2021年3月28日、蕨市に前週の金曜日に開店したばかりのお店Public Bar Stu.SutcliffeでNAADAにとって2年4か月弱ぶりのライブが行われた。
一度ライブイベントに出演する予定があったのだが、このコロナ禍でイベントが中止になってしまい、そうでなくても一年に一回くらいしかライブをやらなくなっている彼らはここまでブランクが開いてしまった訳だ。
Public Bar Stu.Sutcliffe自体がこじんまりとした店であり、ソーシャル・ディスタンスを取る必要もあるため、10名ほどの聴衆になった。
しかも、第一部30分と第二部30分の間に換気のため30分の休憩が取られた。マイクには飛沫防止のガードがつけられ、コーラスもつけない徹底ぶりだった。ワンマンでトータル60分という演奏時間も、できる限りの安全性に配慮した結果だろう。
ちなみに、僕が彼らのライブを見たのは2018年12月8日、西新宿GARBA HALL以来で、今回が記念すべき50回目だった。
NAADA : RECO(vo)、MATSUBO(ag)、COARI(keyb)
1st setは、静謐なアコギのアルペジオがイントロの「sunrise」で始まった。本来この曲は心のありようを簡潔に歌った作品だが、こういう状況で聴くとまた違う印象を受ける。フレンチ・ポップ的なキュートさの「Little Fish」にも、さりげなく込められたメッセージ(のような言葉)にいつもとは違った重さがある。
「スクラッチには五線譜を」「まほうのキーライト」という新曲は、比較的簡潔なタイトルが多いNAADAにしてはちょっと珍しいタイトルがつけられている。歌詞について言うと、今この時にこそ歌われるべき歌だと確信した。
演奏時間の長い「空」が朗々と歌われて、第一部は終わった。
2st setは、NAADAchannelで取り上げられたカバーが2曲演奏された後、穏やかな歌唱で聴かせる「Good morning」、セピア色の心象風景をまとった「echo」が続いた。
そして、本日3曲目の新曲「アンフォルメル」。本来、アンフォルメルとは第二次世界大戦後のフランスを中心にヨーロッパで勃興した非定形を志向する前衛芸術運動を指す言葉で、戦争によって人間が定形を失うまでに破壊された状態を表現モチーフにした作品を評したことがその起源。
この曲にも、アンフォルメル作品に込められた想いと共振するような言葉で紡がれている。ただ、この曲で歌われているのは、疲弊し傷ついた心がそれでも希求するアートへの信頼である。ある意味、時事的トピックのような捉え方も可能だが、この曲に託されているのはもっと普遍的な希望である。だからこそ、この曲にはネガティヴさがないのだ。
そして、最後はこの曲しか考えられないという説得力と包容力で歌われた「RAINBOW」。
セットリストからも分かるように、今回のライブは基本的に静かな曲で構成されていた。ここでも、可能な限り飛沫を防ぐことが念頭に置かれているのだ。だから、定番曲の「Humming」「fly」「僕らの色」は外されていた。
これまでに聴けて良かったなぁと感じた彼らのライブはたくさんあったが、演ってくれて良かったなぁと思ったのは今回が初めてだった。
日常からの解放を求めて足を運んでいたライブの場が、今では失われた日常を再確認するための場になってしまったということである。そのことも含めて、この日の彼らの音楽にはいつも以上に特別な力のようなものが感じられた。
終演後、メンバー三人と本当に久しぶりに言葉を交わした後、僕は会場を後にした。
「人は裏切ることがあるけれど、いい音楽は決して裏切ることがない」と思いながら。