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『短篇集 さりゆくもの』

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『短篇集 さりゆくもの』

 

企画・プロデュース:ほたる/タイトルデザイン:funnimal manufacture/DCP作成:西山秀明/予告編編集:中野貴雄/ WEB:稲田志野/チラシ・ポスターデザイン:田中ちえこ/協力:神戸映画資料館、にいやなおゆき、大橋さと子、麿、鈴木章浩、尾崎文太/宣伝:熊谷睦子

製作:「短篇集 さりゆくもの」製作委員会/配給:ぴんくりんくフィルム/配給協力:ミタカ・エンタテイメント

公開:2021年2月20日

 

 

「いつか忘れさられる」(16分)

監督・脚本:ほたる/撮影:芦澤明子照明:御木茂則/助監督:北川帯寛/撮影助手:浜田憲司/撮影助手:松堂法明/ヘアメイク:細谷知代/スチール:友長勇介/メイキング撮影:榎本敏郎/タイトルデザイン:ヨシダアツコ/編集:フィルム・クラフト、酒井正次/現像:株式会社IMAGICA/タイミング:益森利博、小椋俊一/ラボ営業:岡田浩二/制作応援:堀禎一、中村明子、槌谷育子、大橋聡子、林田義行、安井喜雄協力:神戸映画資料館、長野電鉄株式会社、ながのフィルムコミッション、跡部晴康、蔦谷本店、安川善雄、松代ゲストハウス布袋屋、山本薫、アシスト、日本照明、永田英則、深津智男、コダック合同会社、劇団「すずしろ」、倉田操、田中誠一(シマフィルム株式会社)、京都本町館、阿佐ヶ谷映画会、平山あゆみ、西山洋一、今井浩一、今泉浩一、江尻健司、島田雄史、坂井田夕起子、山田亜矢子、三谷悠華、塩田時敏、碧井むく、喜多山省三、加部作次郎、加部栄一、奥村信一、今井繁男、渡辺護

企画・製作:太田耕一

 

 

長野で暮らす渡辺家は、毅(銀座吟八)とその妻・恵子(ほたる)、毅の母・寿江(山下洋子)、長男の孝(サトウリュースケ)、長女の真理(祷キララ)の五人家族。だが、真理の兄・孝は、ミュージシャンになる夢を抱いて東京に出て行き、二度と故郷に戻って来ることはなかった。

寿江は、いつ孝が戻って来るのかといまだに孫のことを待ち続けている。四人の家族は日々を淡々と静かに暮らしているが、心の中にはずっと孝の存在が居座ったままだ。

 

ある日、恵子が車で出かけて行く。小さなスーパー前の駐車場で真理が高校の友達・里々(戸奈あゆみ)と雪遊びしていると、母の運転する車が入って来て店で何かを買うと再び車で出て行った。その姿を真理はじっと見つめていた。

恵子がやって来たのは、地元から少し離れたターミナル駅。彼女は、駅のホームで電車を待っている。やがて、電車が入線してくる。電車が停まると、石井美佐枝(沢田夏子)と娘の佐代子(石原果林)がドアまで出てくる。しかし、二人は駅に降りない。電車の中から、美佐枝は遺骨を恵子に渡した。遺骨を受け取ると、恵子は去って行く電車を見送りホームから去った。

 

孝は夢を叶えることができぬまま、婚約者だった佐代子の妹と二人で暮らしていた部屋で亡くなった。しばらく遺骨を返せぬまま月日が経ち、やがて彼女は新たな縁に恵まれて結婚した。その彼女に代って、母と姉が恵子に遺骨を返しに行ったのだ。

恵子は帰宅すると、受け取った孝の遺骨を仏壇の前に置いた。勘当も同然の状態だった孝と無言の再会をした毅は、骨壷を抱いたまま号泣した。

 

更に月日が流れた。告別式を終えた真理は、恵子の遺骨を抱えて家に戻って来た。彼女は、表情を変えずに母の遺骨を改めた。

家の仏間には、真理の祖父、祖母、兄、父、そして新たに母の遺影が飾られた。

 

 

ほたるも出演した井川耕一郎監督『色道四十八手 たからぶね』(2014)を撮影した際に残った35㎜フィルムを使って製作された短編で、本作が「短篇集 さりゆくもの」が企画されるきっかけとなった。

2017年1月に雪深い長野で撮影された本作は、いまや日本で最も多忙なカメラマンの一人芦澤明子の奥行きのある陰影の美しい映像が俄然目を引く。ケイズシネマでは、この作品をちゃんとフィルム映写機で上映してくれたので、その魅力を存分に堪能することができた。

