監督・脚本:大塚信一/撮影・照明:飯岡聖英/録音・整音:小林徹哉/監督補:上田慎一郎/助監督:小関裕次郎、植田浩行/制作:吉田幸之助/撮影助手:岡村浩代、榮穣/メイク:大貫茉央/美術応援:広瀬寛己/DCP制作:安楽涼(すねかじりSTUDIO)/宣伝美術:西垂水敦(krran)
製作:大塚信一/配給・宣伝:MAP+Cinemago
公開:2020年7月11日
なお、本作は2019年7月14日にカナザワ映画祭にて初上映され、「期待の新人監督賞」を受賞している。
2009年3月。同棲生活をしていた戸田春樹(小林竜樹)と藪内知華子(しじみ)は、知華子の父親が福島の実家で要介護状態になったため別れることになった。証券会社に勤める春樹は、東京を離れることと自分の仕事を天秤にかけて仕事を選んだのだ。
元々作家志望で、自分の書いた原稿が採用されることに決まっていた知華子は相当な読書家で、家にある山のような本を友人の田中絵里(湯舟すぴか)に手伝ってもらい、外に運び出している。春樹は、今日が彼女の引っ越しの日であることを知りながら9時まで帰って来ないという。
知華子は、春樹は優しい人だったというがそれはつまり自分がどうでもいいような存在でもあったからだと冷めた思いも抱いている。ようやく帰宅した春樹を絵里はなじった。荷造りも終わり、知華子と絵里は部屋を出て行った。去り際、「たまには、会いに来てね」と知華子は言った。
春樹は、空っぽになった本棚のある和室で大の字になって眠った。
9年後。春樹は、淡々と証券マンの仕事を続けている。後輩の梅田(長屋和彰)に同行して、老人の家に契約を結びに行く春樹。その老人は一目見て認知症であることが明らかだったが、ノルマ達成のために梅田は契約を進めようとしていた。春樹は、その梅田をサポートして老人にサインさせた。今日の契約のことを、ちゃんと家族にもフォロー入れておけよとだけ彼は忠告した。
ある日のこと、街中で春樹は絵里とばったり出くわす。絵里は、「いい加減、知華子のお墓建ててあげたくて。あの子、ご家族もみんな亡くなっちゃったじゃない。だから、無縁仏になってるんだって」と言った。知華子の死を知らされ春樹は言葉を失うが、絵里はあんな大きな震災が起こったというのに連絡一つしなかった春樹の冷たさを責めた。帰宅した春樹は、今更のようにネットで震災のことを検索した。
梅田に頼まれて春樹は老人の家に契約完了書を届けに行くが、案の定老人は何のことだか全く分からない。春樹は、書類を渡すことなく自分のカバンに戻すと辞去した。梅田に電話を入れて、老人が認知症を患っているからあの契約は無効だと言った。書類は渡さなかったと言うと、梅田は会社での手続きはすでに進んでいるしあの場には春樹もいたではないかと食って掛かるが、春樹は1週間休暇を取ったからと言って電話を切ってしまった。
春樹は、何の当てもなく知華子の実家に向かった。いまだ震災の爪痕が残り、彼女の実家もなくなっていた。春樹が座り込んでいると、着信があった。ディスプレイには「知華子」と表示されていた。電話に出ると「たまには、会いに来てね。全然来ないじゃん」という知華子の声がして切れた。
春樹は、GPS機能を使って発信場所に行ってみたが人気のない埠頭が広がっているだけだった。呆然と海を見つめていると、また春樹のスマホが着信した。今度は、絵里からだった。福島の役所に確認すると、知華子の死亡届が提出されたすぐ後に、彼女の転居届が出されていたとのことだった。役場の人間に聞いても、震災のごたごたでそれ以上のことは何も分からないと言われたらしい。
春樹は、転出届の出された横須賀の住所に向かった。
行ってみると、その家には「グループホーム桃源郷」というプレートが出ていた。半信半疑のまま春樹が中に入ると、三人の老人と中年の男が麻雀を打っていた。春樹が「藪内知華子さんがこちらにいると聞いて来たのですが」と言うと、このホームの経営者である川島拓(川瀬陽太)はそれには答えず自分の代わりに打っていてくれと春樹に麻雀に加わるよう言った。老人たちは、麻雀さえ続けられれば誰であろうがどうでもいいようだった。
