製作総指揮・原案:畠中基博、/企画:畠中節代、益田康久、熱田俊治/プロデューサー:熱田俊、治新津岳人/オリジナルストーリー:藤村磨実也/脚本:藤村磨実也、小林政広:音楽:周防義和/撮影:伊藤潔/照明:木村匡博/美術:山崎輝/録音:北村峰春/編集:金子尚樹/音楽プロデューサー:亀井亨/監督補:川原圭敬、丹野雅仁/助監督:石田和彦/制作担当:植野亮/制作統括:畠中節代/後援:宮城県、仙台市、気仙沼市/タイトルバック曲:水越けいこ「海潮音」(作詞:水越けいこ/作曲:工藤霊龍/編曲:和田春比古)(徳間ジャパン)
制作プロダクション:葵プロモーション/製作:パグポイント、葵プロモーション
2006年/35mm/117分/カラー/アメリカンビスタ
本作は、2005年9月にクランクインして1ヵ月半で撮影された。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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宮城県気仙沼市在住で、趣味の考古学研究に熱中する川島輝子(鈴木京香)。彼女は、高校時代に警察官の父を病気で亡くして以来、母の房子(倍賞美津子)と二人暮らし。三十を過ぎても結婚することなく好き勝手に生きる娘の行く末を心配して房子は盛んに見合いを勧めるが、輝子はまったく興味を示さない。時間さえあれば気仙沼湾に潜って、ガラクタにしか見えない物を拾ってくるのが彼女のライフワークだった。
輝子は、事務の仕事を終えると時間さえあれば宮城文化大学文化部文化人類学考古学研究室に顔を出した。助教授の村井拓海(杉本哲太)は彼女の幼馴染で、「拓兄」「輝坊」と呼びあう仲だ。拓海はバツイチで知り合いのご婦人(あき竹城)から盛んに見合い話を持ち込まれるが、輝子同様ひたすら断っていた。研究室には、彼の一人娘の宮里千鶴(阿井莉沙)も所属している。
輝子が拓海の研究室を訪れると、彼の部下である笹尾レイコ(渡辺真起子)を紹介されるが、笹尾は敵意を剥き出しにした。
幼き日のある夏、輝子(鈴木奈々)は海から上がった拓海(小野寺良介)に外国の文字が書かれた何かの欠片をもらった。それがきっかけで、彼女は遺跡に興味を持つようになる。高校時代は考古学部に所属し、輝子は貝塚を発見して地元の大きな話題にもなった。
今でも、彼女は拓海からプレゼントされた欠片を大切に持っている。
拓海は、多忙な研究の日々の合間を縫って依頼されたコラムや原稿を執筆している。しかし、彼のいささかロマンチックに過ぎる発想は、彼の上司である殿村徳治教授(岸部一徳)の不興を買っていた。
そんな拓海の姿勢が、輝子にとっては好ましかった。彼女にとって、考古学はロマンそのものだ。
ある日、輝子は海に潜って硯の破片を見つける。彼女も属している海を守る会の知人に見せると、伊達政宗に献上されたことでも有名な雄勝硯ではないかと言われた。しかも、かつてこの辺りの海で沈没船を見た漁師がおり、その人曰く船には財宝が積まれていたらしい。
その話にロマンを掻き立てられた輝子は、当時のことをよく知る鳥飼夫人(加藤治子)を紹介されて会いに行く。鳥飼夫人の話では、その漁師は周りから嘘つき呼ばわりされ続けながらも、一人沈没船を探し続けた末に発見できぬままこの世を去ったのという。驚いたことに、その漁師は拓海の祖父だった。
初耳だった輝子は、拓海に会いに行くとどうして話してくれなかったのかとムクれた。
海を守る会が植林した場所にまた測量業者が勝手に入り込んでいるとの連絡を受けた輝子は、現場に駆けつける。業者たちは、宮城文化大学・殿村教授の依頼で行っているだけだと弁明するが、輝子は責任者に話をつけようとする。
輝子が明光コンサルタント仙台支局に連絡を入れると、何故か料亭で会うことになった。鼻息荒く乗り込んだ輝子に、相手の男はフレンドリー話しかけて来た。何と、測量の責任者は高校時代の同級生・瓜生達也(鈴木一真)だった。