サイレントで演出されているが、映像の何とも言えぬ味わいと去りゆく者の軌跡とでもいうべき物語の静謐さにはサイレントがよく合っている。

 

本作は、ほたるの初監督作品『キスして。』(2013)同様、彼女の実体験がベースになっている。16分の尺で人の生き死にをどう切り取るかが最大のポイントになる訳だが、正直に言ってしまうと構成に難があると思う。

描くべき肝心の部分が省略されて、あえて描く必要がないと思われる日常の些事に尺を取ってしまったからだ。劇場で無料配布されたパンフレットの記載を読まなければ、恵子が孝の遺骨を受け取るシーンで遺骨を渡す側の二人がどういう関係者なのか全く分からない。やはり、このシーンには字幕が必要だったと思う。

 

また、個人的に違和感があったのは孝の遺骨を改めることなく毅が骨壷を抱いて号泣し、告別式を終えて帰宅した真理が恵子の遺骨を改めることである。息子の告別式に立ち会うことのなかった毅こそ孝の遺骨を改めるはずだし、骨上げをしてきた真理に恵子の骨を改めて見るシーンは必要なかったのではないか。

最小限のストーリーテリングで語り切らなければならないのだから、もう少し脚本を練る必要があったように思う。これだけ画は魅力的なのだから。

個人的な一番の驚きは、沢田夏子がキャスティングされていたこと。彼女は、ビックリするくらい印象が変わっていなかった。

 

なお、本作に関わっているフィルム・クラフトの金子尚樹堀禎一もすでに鬼籍に入っている。

 

 

「八十八ヶ所巡礼」(18分58秒)

監督・撮影・編集:小野さやか/音楽:八十八ヶ所巡礼「極楽いづこ」/EED、MIX:織山臨太郎

製作:Bleu Berry Bird

 

 

2011年のお遍路で小野さやかが道行になった山田芳美さんという還暦を過ぎた男性の姿を追ったドキュメンタリー。無事に八十八ヶ所を回り終えた二人。2020年に小野が編集を始めた時、映画化の件で山田さんに連絡しようとするが彼はすでに亡くなっていた。彼女は北海道に住んでいる息子さんに連絡を取り、ドキュメンタリーのラストで山田さん一家が墓参するシーンを追撮している。

 

ささやかな奇跡と言ってもいいような、邂逅のドキュメンタリーである。ある意味「短篇集 さりゆくもの」を最も象徴している作品だろう。

素材だけで十分に成立してしまう作品だから、余計なものや感傷的なものは極力削ぎ落として少し距離を取ったスタンスで見る側にすべてを委ねてくれれば…と僕は思ってしまうのだが、小野の語り口には、いささか演出としての抒情性と長い“間”を避けることとが常に頭の中にあるように感じてしまう。だから、彼女のナレーションがいささかウェットに過ぎる。

例えば、白内障を患い視界が悪い山田さんについて、「見えなくなる目で、彼はどんな光景を見ているのだろうか…」みたいなナレーションを入れるのだが、白内障は手術すれば治る病気だし、いささか語り口が過多ではないかと思ってしまう。

あと、フレンドリーさを出したいという意図なんだろうと想像するが、やはりタメ口で話しているのがどうにも引っかかってしまった。

 

実を言うと、「あぁ、この映像が残っていたことは幸せな偶然だったんだなぁ」と僕がつくづく思ったのは上映後であった。舞台挨拶に登壇した山田さんの息子さんの話を聞いた時、家族にとって如何にこのドキュメンタリーが宝物のような意味を持っているのかがとてもリアルに実感できたからだ。

人は去り行くけれど、その足跡と思い出は残る。ただ、そこに映像があれば思い出は色褪せることなく鮮明なままなのだ、と。

 

 

「BRUISE OF NOBUE ノブ江の痣」(18分8秒)

監督・脚本・編集:山内大輔/特殊メイク・造形:土肥良成/撮影監督:藍河兼一/録音:小関裕次郎/ラインプロデューサー・助監督:江尻大/撮影助手:赤羽一真/音楽・効果:project T&K、AKASAKA音効/協力47style、RIM

製作:VOID FILMS

 

 

