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城山羊の会『自己紹介読本』

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2016年12月1日ソワレ、下北沢の小劇場B1で城山羊の会『自己紹介読本』の初日を観た。

 


作・演出は山内ケンジ、舞台監督は神永結花・森下紀彦、照明は佐藤啓・溝口由利子、音響は藤平美保子、舞台美術は杉山至、衣裳は加藤和恵、演出助手は岡部たかし、照明操作は櫛田晃代、音響操作は窪田亮、宣伝美術は螢光TOKYO+DESIGN BOY、イラストはコーロキキョーコ、撮影は手代木梓・ムーチョ村松(トーキョースタイル)、制作は渡邉美保(E-Pin企画)、制作助手は山村麻由美・美馬圭子、制作プロデューサーは城島和加乃(E-Pin企画)。主催・製作は城山羊の会。
助成は芸術文化振興基金、協賛はギーク ピクチュアズ。
協力はエー・チーム、レトル、クリオネ、ウィズカンパニー、quinada、バードレーベル、青年団、山北舞台音響、田中陽、TTA、黒田秀樹事務所、シバイエンジン、E-Pin企画。


こんな物語である。

とある公園の一角。長いベンチの端に一人座ってスマホをいじりつつ、待ち合わせの相手を待っている風の女性ミサオ(富田真喜)。もう片側の端に座って、文庫本を手に彼女の様子をうかがう男増淵(岡部たかし)。その光景を無言で見守る、壊れたのか水の出ない小便小僧。公園の近くでは、工事現場の音が時折聞こえてくる。

意を決して…というほど深刻ではなく、むしろ意味不明の軽さで自分は役所の職員だと唐突に自己紹介を始める増淵。もちろん、ミサオは怪訝そうな顔で増淵を見ている。
というより、明らかにミサオは関わりになりたがってないのだが、増淵はお構いなしに会話を進めていく。
いったん会話は打ち切られたかに見えたが、性懲りもなく増淵は話しかけてきた。「化学の教師のように見える」という言葉に、意外なほど反応するミサオ。「こんな教師、いる訳ないじゃないですか」と断言する彼女に、「いやいや、本当に先生に見えますよ」と返す増淵。

そんなやり取りをしているところに、ミサオと待ち合わせしていたユキ(初音映莉子)とユキの恋人カワガリ(浅井浩介)がやってくる。この二人が、ミサオに相談を持ちかけたのだった。
何となく微妙な空気が漂い始めたが、またしても増淵が自己紹介を始めようとする。二人は、増淵をミサオの知り合いだと思い込むが、今ここで会っただけだとミサオから聞かされ混乱する。しかし、例によって増淵は一向にひるむ様子もない。
どうやら、微妙な空気は増淵の存在が原因ではなく、そもそもミサオとユキの関係性にあるようだった。増淵がミサオのことを教師のように見えると言った話に、ユキは「そうじゃない」と言ったが、「もう、辞めたじゃない」とミサオ。「そりゃ、そうよね…」とユキ。このやり取りで、微妙な空気は不穏な空気へと変化した。
返す刀の如く、ミサオはカワガリがユキと付き合い始めたのは去年の5月からでまだ日が浅いとか、ユキは男の人がとっても好きだからとか、あまりこの場で言及することが適切とも思えない情報を次々と口にした。

そこに、今度は増淵と待ち合わせしていたという役所の後輩曽根(松澤匠)がやってくる。また自己紹介へと話が戻り、混沌は新たなる混沌へと向かっていく。
すると、今度はやたらと名刺を配りたがる産婦人科医の柏木(岩谷健司)と、最近結婚した妻の和恵(岩本えり)がやってくる。この夫妻は、曽根が増淵に紹介しようとしてこの公園に呼んだのだ。

ユキとカワガリがとある深刻な事態をミサオに相談するという本来の目的が捨て置かれたまま、関係性のよく分からない七人がそれぞれに気まぐれな会話をまき散らしつつ、事態はよりカオスへと迷走していくが…。


そもそも、あえて手狭な小劇場B1を選んだこと自体、「如何にも、山内ケンジだなぁ…」と若干の苦笑を交えつつ思った。彼の作る演劇同様、一筋縄ではいかない人である。
そして、公園のベンチに舞台を限定したワン・シチュエーション芝居という、役者陣にとってなかなかに過酷な環境。
悪意とセクシャリティがふんだんに盛り込まれた毒素の振りまき方や、後半における矢継ぎ早の展開、終演直前での如何にもなツイストと、どこを切っても城山羊の会である。

ただ、これまでの城山羊の会諸作では、奇妙な人物こそたくさん登場してきたものの、そこには明確な人物同士の関係性が設定されており、そのシチュエーションが思ってもみない方向に暴走して隠微なわいせつ性とダークな暴力性に帰結するという展開が多かったように思う。
ところが、本作においては登場人物七人の立ち位置や関係性がほぼ説明されないまま、かろうじて会話の端々にヒントを散りばめただけで、話がどんどん進んでしまう。
曖昧さを曖昧さのまま記号的に放置して、ひたすらちぐはぐな会話から生じる間と居心地の悪い沈黙だけで舞台を構築しているのだ。
そう、ある種の前衛というか、相変わらず攻めの姿勢を緩めない作劇こそ、山内ケンジの山内ケンジたる所以である。
本作を見ていて僕は終始もやもやした気分になっていたのだが、それはおそらく登場人物がそれぞれに抱いている関係性のもやもやと同等の不確かさに起因していたのだろう。
そのもやもやの呪縛から解放してくれるのが、城山羊の会としては珍しくコミカルな仕掛けを施したエンディングである。

基本的に間が命の会話劇で一幕物90分という尺は、さすがに見ていてところどころダレる個所があったし、正直七人の登場人物をうまく活かしきれていない部分もあった。
初日であることを考えればなかなかにハイ・クオリティだったと思うが、公演回数を重ねることによって、さらに会話が研ぎ澄まされて舞台は洗練されていくことだろう。


本作は、変わることなく攻めの姿勢を崩さない山内ケンジの新作。
ちょっとした話題になった映画『At the terrace テラスにて』を見た人にも見逃した人にも、自信を持ってお勧めしたい逸品である。


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