2016年9月9日、アトリエ第七秘密基地で川嶋一実プロデュース週末女優vol.1「たまことゆかり」を観た。
今年の3月に上演した舞台の再演で、初演の時は脚本の五戸真理枝が演出も兼ね、配役はたまこが木原千尋、かなえが小川仁美(現・川嶋一実)、劇場はcafe&bar木星劇場だった。
作:五戸真理枝(文学座)、演出:伊藤毅(青年団)、照明:三浦詩織、音響:藤原圭佑、演出助手・照明操作:佐度那津季、宣伝写真:Masaya、宣伝美術:福森崇広、制作:河本三咲、楽曲提供:2y’soul「JOY」、主宰・企画製作:週末女優、総合プロデューサー:川嶋一実。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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同じ高校の同じクラスだが、まったく対照的なたまこ(小瀧万梨子:青年団・うさぎストライプ)とゆかり(川嶋一実:週末女優)。
バンドのボーカルで作詞・作曲もこなすたまこは、言ってみれば高校の有名人で行動も派手な目立つ存在だが、ゆかりはまじめだけが取り柄の地味な優等生で影も薄い。
高校最後の学園祭で演奏することになっているはずのたまこは、模擬店の喫茶室と化している教室の机でなぜか突っ伏して寝ている。店番のゆかりがたまこを揺り動かすが、バンドはさっき解散したからステージにも立たないと鬱陶しそうにたまこは言った。
たまこは、バンド・メンバーの大久保の子を妊娠しているのだとつい告白してしまう。言葉を失うゆかり。それでも、たまこをステージに立たせたくて食い下がるゆかりに、「だったら、あなたが一緒にステージで歌ってよ!」とたまこは無茶振りした。
あれから10年。28歳になったたまことゆかりは、ライブハウスを拠点に女性ボーカル・ユニットとして活動しているが、生活は苦しくたまこは曲作りしながらバイトを四つも掛け持ちしている。
焦りといら立ちが募るたまことは対照的に、ゆかりは常に前向きで楽しそうだ。そんな相棒の姿もたまこは気に食わず、何かにつけて二人はケンカが絶えなかった。
ゆかりは、たまこのかつての恋人・大久保と付き合っていた。しかも、彼女はプロポーズされた。ただ、結婚を機に歌手を辞めてほしいと大久保から言われていた。たまこは激しく動揺しつつも、これが最初で最後のチャンスだから歌なんか辞めてとっとと結婚しろというが、ゆかりは結婚より歌うことを選んだ。
また、10年が経過した。相変わらず歌い続けているたまことゆかりだったが、今のたまこはオリジナル曲も書かず、まるで惰性のように有名曲のカバーをライブで歌っている。彼女は、体形も中年化が加速しており、若いミュージシャンの影におびえつつ何とか細々とプロ活動を続けていた。
高校時代、たまこの歌への情熱に巻き込まれてこの道に足を踏み入れたゆかりだったが、今では彼女の方がよほどたまこよりも歌うことに情熱を持っていた。
20年間変わらず意見の食い違う二人だったが、食い違いの質は当初とずいぶん様相が違ってきていた。
このところ、毎回のようにライブ会場には大久保の姿があり、ゆかりは自分へのストーカー行為ではないかと気持ち悪がるが、たまこは大久保のことを必死でかばった。
腑に落ちないゆかりが問い詰めると、実は自分が大久保に来てもらっているのだ、とたまこ。
実のところ、たまこはいまだ大久保のことが好きで、彼女は大久保との結婚や普通の家庭を持つことを望んでいたのだ。
結局、たまこは歌を捨てて大久保と結婚した。ゆかりは、一人で歌うことを躊躇なく選んだ。皮肉と言えば、皮肉な話だった。
また、10年が経過した。コンビ解消後、一度もゆかりの歌を聴きに来なかったたまこが、突然ライブ会場に現れた。終演後、楽屋に顔を出したたまこを歓迎するゆかり。たまこも、いまや二児の母親だった。