49歳のノブ江(ほたる)には生まれた時から顔の左側に醜い痣があり、そのことで若い頃から彼女は人生に絶望していた。彼女が結婚した三沢(森羅万象)は本能赴くままに生きているような粗暴な男で、頻繁に暴力を振るった。ノブ江と結婚したのも「簡単にやらせてくれそうだからだ」だと、三沢は言ってのけた。

夫の暴力に耐えきれなくなったノブ江は、着の身着のままで家を飛び出す。彼女が路上にうずくまっていると、右足にギブスをはめた青年(可児正光)が松葉杖をつきながら通りかかった。彼はノブ江を自分のアパートに連れて行き、三沢に殴られた怪我の手当てと空腹だった彼女にリンゴを与えてくれた。

何故こんな自分位優しくしてくれるのかと彼女が尋ねても、彼は無言で微笑むだけだった。

 

行方不明になった妻を探すため、三沢は街のあちこちにノブ江の人相書きを描いた張り紙をして回っている。

 

青年の足は偽装で、家ではギブスを外していた。ある日、彼はまたギブスをはめると松葉杖をついて外出した。一人家に残されたノブ江は、がらんとした何もない部屋で一人ぽつねんとしている。ふと気配を感じて押し入れの襖を開けた彼女は、「ヒッ!」と声にならない悲鳴を上げる。

 

青年は、街に張られていたノブ江の尋ね書きを目すると、剥がしてくしゃくしゃに丸めて捨てた。その様子を、近くに張り紙していた三沢が目撃する。その後、青年は盛大に転びうつ伏せに倒れてしまう。そこに通りかかった若い女性(杉浦檸檬)が声をかけると、彼は助けを求めた。彼女は、青年に肩を貸し彼のアパートに連れて行ってやった。

コーヒーでもと言われて彼女がアパートに上がると、部屋は何とも陰気で異臭が漂っていた。彼女が顔をしかめていると、突然青年が襲い掛かってきた。彼は、彼女をサランラップでぐるぐる巻きにした。青年をつけてきた三沢は、部屋の中を覗いていてその光景に息を飲んだ。

 

日を改めて、三沢は青年のアパートに忍び込んだ。ぽつんと置いてある卓袱台の上にはリンゴを載せた皿が出ているが、リンゴは腐っていた。押し入れに目をやると、三沢は襖を開ける。そして、彼は腐敗が始まり染み出した体液でヌルっとしていてウジ虫が這い回るノブ江の生首を見つけた。

彼は、変わり果てたノブ江の顔をまるで宝物のように舐め回す。「やめて」という彼女の心の叫びなど、三沢に届くはずもない。三沢は、ノブ江の生首をビニール袋に入れると満足そうに帰って行った。

誰もいなくなった青年の部屋。押し入れの襖が細く開くと、中から目を光らせた異形の物(小林麻祐子)が叫び声を上げた。

 

 

「これがクラウドファウンディングだったら自分はやらなかった」と山内大輔が言うだけあり、本作はまさに彼のやりたいことをやりたいように撮ったバッドテイスト炸裂のホラー短編である。

 

山内大輔はピンク映画でもホラー作品を何本も発表しており、それらも一見明確なストーリー性は感じられず、モヤモヤしたまま嫌な後味だけを残して終わってしまうものが少なくない。概ね監督本人にはしっかりとした物語があり、曖昧さなど皆無らしいのだが映像になった時に尺の関係や演出上の大胆な省略があって観る側は煙に巻かれたような気持ちになってしまう訳だ。

本作もその系列に位置するが、暴力性や猟奇的な残虐さはより容赦がない。誰にも忖度や遠慮することなく、低予算なりに思う存分やるという彼の意志がひしひしと伝わる禍々しい力作である。

例によって、青年は何者だったのか、彼の部屋の歪んだ時の流れは何なのか、押し入れに潜むのは何者なのか…と謎が山積している。

 

キャストは、山内組ではお馴染みの面々でそれぞれが自分の役目をきっちりと果している。

 

「さりゆくもの」がテーマになった本オムニバスの中で、唯一“去り行くことさえ許されない”特異な作品である。

 

 

「泥酔して死ぬる」(15分)

監督・脚本・編集:小口容子/撮影:宮川真一/録音:中川究矢/現場スタッフ:戸屋幸子、早見紗也佳/ロケ地協力:木乃久兵衛、尾崎文太/アニメーション制作:三ツ星レストランの残飯/音楽:Suzukiski/参考文献:「しらふで生きる」町田康 著、「上を向いてアルコール」小野嶋隆 著、「アル中ワンダーランド」まんしゅうきつこ 著、「オトナになった女子たちへ」伊藤理佐(朝日新聞連載中)

