈な現実があって、「それでも人は、生きていく」という余韻とともに終幕する物語にもかかわらず、そのドラマ構築に類型的なヒューマニズムを見てしまうし、あまりにも日本映画的なミニマルさにある種の息苦しさを感じてしまった。
キャストとともに、丁寧に誠実に織り上げられた映画であることは伝わってくるのだが、本作に登場する人々の造形が、どこまでがシリアスで、どこまでがシニカルで、どこまでがコミカルなのか?
その辺りにも、僕はやや首をかしげてしまう。
アツシはともかく、瞳子にしても四ノ宮にしても、あるいは弘や美女水を売る晴美、聡とのその妻、社会保険事務所員の溝口、アツシの後輩といった人々の言動やキャラクターにしても、あまりに定型的なステロタイプさを見てしまうのだ。
それ故に、映画で語られるストーリーとそれを見ている自分との間に寄り添うことのできない厳然とした壁のようなものが立ちはだかり、入り込むことができなかった。
見終わったときに、「それでも人は、生きていく」という気持ちに浸りきれない自分がいるのだ。
そんな中、アツシを乗せた橋梁検査船がゆっくり川を流れる映像と抜けるような広い青空の映像には、やはり抗しがたい魅力があった。
ただ、今日本映画が語るべき物語は、これでいいのか…と思ってしまう踏み絵的な映画でもある。