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gojunko第4回目公演「不完全な己たち」

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2016年1月22日ソワレ、池袋のスタジオ空洞でgojunko第4回目公演「不完全な己たち」を観た。




作・演出は郷淳子、照明は横山紗木里、宣伝美術はろこた、当日運営は田中遥佳、制作は河本三咲、企画・製作はgojunko。協力は、アイリンク(株)、青年団、(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場、(有)レトル、サンプル、bozzo、ホワイトホール(株)、佐々木優子、南舘祥恵。


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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自宅の片隅、瀬戸みちる(とみやまあゆみ)は女の子(みぞぐちあすみ:劇団ポニーズ)に対して、独り言をつぶやくように一方的に話している。
母親のことが大好きだったみちるは、縁日の金魚釣りで手に入れた奇形の金魚を母親が可愛がることに嫉妬したり、生まれてきた弟に嫉妬したりと、いつでも自分を一番愛してほしいという気持ちを抱えて幼少期を過ごした。

ごく平凡な結婚をして、ありふれた生活を送っていたみちるは、生まれたばかりの娘・まなみを喪うが、優しい夫とともに何とかまた平穏な日々を取り戻している。
幼なじみでOLの槇原祐子(石井舞)は、頻繁にみちるの家にやって来ては、職場の愚痴やままならぬ恋愛事情をまくし立てる。強気な口調とは裏腹に、祐子は結婚できないまま年を重ねている自分に焦燥感を抱いている。
元々自分の容姿にコンプレックスを持っていた祐子は、今ではすっかりプチ整形マニアと化しており、以前の彼女とは別人のようなルックスに変貌を遂げている。おまけに、彼女はしきりにみちるにも整形を勧めてくる。ちなみに、なぜかみちるの鼻はまるで豚のようなユニークな造形をしていた。
みちるは、そんな祐子の言葉をいつでもやんわりとかわしていた。

もう一人、みちるの家を頻繁に訪れるお客がいた。母(小瀧万梨子)の妹・阪木めぐみ(柴山美保)だ。めぐみは、美しかったみちるの母と違い、冴えない容貌のぱっとしない女で男とつきあうこともなくいまだ独身だった。
めぐみは最近物忘れが激しくなったのか、「まなみちゃんに」と言って子供服とかを持ってくる。みちるは、いささか戸惑いつつもめぐみからの贈り物を受け取っていた。

しかし、自分はありふれた幸せの中にいると思い込んでいたみちるの日常が歪み始め、彼女は思いもしなかった現実に直面させられる。

今は社会人をしている春田雄介(前原瑞樹:青年団)が、久しぶりにみちるの家に顔を出す。しばらくは、互いの近況や過去の思い出話を和やかにしていたが、雄介が結婚したことを隠し、みちるを結婚式にも呼ばなかったことが明らかになってから、話の雲行きがおかしくなる。
雄介は、姉の容貌を心の底から嫌悪し、彼女と同じ遺伝子が自分の中にも宿っていることに恐怖し続けていたのだ。
もし、自分や生まれてくる子供もいつか姉と同じようなことになったら…そのことで彼はずっと怯えて生きていた。
雄介は、姉弟の縁を切ると言い捨てて、みちるの家から出て行った。

またしても、めぐみが訪ねてくる。彼女は、相変わらず野暮ったい安物の子供服を持ってくる。
「おばさん、まなみは一年前に亡くなってるの」と苛ついた表情でみちるが言うと、めぐみは無表情の中に悪意を宿した顔でこともなげに言った。
「知ってるわよ」。

いつまでも仕事から帰らない夫の譲。すると、突然猫耳をつけた派手な女・一条はるか(小瀧万梨子:二役)と一緒に譲(伊藤毅:青年団)が帰宅すると、みちるに向かって別れてくれと切り出した。
呆然とするみちると譲が噛み合わない押し問答を続けているうちに、うんざりしたはるかは自分が離婚の口実にするために雇われた契約恋人だと言うことをバラしてしまう。
開き直った譲は、みちるの母親から5千万円を渡されて娘と結婚してくれと頼まれたことを明かす。
自分はもう随分と頑張ったし、金も使い切ったし、もういいだろうと譲は自己弁護の言葉を並べた。
娘の容貌が変わった後、その将来を案じた母がすべてを仕組んだのだった…。

皆が集まり楽しげに歌う姿を、一人遠くから見ているみちる。彼女の顔を指さして、女の子は言った。
「それ、まだ要る?」

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「“母と娘”ものを描きたいと思いました。いかにも女が選びそうな、ありきたりなテーマ。」と、本作のチラシに郷淳子は書いている。
そして、本作はみちると彼女の美しい母親という“母と娘”の、結果的に捻れて歪んだ愛情の形が描かれている。
そしてまた、ずっと舞台に存在する女の子は、幼くして亡くなったみちるの娘まなみだろう。
それぞれにキャラクターの立った役者陣の演技は魅力的なものだが、どうにも僕はこの舞台を見ていることに苦痛を感じてしまった。

ややメルヘンチックとも思える幻想的な開巻から、豚の鼻という突飛なメイクをして淡々と平凡な主婦みちるを演じる主役のとみやまあゆみと、彼女を取り巻く人々の物語。
前述したチラシの中で、郷淳子はこう続けている。「人間って面倒だな、っていつも感じます。それに“血縁”や“女”が加わると余計に。」と。
確かに、叔母や実の弟、幼なじみの女友達といった登場人物がみちるの家にやって来ては、彼女の日常に石つぶてを投げつける。
最後には、みちるにとっての平凡な幸せの礎とも言える夫の譲から理不尽な真実を告げられ、彼女の信じていた幸せがある意味砂上の楼閣、幻想という名の蜃気楼の如きものであったことを思い知らされる。

エキセントリックな人々に振り回され、苛烈な悪意や呪詛の言葉を叩きつけられながらも、淡々と無感情なままに見えるみちる。
その彼女が胸に秘めているある種情念のように激しいエゴを、まるでモノローグのように女の子に語るシーンが、物語の進行に伴って業として露わになっていく展開。
終演したとき、本作に含まれている毒素のようなものに自分がやられてしまった感じで、少しだけ面識のあるとみやまさんに声をかけることなく、僕は劇場を出てしまったのだ。

自分が一番、母から愛されたいと激しく希求するみちるは、母が縁日に持ち帰った奇形の金魚に嫉妬し、次には生まれてきた弟に嫉妬する。母親の愛情を一人占めするために、恐らく彼女はあのような容貌へと自ら無意識に望んで変貌してしまったのではないか。
その甲斐あって彼女は母親から望んだとおりの愛情を注がれることになるのだが、その注がれ方にも相当な屈折がある訳だ。

また、本作の登場人物たちは明確なる美醜のシンメトリーと、(それが幻想や思い込みであっても)幸不幸的ヒエラルキー下に描かれているように思う。
恐らくはある種の演劇的シニシズムなのだと推察するのだが、やはり譲や雄介、めぐみの言動から放出させる悪意や憎悪の言葉には、どうしてもその行き場なさに消耗してしまうのだ。

多分、ラストで女の子が言う台詞は「もう、自分を愛してもらうための精神的な虚飾の仮面などはぎ取るべき」ということだと思うのだが、そこにある種の開放感が伴わないことがしんどいのである。

本作は、緻密に描かれたシニカルな愛憎劇である。
残念ながら、僕はダメだったけれど。


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