20016年1月30日公開、横浜聡子監督『俳優 亀岡拓次』。
エグゼクティブプロデューサーは田中正、製作は由里敬三・原田知明・宮本直人・坂本健・樋泉実・鈴井亜由美、プロデューサーは吉田憲一・遠藤日登思、原作は戌井昭一『俳優・亀岡拓次』(フォイル刊)、脚本は横浜聡子、撮影は鎌苅洋一、美術は布部雅人、音楽は大友良英、録音は加藤大和、照明は秋山恵二郞、編集は普嶋信一、キャスティングは南谷夢、ライン・プロデューサーは竹内一成、助監督は松尾崇、VFXは田中貴志、制作担当は有賀高俊。製作は『俳優 亀岡拓次』製作委員会、配給は日活。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
--------------------------------------------------------------------------------
カメタクこと亀岡拓次(安田顕)は、37歳の冴えない独身。趣味は酒で、職業は俳優。ただ、亀岡が主演を張ることはなく、彼はもっぱら脇役専門だ。
基本的に仕事を選ばず、現場を東奔西走しながら器用に監督の注文に応える彼は、スタッフからの信用も厚い。ロケから戻れば行きつけの「すなっく キャロット」で酒を飲み、お店のママ(杉田かおる)の軽口につきあいながら、また次の現場に向かう。
三ノ輪で流れ弾に当たって死ぬホームレス役をやったと思えば、山形庄内では大御所の古藤監督(山﨑努)の組で斬られる浪人役。二日酔いのためあげてしまうも、監督には面白がられたり。
インディーズで映画を撮っている横田監督(染谷将太)の現場では、キャバクラのシーンで実際に酒を飲み過ぎ、初出演の女優ベンジャミン(メラニー)をフォローするはずがNGを連発したり。
山之上監督(新井浩文)のVシネ撮影で諏訪に行った折り、亀岡はふらっと入った居酒屋「ムロタ」で一人の女性と出逢う。彼女の名は、室田安曇(麻生久美子)。店主(不破万作)の娘で、ちょっと前に子供を連れて出戻ったのだという。亀岡は、気さくで酒好きな安曇にほのかな恋心を抱く。
マネージャーの藤井(工藤夕貴)が持ってきた舞台の仕事を受けた亀岡は、これまで断り続けた演劇の稽古に四苦八苦する。陽光座の座長で主演も兼ねるのは、大女優の松村夏子(三田佳子)。
いつも通りの落ち着かぬ日々の中、亀岡の元に驚くべきオーディションの話が舞い込んでくる。極秘来日中の世界的巨匠アラン・スペッソ監督(ガルシア・リカルド)が新作のために日本人の役者を探していたのだ。
亀岡は、半信半疑でとあるスタジオを訪れ、戦場の兵士という設定で不思議な演技テストをさせられる。夢見心地でスタジオを出ようとしたとき、彼はイケメン人気俳優の貝塚トオル(浅香航大)と鉢合わせする。貝塚もまた、このオーディションに呼ばれていたのだ。
地方ロケの現場で一緒になった旧知の同じ脇役俳優・宇野泰平(宇野祥平)と酒を飲んでぐだぐだしていた亀岡は、てっきり独身だと思い込んでいた宇野が結婚していたことを知って驚く。
一念発起した亀岡は、花束を携えてバイクに跨がると、雨に打たれながら一路諏訪に向かった。もちろん、安曇に再会し愛の告白をするためだ。
ようやく、「ムロタ」に到着して店に入る亀岡。ところが、いざ安曇を前にするとなかなか言葉が出てこない。
すると、夫とよりを戻すことにしたと安曇から打ち明けられてしまう。店内に花束を残したまま、為す術なく亀岡は出て行くしかなかった。
モロッコ。灼熱の陽光が降り注ぐ砂漠で、亀岡はアラン・スペッソの現場にいる。自分の出番を終えた亀岡に、スペッソ監督は哲学的とも思えるエールを贈って去って行った。
そして、また今日も亀岡はどこかの現場で脇役を演じ続けるのだった…。
--------------------------------------------------------------------------------
『ウルトラミラクルラブストーリー』(2009)以来6年ぶりとなる横浜聡子監督の長編作品は、演劇ユニット「TEAM NACS」の一員として最近活躍が目立っている安田顕を主人公に据えた、ある意味「いかにも」な脇役俳優のアンチクライマックスなストーリーである。
おおよそオーラを感じさせない酒好きで冴えない中年独身男は、まさしく安田のはまり役だろう。
僕は、「水曜どうでしょう」にonちゃんの着ぐるみ姿で出演していた頃から安田顕を見ているから亀岡拓次も適役だと思うのだが、正直に言って映画としてはいささか首を傾げる出来だった。
名もなき脇役俳優の日常風景を、さりげないタッチでオフビートに描くという構想は分からなくもないのだが、本作はオフビート以前に映画としてのリズムがなく、ただだらだらしているだけに見えてしまうのだ。
アンチドラマチックでこぢんまりした映画も嫌いではないが、ちょっとこの作品は観ていて厳しかった。こういう散漫さは、散文的というのとも違うと思う。
要所要所に感傷的な要素や、ある種哲学的なたたずまいも盛り込んで、安田の周りにはそれなりに豪華な脇役を配しているところもかえってちぐはぐに映るし、遊びの部分で上手く遊べていないようにも感じる。
こういうことを言うと元も子もないのだが、そもそもこの内容なら何も主人公は脇役俳優でなくてもいいようにさえ思う。困ったものである。
個人的に本作で良かったのは、安曇役を演じた麻生久美子の素朴なたたずまいなのだが、その安曇があっさり離婚した亭主とよりを戻す展開にも、何だか鼻白む思いだった。
脇役俳優以前に、物語自体が脇に追いやられてしまったような一本だろう。