久しぶりの再会をゆかりは喜んだものの、彼女はたまこの本心を知っていた。大久保が会社を辞めて生活に困ったたまこは、ゆかりの懐を当てにしてきたのだ。ゆかりが借金を断ると、だったらマネージャーでも何でもやらせてくれないか、とたまこ。そんなかつての戦友の変わり果てた姿に、心底失望するゆかり。
自分のみじめさに気づいたたまこは、そのうちまた歌を聴きに来るから、と言った。今日のライブでは、ちゃんとゆかりの歌を聴く余裕すらたまこにはなかったからだ。
去っていくたまこの後ろ姿に、ゆかりはかけるべき言葉も見つからない。
仕事を終えて、疲れた体で夜のバス停へと歩くゆかり。ふと顔を上げると、道の向こうにたまこの姿を見たような気がした。
高校のブレザーを着崩し、ちょっと尖って、生意気で、鼻息が荒くて、いささか自信過剰で、将来への希望と不安で胸をいっぱいに膨らませていた18歳のたまこの姿を…。
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歌でつながったシンメトリカルな女性二人の18歳から48歳まで30年の月日を描いた、ちょっとビターで濃密なクロニクル劇である。
正直に言うと、僕はこの物語が提示するたまことゆかりの転機となる出来事の数々がいささか定型的に過ぎると思う。
まったくキャラクターの異なる二人の女性のありふれた人生の邂逅と別離、二人それぞれのスタンスを対比して進む物語。歌い続けることに疲れた者と歌うことに憑かれた者という二人の立場が入れ替わるややシニカルでニヒリスティックなドラマ構造と、センチメンタルな余韻を残して綺麗に収束する伊藤の技巧的な演出手腕にはハッとする。
けれども、そこに至るまでの過程がともすれば既視感を伴う展開の積み上げで、物足りない。
そういうありふれたエピソードにリアリティを付与するためには、役者が有無を言わせぬ説得力で観客を物語に引き込んでしまうしかないのだが、小瀧万梨子も川嶋一実もそこまで強靭な力技を発揮するには至っていないように思う。
ことあるごとに反目し合い、互いに不満をぶつけ合う二人だが、ややもすると演技が単調になるきらいがある。それが、そのまま舞台の平板さにつながっているように感じた。
これは、あくまで僕の個人的な好みに過ぎないけれど、冒頭の文化祭でのエピソードでは、もう少したまこに斜に構えたニヒリズムがほしいし、後半の展開ではゆかりに突き放したシニシズムがほしい。
何というか、感情のぶつけ方が一本調子で、ややメリハリを欠くように思えたからだ。
それから、二人の人生で重要な意味を持つのは言うまでもなく“歌”であり、劇中でも歌うシーンにかなりの尺が割かれる。音楽オタク的見地から言うと、女優二人の歌唱はお世辞にも感心できるレベルとは言い難く、それがこの演劇に身を委ねきれなかった大きな要因であった。
ただ、ゆかりが他のものをすべて犠牲にしてまで歌うことにこだわる理由が圧倒的な説得力を持っていて胸に迫ることと、ラストで学生時代のたまこを登場させる伊藤毅の演出はエモーショナルな輝きを放っていて秀逸だ。
それから、舞台の要所要所にセクシュアリティが盛り込まれているのも、この女性二人芝居の大きな要素だろう。あえて足を開いて、だらしなくシャツを着崩したたまこのスタイル、中盤に登場するたまことゆかりのキス・シーンと、何気にリアルな息遣いと挑発を仕掛けてくるのも刺激的だった。
とりわけ、小瀧万梨子という女優には、おそらく彼女自身も無自覚と思われるイノセントなコケティッシュさがあって、それをこの舞台はうまく引き出していたように思う。