 

 

自主映画界のワインスタインを自称する小口容子は、自分の作品の出演俳優でセフレ(佐藤健人)が同じ役者の加藤麻矢と出来てることを疑い、詰問する。小口は麻矢のことを悪しざまこき下ろすが、佐藤は彼女のことをいちいちフォローした。

小口は、少し前に脳出血で倒れ、二か月間の入院を余儀なくされた。自分にもしものことがあれば、葬式の受付はあんたたち二人がやれと彼女は無茶振りする。

佐藤はそのことを麻矢に話し、彼女は呆れて物も言えない。それはそれとして、二人の関係は小口の睨んだ通りだった。

 

病気の原因は自分の飲酒癖にあると考えた小口は、断酒するという苦渋の選択をする。だが、その決意を知り合いの大酒飲み伊牟田耕児に話すと、逆に酒を勧められてしまい「明日からでいいか」といきなり彼女は挫折する。自分には甘いタイプなのだ。

その後も、彼女は知人(鈴木隆弘、佐々木健)と会ってはついつい酒に手が伸びてしまう。

 

こんなことではいかん。このままでは、本当に大変なことになる…と思いはするものの、こと酒に関して彼女の意思は限りなく弱い。

そのことをお怒りになった神は、小口の元に虎を遣わせ彼女は餌食となり、遂には排泄物にされてしまうのだった。

 

 

5本の中で、最もアマチュアリズムが突出したチープでナンセンスな作品。本作は2020年2月に撮影が開始されたが、劇中にもあるように小口容子は2019年6月に脳出血で倒れ、二か月間の入院を余儀なくされた。

冒頭のほぼ必然性が感じられない小口のヌード・シーンにある種の悪意さえ感じてしまうが、全編を通じて出演者の演技がほぼ素人芝居で科白も棒読みに近い。これも、小口ならではの演出なのかどうかは分からないが。

とにかく、ニヒリスティックで自虐的な私映画の如きSFセミドキュメンタリーの様相を呈する本作だが、ラストで唐突に登場する虎とアニメーションは当初からの構想ではなかったらしい。本当は小口が川に流されて終わる予定だったが、そのために撮影した8㎜フィルムがちゃんと映っておらず苦肉の策でこのラストに変更されたという。

 

三ツ星レストランの残飯が製作した強烈なインパクトの下品なアニメーションは、何となく「モンティ・パイソン」のテリー・ギリアムが作ったアニメのように見えなくもない。

 

いずれにせよ、やや頭を抱えたくなるようなある種暴力的でドラッギーな短編である。

 

 

「もっとも小さい光」(18分53秒)

監督:サトウトシキ/脚本:竹浪春花/プロデューサー:ほたる/撮影監督:小川真司/音楽:入江陽/録音:山城研二/編集:十条義弘/整音:西山秀明/助監督:大城義弘/制作:高野悟志/音楽協力:小金丸慧/協力:熊谷睦子、ふくだももこ、内山浩正、スナック奈美、スノビッシュ・プロダクツ、日本映画大学

 

 

母子家庭で育った大山光太郎(櫻井拓也)は、幼少期から男癖の悪い母の沙希(ほたる)を嫌っていた。沙希は男をとっかえひっかえ家に連れ込んでは、そのたびに光太郎を邪魔者扱いしてきたからだ。

その光太郎もすでに30歳。彼は、東京で警備員として日銭を稼ぎながら近所のスナックでバイトする同じ年の杏子(影山祐子)と同棲している。彼は、自分の出自もあってか杏子との結婚を考えてはいない。

 

そんなある日、理由も言わずに突然沙希が北海道から上京する。母ももう53歳になっていた。光太郎は沙希のことをあからさまに邪魔者扱いするが、沙希は今更のように母親として彼に接しようとする。そのことが、さらに光太郎を苛立たせた。

だが、沙希と杏子は意気投合して仲良くやっている。沙希は、帰ることなく幾日も光太郎のアパートに居座った。

 

沙希に無理やり渡された弁当を昼休みに公園で開く光太郎。先輩(古川一博)が、「握り飯か。恋人が作ったのか」と聞いてきた。「母ちゃんですよ。食います?」と言って、光太郎は弁当を先輩に渡した。

握り飯を食べる先輩に、「硬いでしょ?いつも硬すぎなんですよ」と彼は言った。「お前の母ちゃんって、一人者なのか?」と先輩に質問された光太郎は、「そうですけど、まさか…」と戸惑った。