春樹が事務室の方を覗いてみると、そこに知華子がいた。彼女は、今このホームで働いているらしい。川島は、彼女の幼い頃からの知り合いだという。「お前、無事だったのか!」と春樹は言うが、驚くべきことに彼女は大震災のことなど全く知らないという。逆に、「何言ってるの?」と春樹は言われてしまう。傍にいた川島にも震災のことを否定されて、春樹の頭は混乱する。
もう一人いたケアマネージャーが突然辞めてしまい、春樹は休暇の一週間このホームを手伝う羽目になるが…。
この作品は、大塚監督が短編映画を撮ろうと考えてフィリップ・K・ディックの名作短編「地図にない町」をモチーフにしたSFの脚本を書き始めたことに端を発する。ラーメン屋で働きながら書き続けた脚本は完成するまでに5年を費やすことになり、映画も短編ではなく86分の長編作品になった。
この作品が、彼にとっては長編デビュー作となる。
本作には、様々なツイストが用意されている。
グループホーム桃源郷をどうして川島が始めたのか、知華子と川島の関係性、なぜ知華子と川島は震災が起こらなかったというのか、物語の一つの鍵となるグループホームに入居する認知症の静(長内美那子)のエピソード、グループホームの実情、契約書類を持ち出した春樹の立場といったトピックが描かれた後、映画はもう一度ぐるりと反転してエンディングを迎える。
物語の舞台が横須賀に移った後、僕はスクリーンを観ながらところどころで不思議な違和感を抱いていた。
何というか、映画の中での現実性が揺らぐような感覚に陥るのだ。それが監督の意図的な演出なのか、それとも単に演出の詰めが甘く細部に緻密さを欠いているのかが判然としないまま映画は進んでいった。
その曖昧模糊としたサムシングが、この不思議な物語にある種のSF臭を漂わせていることもまぎれもない事実だろう。
人を食ったような男女の別れ話で始まる映画は、弱者を騙してもノルマを達成する証券マンのあざとさというエピソードを挿入した後、いきなり大震災の傷痕に切り込んだかと思えば、死んだはずの女性が生きており「地震なんかなかった」と言い張る。グループホームのスケッチも言ってみれば現代社会の深刻な一面だし、失われていく記憶をとどめるために分厚い日記を肌身離さず持っている静という戦争体験のある女性の描写にも深遠さとある種の寓意が漂う。
そして、映画が驚きの展開を見せて終幕すると、映画館の席に座ったまま僕はひたすら混乱することになった。
「現実とは、一体何なのか?」
生きている、あるいは生きているつもりでいる時間、疑うことなく我々は「その現実」の中で悪戦苦闘するしかない。だが、その悪戦苦闘は本当に現実生活の中での悪戦苦闘なのか?
そんな思いに苛まれる実に不思議で背筋が凍るようなエンディングを大塚監督は突き付けてくるのである。何の大仰さもなく、さらっと穏やかに。
それが、とても恐ろしい。
主人公である春樹と知華子に人間的な体温が希薄に感じられて感情移入しづらいのは、監督の意図なのかそれとも脚本に厚みがないからなのかが、物語の性格上判断しかねるところではある。個人的にはもう少し彼らにリアリティを求めたくなるのだが、小林竜樹もしじみも実に淡々と演じている。
特に、しじみに関してはもう少し違った演技の引き出しを見たかったように思う。
逆に、暑苦しいくらいのリアリティを持って描かれているのが川島である。横須賀での物語を引っ張る川島の存在感が大きすぎて、川瀬陽太の熱演はさすがだが映画のバランス的にどうかと思わなくもない。
静(ネーミングも技ありだと思う)を演じた長内美那子の静かで透明感のあるある演技は、この映画に独特の空気をもたらしており、それが物語の展開と見事にシンクロしている。
本作は、とても独創的で色々なことを考えさせる深い作品である。
これが長編デビュー作の大塚信一が、次にどんな作品を撮るのかとても楽しみだ。
余談ではあるが、スタッフの多くがピンク映画ではお馴染みの面々なのもピンク映画ファンの自分には嬉しかった。