アフタートークでの川嶋一実の口ぶりからすると、この作品はこれからも長く演じられるようだし、どう舞台としての洗練と進化を模索するかが今後の鍵になるのではないか。
「たまことゆかり」は、川嶋一実とともにこれからもっと育っていく作品だろう。
余談ではあるが、小瀧さんのブレザー姿がナチュラルにはまっていて、何だか感心してしまった。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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同じ高校の同じクラスだが、まったく対照的なたまこ(小瀧万梨子:青年団・うさぎストライプ)とゆかり(川嶋一実:週末女優)。
バンドのボーカルで作詞・作曲もこなすたまこは、言ってみれば高校の有名人で行動も派手な目立つ存在だが、ゆかりはまじめだけが取り柄の地味な優等生で影も薄い。
高校最後の学園祭で演奏することになっているはずのたまこは、模擬店の喫茶室と化している教室の机でなぜか突っ伏して寝ている。店番のゆかりがたまこを揺り動かすが、バンドはさっき解散したからステージにも立たないと鬱陶しそうにたまこは言った。
たまこは、バンド・メンバーの大久保の子を妊娠しているのだとつい告白してしまう。言葉を失うゆかり。それでも、たまこをステージに立たせたくて食い下がるゆかりに、「だったら、あなたが一緒にステージで歌ってよ!」とたまこは無茶振りした。
あれから10年。28歳になったたまことゆかりは、ライブハウスを拠点に女性ボーカル・ユニットとして活動しているが、生活は苦しくたまこは曲作りしながらバイトを四つも掛け持ちしている。
焦りといら立ちが募るたまことは対照的に、ゆかりは常に前向きで楽しそうだ。そんな相棒の姿もたまこは気に食わず、何かにつけて二人はケンカが絶えなかった。
ゆかりは、たまこのかつての恋人・大久保と付き合っていた。しかも、彼女はプロポーズされた。ただ、結婚を機に歌手を辞めてほしいと大久保から言われていた。たまこは激しく動揺しつつも、これが最初で最後のチャンスだから歌なんか辞めてとっとと結婚しろというが、ゆかりは結婚より歌うことを選んだ。
また、10年が経過した。相変わらず歌い続けているたまことゆかりだったが、今のたまこはオリジナル曲も書かず、まるで惰性のように有名曲のカバーをライブで歌っている。彼女は、体形も中年化が加速しており、若いミュージシャンの影におびえつつ何とか細々とプロ活動を続けていた。
高校時代、たまこの歌への情熱に巻き込まれてこの道に足を踏み入れたゆかりだったが、今では彼女の方がよほどたまこよりも歌うことに情熱を持っていた。
20年間変わらず意見の食い違う二人だったが、食い違いの質は当初とずいぶん様相が違ってきていた。
このところ、毎回のようにライブ会場には大久保の姿があり、ゆかりは自分へのストーカー行為ではないかと気持ち悪がるが、たまこは大久保のことを必死でかばった。
腑に落ちないゆかりが問い詰めると、実は自分が大久保に来てもらっているのだ、とたまこ。
実のところ、たまこはいまだ大久保のことが好きで、彼女は大久保との結婚や普通の家庭を持つことを望んでいたのだ。
結局、たまこは歌を捨てて大久保と結婚した。ゆかりは、一人で歌うことを躊躇なく選んだ。皮肉と言えば、皮肉な話だった。
また、10年が経過した。コンビ解消後、一度もゆかりの歌を聴きに来なかったたまこが、突然ライブ会場に現れた。終演後、楽屋に顔を出したたまこを歓迎するゆかり。たまこも、いまや二児の母親だった。
久しぶりの再会をゆかりは喜んだものの、彼女はたまこの本心を知っていた。大久保が会社を辞めて生活に困ったたまこは、ゆかりの懐を当てにしてきたのだ。ゆかりが借金を断ると、だったらマネージャーでも何でもやらせてくれないか、とたまこ。そんなかつての戦友の変わり果てた姿に、心底失望するゆかり。