 

光太郎が仕事終わりに杏子がバイトしているスナックに顔を出すと、沙希も来ていた。そこでも光太郎は沙希に冷たい態度をとり、「謝りに来たの?今さら、母親になりたくなった?」と彼女を責めた。「ごめんなさい」とうつむく沙希。杏子は光太郎の態度をたしなめ、ママ(並木愛枝)も喧嘩なら外でやってくれと言った。

沙希は、昔光太郎が持ち歌にしていた演歌をカラオケに入れると、嫌がる息子に無理やり歌わせた。光太郎は、半ばやけくそで声を張り上げる。

 

帰り道、三人が歩いていると光太郎のバイト先の先輩が自転車で通りかかる。彼は沙希に誘いをかけるが、再婚が決まっていて実家も引き払うことになっているからと沙希はやんわり断った。その話を聞いた光太郎は、母が突然訪ねてきた訳を初めて知った。

 

次の朝も、沙希は光太郎にお弁当を渡すと「今日、出て行くから」と告げた。光太郎は、いつものように仕事に出かける。公園での昼休み。光太郎は沙希の作った握り飯を食べながら、「硬えんだよ、くそばばぁ」と毒づくがそこにいつものような嫌悪の情はなかった。

 

杏子は、バス停まで沙希を送った。沙希は、「杏子ちゃん、もしかして…」と言った。「やっぱり、ばれてました」と杏子は言った。彼女は妊娠していた。

「光太郎には言ったの?」と沙希が尋ねると、杏子は首を横に振った。彼女は、これまでにも二度妊娠して、そのたびに男に捨てられたていた。彼女は、光太郎に捨てられることを恐れて言い出せずにいた。そのことが、沙希には痛いほどよく分かる。

沙希は、紙袋を杏子に渡すと「迷惑だろうけど、杏子ちゃん持っててくれないかな」と言った。そして、沙希はやって来たバスに乗って去って行った。

杏子が渡された紙袋の中身を見ると、数冊の大学ノートが入っていた。そのノートには、光太郎の育児日記がびっしり書かれていた。杏子は、その時の沙希の気持ちを思い浮かべつつ、ノートの頁を繰った。

 

沙希を乗せた飛行機が、フライトしているはずの時間。光太郎は交通整理の現場から黙って外れると、見晴らしのいいところに移動して空を見上げる。すると、沙希が乗っているであろうジャンボジェット機が飛んでいった。

光太郎は、手にした誘導灯を飛行機に向かって掲げると、無線で「どこ行ってるんだ!」という同僚の怒り声に謝りながら慌てて持ち場に戻って行くのだった。

 

 

不器用な市井の人々の人生を切り取った、如何にも竹浪春花らしい脚本の作品だと思う。ただ、物語同様に彼女の人物造形にも不器用さと物語的な定形を感じてしまう。

サトウトシキは、実直すぎるくらいに適度な距離感で丁寧に演出している。短編ということもあって、人物描写がやや極端で分かりやす過ぎるきらいがあるのが難点ではある。

飛行機に向かって誘導灯を振る光太郎の姿は感動的だが、その伏線がないためいささか強引で唐突な印象を持ってしまう。

 

やはり、櫻井拓也は本当にいい俳優だったとしみじみ思う。彼が演じると、それが普通の人物だろうと極端にデフォルメされた人物であろうと圧倒的なリアリティをまとうのだ。それは、本作の光太郎にしても同様である。

サトウトシキ作品の常連、ほたるも抑制を利かせた芝居を見せている。そして、影山祐子がとても印象に残った。ある意味、本作を引き締めているのは彼女の存在だろう。

その中にあって、古川一博の演技がやや浮いているのが気になった。

 

本作は、「さりゆくもの」というよりむしろ人生の新たなる出発というイメージである。ところが、結果的にこの映画は関わった全ての人が誰も予期しなかったであろう去りゆく者を描くことになった。

映画は2018年11月に撮影されたが、2019年9月24日に櫻井拓也が急逝してしまったのだ。享年31歳。あまりにも突然の訃報が、まるで昨日のことのように思い出される。

その意味でも、本作を撮ってくれたトシキ監督には本当に感謝しかない。

 

『短篇集 さりゆくもの』は、まったく個性の異なる作品を5本まとめたオムニバス映画だが、なかなか発表の場がない短編作品を上映するひとつのフォーマットの提示としても意義ある試みだったと思う。


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