徹底抗戦のつもりが思いがけず同窓会となったが、偶然にも同じ料亭に房子がやって来る。一緒にいるのは、亡き父の後輩警察官・武野武(國村隼)。二人はどう見ても相思相愛で、房子が執拗に輝子に見合いを勧めるのも半分は自分が再婚したいからだった。
食事を終えると、瓜生は輝子を車で送った。車内で、冗談めかして瓜生は輝子に想いを告げるが、輝子はその言葉をかわすと車を降りた。
輝子から話を聞いた拓海は、殿村に何を根拠に試掘するのかと詰め寄った。しかし、殿村はさも不快そうに拓海を自分の部屋から追い出した。実は、殿村は秘かに拓海のことを探っていた。拓海の部下である笹尾は殿村と関係を持っており、スパイとして拓海の研究室に送り込まれたのだった。
また、殿村は懇意にしている滑川リサーチに拓海の周辺を調べるよう依頼してもいた。
輝子は、雄勝硯を発見したポイントで新たな物を見つけた。今度は、キリスト教のメダイの欠片のようだった。早速拓海の研究室を訪れた輝子だったが、あいにく拓海は不在。出て来たのは、笹尾と殿村だった。行きがかり上輝子はメダイを殿村に見せるが、殿村はさも感心なさそうに念のため鑑定に回すからと言ってメダイを預かった。
一度はその場を辞去した輝子だったが、思い直す。笹尾を伴い自分の研究室へと戻る殿村より先に、輝子は殿村の部屋に忍び込んで机の下に影に隠れた。
部屋に戻ると、殿村は輝子が見つけたメダイを隠れキリシタンの財宝の在処を示したヨハネの座標の可能性があると笹尾に言った。
その話を聞いた輝子は、一瞬の隙をついて机の上に置かれたメダイの欠片を奪うと、二人に気づかれないように研究室を抜け出した。
メダイがなくなっていることに気づくと、殿村は滑川リサーチに連絡。拓海ではなく輝子を探し出してバッグを奪うよう命じた。
殿村教授の部屋を抜け出した輝子は、その足で明光コンサルタントにやって来た。彼女は、瓜生に頼んで車を出してもらう。二人がビルから出て来ると、ちょうどそこでは滑川リサーチの二人が途方に暮れていた。今仙台に来ているからと言われても、何の手がかりもない輝子をどうやって探せるものか、と。運命のいたずらか、明光コンサルタントと滑川リサーチは同じビルに入居していたのだ。
輝子の車は、とある教会の前で停まった。出て来た牧師(香川照之)はメダイを見ると、ヨハネの座標かもしれないと言った。牧師の話では、この地には支倉常長がヨーロッパから持ち帰った400年前の財宝が隠されているとの言い伝えがあるとのことだった。
話を聞き終わると、輝子と瓜生は礼を言って車に乗った。その車を滑川リサーチが追いかける。
瓜生は港に車を停めると改めて輝子に告白したが、輝子はその申し出を断って車を降りた。ようやく女が一人になったとほくそ笑む滑川リサーチの二人だったが、彼らは窃盗未遂で見回りの警察官に逮捕されてしまう。
おまけに、彼らはあっさり口を割ってしまい、殿村の研究室にも刑事たちがなだれ込んで来た。
遺跡発掘に係る偽装が発覚し、殿村は失脚した。告発したのは拓海で、大学は記者会見を開いた。殿村の指示に従い、結果としてその片棒を担がされた瓜生も会社から責任を押し付けられて辞職を余儀なくされた。
仙台を去る前にそのことを告げた瓜生に、輝子は「でも、それが自然を壊す言い訳にはならない」と言った。一方の彼女は、自分は夢を追っているのではなく、考古学を追及する者として伝説の財宝が“存在しない”ということも含めてハッキリさせたいのだと言いきった。そして、二人は握手をして別れた。
拓海の研究室は、一連の事件もあってざわついていた。拓海は、輝子にこの辺りでもういいんじゃないだろうか…と告げた。この言葉を聞いた輝子は、失望と怒りを露わにする。自分は、夢を追う男をずっと求めて見合いもせずにここまで来たが、所詮そんな男などいやしないと言い捨てて研究室から出て行った。
拓海が、輝子の家にやって来た。何を今更という表情を浮かべる輝子に、拓海は例のメダイの欠片を見せてほしいと言った。拓海は、輝子から聞いたポイントに潜ってさらにいくつかの品を発掘していた。メダイの他の破片も混じっていた。
二人は、メダイの欠片を繋ぎ合わせた。ラテン語で書かれた文字を翻訳すると、やはり伝説のように何かの場所を示唆しているように読めたが、一部ピースが欠けていた。