自分のみじめさに気づいたたまこは、そのうちまた歌を聴きに来るから、と言った。今日のライブでは、ちゃんとゆかりの歌を聴く余裕すらたまこにはなかったからだ。
去っていくたまこの後ろ姿に、ゆかりはかけるべき言葉も見つからない。
仕事を終えて、疲れた体で夜のバス停へと歩くゆかり。ふと顔を上げると、道の向こうにたまこの姿を見たような気がした。
高校のブレザーを着崩し、ちょっと尖って、生意気で、鼻息が荒くて、いささか自信過剰で、将来への希望と不安で胸をいっぱいに膨らませていた18歳のたまこの姿を…。
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歌でつながったシンメトリカルな女性二人の18歳から48歳まで30年の月日を描いた、ちょっとビターで濃密なクロニクル劇である。
正直に言うと、僕はこの物語が提示するたまことゆかりの転機となる出来事の数々がいささか定型的に過ぎると思う。
まったくキャラクターの異なる二人の女性のありふれた人生の邂逅と別離、二人それぞれのスタンスを対比して進む物語。歌い続けることに疲れた者と歌うことに憑かれた者という二人の立場が入れ替わるややシニカルでニヒリスティックなドラマ構造と、センチメンタルな余韻を残して綺麗に収束する伊藤の技巧的な演出手腕にはハッとする。
けれども、そこに至るまでの過程がともすれば既視感を伴う展開の積み上げで、物足りない。
そういうありふれたエピソードにリアリティを付与するためには、役者が有無を言わせぬ説得力で観客を物語に引き込んでしまうしかないのだが、小瀧万梨子も川嶋一実もそこまで強靭な力技を発揮するには至っていないように思う。
ことあるごとに反目し合い、互いに不満をぶつけ合う二人だが、ややもすると演技が単調になるきらいがある。それが、そのまま舞台の平板さにつながっているように感じた。
これは、あくまで僕の個人的な好みに過ぎないけれど、冒頭の文化祭でのエピソードでは、もう少したまこに斜に構えたニヒリズムがほしいし、後半の展開ではゆかりに突き放したシニシズムがほしい。
何というか、感情のぶつけ方が一本調子で、ややメリハリを欠くように思えたからだ。
それから、二人の人生で重要な意味を持つのは言うまでもなく“歌”であり、劇中でも歌うシーンにかなりの尺が割かれる。音楽オタク的見地から言うと、女優二人の歌唱はお世辞にも感心できるレベルとは言い難く、それがこの演劇に身を委ねきれなかった大きな要因であった。
ただ、ゆかりが他のものをすべて犠牲にしてまで歌うことにこだわる理由が圧倒的な説得力を持っていて胸に迫ることと、ラストで学生時代のたまこを登場させる伊藤毅の演出はエモーショナルな輝きを放っていて秀逸だ。
それから、舞台の要所要所にセクシュアリティが盛り込まれているのも、この女性二人芝居の大きな要素だろう。あえて足を開いて、だらしなくシャツを着崩したたまこのスタイル、中盤に登場するたまことゆかりのキス・シーンと、何気にリアルな息遣いと挑発を仕掛けてくるのも刺激的だった。
とりわけ、小瀧万梨子という女優には、おそらく彼女自身も無自覚と思われるイノセントなコケティッシュさがあって、それをこの舞台はうまく引き出していたように思う。
アフタートークでの川嶋一実の口ぶりからすると、この作品はこれからも長く演じられるようだし、どう舞台としての洗練と進化を模索するかが今後の鍵になるのではないか。
「たまことゆかり」は、川嶋一実とともにこれからもっと育っていく作品だろう。
余談ではあるが、小瀧さんのブレザー姿がナチュラルにはまっていて、何だか感心してしまった。