その形を輝子はどこかで見た記憶があった。果たして、いつ、どこでだったのか…。しばし思いを巡らせた輝子の表情に、パッと光がさした。
彼女は2階に上がって行き自分の部屋に並んだ幾つかの小壜の中からお目当ての物を探し出すと、再び拓也のところに戻った。少女時代の自分に、拓海がプレゼントしてくれたあの宝物だった。
メダイの言葉と気仙沼湾の海図を突き合わせ、メダイが示唆する三角形の部分を探す二人だったが、その場所が特定できない。すると、やはりポイントで見つけた鏡を拓海が取り出す。輝子が表面を磨いてみると、そこには十字架と三角形が浮かび上がった。
これで、場所は特定できた。無人島の唐島だ。ただ、メダイに記された数字の意味は依然として解明できぬままだ。探すとなれば、小さな無人島とはいえあまりに広範囲だ。
拓海は、メダイを千鶴に見せてみた。すると、彼女は聖書の章立てのことかもしれないと呟いた。隠れキリシタンの財宝の在処を示すとなれば、あり得る話だった。これで、手掛かりはすべて揃った。
輝子、拓海、千鶴の三人は唐島に渡った。すると、無人島のはずが古い神社があった。教会ではなく、神社が。ひょっとすると、この島に隠れキリシタンたちが身を寄せていたのかもしれない。だとすれば、神社はそのカモフラージュだろう。
近くに樹齢数百年と思しき大木があった。その幹には一か所くり抜かれたような穴がある。十字架が記された例の鏡をはめ込むと、何かのスイッチが作動したようにその鏡は大木の中へと吸い込まれて行った。幹はくり抜かれており、地下に何かが隠されているようだった。三人は、意を決して中へと入って行った。
そこは、広い地下聖堂だった。礼拝堂に位置する場所には十字架が鎮座しており、その下には古びた箱が置いてあった。
人の気配があった。驚いた三人が人影に視線を向けると、そこには殿村が座していた。「この世の見納めにと思ってね。こう見えても、私はクリスチャンなんだよ。これを持って、とっとと立ち去りなさい」と言うと、殿村は鍵を投げた。
訳も分からぬまま、三人は小さな箱と鍵を持って外に出た。すると、地下で爆破音が響き、地面が揺れた。
箱の中から出て来た物、それは日本語に訳された古い聖書だった。隠れキリシタンたちが何年もかけて翻訳したものだろう。彼らが後世に伝えるべき宝、それは信仰だった。
400年の時を隔てた隠れキリシタンたちの魂に想いを馳せ、輝子は落涙した。
身内だけのささやかな結婚式が執り行われ、房子と武は再婚した。牧師を務めたのは、メダイのヒントをくれたあの牧師だった。
房子が出て行き一人暮らしになった輝子の家を拓海が訪れた。「浜で待ってる」とだけ言うと、拓海は車を発進させた。
輝子は、拓海の写真を挟んだお見合い写真をカバンに押し込むと、珍しく口紅を引いて出かけた。
一人浜辺に立つ拓海のところに、輝子は期待を胸に近づいた。拓海は、「これからは、夢に生きるよ。君と出逢った頃のようにね。それだけ、伝えたかったんだ」と言った。
その場を立ち去ろうとする拓海に向かって、輝子は言った。「私、お見合いしようと思うの。この人なんか、どうかな?」。そう言って彼女が見せた見合い写真には、拓海が写っていた。
拓海は、目を見開くと「…いいんじゃないかな…」と言うのがやっとだった。しばしの沈黙。こぼれそうな輝子の笑顔。
「輝坊…」と言いかけた拓海に、すかさず輝子は「お見合いの相手に、輝坊なんて失礼でしょ!」と突っ込んだ。「輝…」と言いかけてなかなか「子」と続けられない拓海。
すると、足元で何かが光った。拓海がそれを拾い上げると、「これは、義経の隠し財宝かもしれない!」と言った。
二人は、幸せそうな笑顔を浮かべながら、じゃれ合うようにその破片を奪い合うのだった。
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小林政広のフィルムグラフィにおいて、本作ほど数奇な運命を辿っている作品もないだろう。
この作品は、元々パグポイントの畠中基博が『ええじゃないかニッポン』という東北各県を舞台にしたシリーズの一本として企画したものだ。当初、小林が依頼されたのは福島県を舞台にした作品で、彼は田中裕子主演でシナリオを準備していた。
ところが、第一弾の宮城篇が暗礁に乗り上げ、急遽小林に企画が持ち込まれた。脚本が共作になっているのも、その辺りのごたごたが影を落としている。
何とかクランクインに漕ぎ付けたが、今度は製作費の面でより深刻な問題が発生する。作品は完成したものの、事は裁判沙汰に発展してしまう。完成と同時に、映画はお蔵入りの憂き目にあう。
ゆえに、本作は単発の上映以外に劇場でかかる機会もなく、ソフト化もされていない。
当初から小林が関わったものでないため、他の小林作品とはかなりテイストの異なる作品になっている。何と言っても、伝説の財宝を巡るラブ・ロマンス!なのだから。
本作を一言で評するならば、たとえば「火曜サスペンス劇場」に代表される2時間枠のテレビドラマのような映画ということになるだろう。皮肉でも何でもなく、小林政広はこういうベタな作品もしっかり撮れるんだな…と僕はシンプルに思った。
前述したように、クランクインするまでに迷走した作品ということもあり、脚本的な瑕疵が散見される。またフィルム・コミッションが絡んだ作品でもあり、あまり必要を感じないシーンがある一方で、物語としてはいささか言葉足らずで上手く機能していないエピソードもある。
その最たるものが、殿村教授の描き方だろう。何度か挿入される殿村の意味ありげな礼拝シーン、拓海にスパイを送り込む行為、教授失脚の原因となった遺跡発掘に係る一連の偽装…。
映画の中ではちゃんとした説明がなされないが、僕が本作を見て考えたのはこんなアウトラインである。
殿村は隠れキリシタンの末裔の一人であり、拓海の祖父が沈没船を目撃したことからそれ以降村井家の動向を末裔たちは注視していた。自分の研究室に拓海がやって来て学究に縛られない自由な発想で様々な調査をすることに危機感を覚えた殿村は、部下で愛人関係にある笹尾を拓海の研究室に送り込んだ。
明光コンサルティングを使っての一連の発掘作業も、400年の長きにわたって隠し続けた翻訳聖書と地下聖堂を守るためだったが、それが仇となり失脚。殿村自身は地下聖堂と共に自らの命を断ち、聖書については輝子と拓海に託した…。
あと、房子の結婚式でチラッと登場する尾野真千子が自分の懐妊を告げるシーンも、何やら唐突である。
鳥飼夫人と拓海の祖父との結ばれることのない恋愛も、海を守る会の活動も舌足らずな印象を受ける。
そして、物語後半の謎解きに拓海の娘・千鶴が関わるから彼女の存在は外せないのだが、輝子と拓海のラブ・アドベンチャーが主軸の本作において、拓海がバツイチという設定も据わりが悪い。やぱり、拓海は偏屈な独身でないと…僕は思う。
本作を見た感想を率直に言わせて頂けば、「鈴木京香がこれだけ表情豊かで魅力的に映っていれば、もうそれだけで充分じゃないか!」ということになる。
本当に、この映画は彼女がその役名通り輝いてさえいれば、それでOKなのだから。
いささかオーバー・アクション気味だし、ところどころお約束的にベタなくすぐりも用意されている。また、何で香川照之が片言の日本語をしゃべるのかも分からないが、まあそれもご愛嬌だろう。
あまりに分かりやすいラブ・ロマンスのシーンも、他の作品では観ることができないレアな小林演出である。
でも、それでいいのだ。鈴木京香と杉本哲太の明快で迷いなき演技は本作の雰囲気に合っているし、岸部一徳と渡辺真起子のヒール役、鈴木一真の演技も余計なギミックのないストレートさである。
エンディング直前のテレ隠しには、むしろ見ているこちらの方が照れてしまいそうだが、それはそれで悪くない。
本作は、鈴木京香のクルクル変わる表情と健康的な魅力をこそ堪能すべき“シンプル・イズ・ベスト”な娯楽映画。
詮無いことではあるが、本作がちゃんと公開されていたら小林政広の作家的方向性も少し違った展開を見せたかもしれないと思えてくる一本である。
余談ではあるが、ラストシーンに使われた御伊勢浜海水浴場の砂浜や他の数々の風景も、東日本大震災によって今は失われてしまっている。