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内田英治『ミッドナイトスワン』

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『ミッドナイトスワン』


 

監督・脚本:内田英治/音楽:渋谷慶一郎/エグゼクティブプロデューサー:飯島三智/プロデューサー:森谷雄、森本友里恵/ラインプロデューサー:尾関玄/撮影:伊藤麻樹/照明:井上真吾/録音:伊藤裕規/美術:我妻弘之/装飾:湯澤幸夫/編集:岩切裕一/衣裳:川本誠子/コスチュームデザイン:細見佳代/ヘアメイク:板垣美和、永嶋麻子/バレエ監修:千歳美香子/助監督:松倉大夏/製作担当:三浦義信、中村元
製作:CULEN/製作プロダクション:アットムービー/配給:キノフィルムズ
公開:2020年9月25日


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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広島で生まれ育った武田健二(草彅剛)は、幼い頃から自分が男であることに違和感を持って育った。現在、東京で一人暮らしをしている彼は,、凪沙と名乗ってニューハーフ・ショークラブ「スイートピー」でショーダンサーとして働いている。凪沙は定期的に通院してホルモン注射を打っており、担当医からそろそろ性転換手術を受けたらと勧められている。その時のために凪沙はコツコツと貯金してた。
時々、故郷の母・和子(根岸季衣)から電話がかかって来るが、凪沙はあくまでも健二として低い声で話していた。故郷は保守的な土地柄でもあり、凪沙は自分がトランスジェンダーであることを隠していた。


 

そんなある日、また和子が電話をしてきた。健二の従妹でシングルマザーの桜田早織(水川あさみ)がネグレクトで問題を起こしたので、彼女の一人娘で中学2年生の一果(服部樹咲)をしばらく預かって欲しいと言うのだ。早織は暴走族上がりでキャバクラ嬢をしており、19歳で出産した。だが、元々気性が激しく人間的にも問題のある彼女は、一果に対して育児放棄も同然の育て方をしていた。
通報されて役所の人間も来たと聞き及んで、和子の強い要望により渋々凪沙は一果を預かることを承諾した。

新宿駅で一果と待ち合わせした凪沙は、普段通りのロングヘアにトレンチコート、濃いサングラス姿で彼女を迎えに行った。凪沙は、あからさまに自分が歓迎していないことを態度に表し、一果が持っていた健二の写真を奪って破り捨てると「田舎に余計なこと言ったら、あんた殺すから」と言った。
一果は暗い表情をして、ほとんどしゃべることもなく俯いたまま凪沙の後をついてきた。凪沙は、彼女を自分のアパートに迎えるとグッピーに餌をやること、部屋を整頓すること、床に布団を敷いて寝ることを彼女に命じた。


 

凪沙は、転校手続きのために一果と一緒に中学校を訪ねるが、対応した教師二人は凪沙を見て戸惑いの表情を浮かべた。
こうして、二人の奇妙な同居生活は始まった。凪沙は一果がいないも同然の態度で過ごし、一果も内にこもったまま日々を過ごした。一果には広島にいた頃から強いストレスを感じると自分の腕を噛む自傷癖があった。

一果は、育った環境から自分の感情を上手く外に出すことができない。凪沙のことを見かけた同じクラスの男子から凪沙のことをからかわれた一果は、突然立ち上がるとその男子に椅子を投げつけた。
一果は、凪沙の部屋に掛けてあったシュシュを見つけると穿いてバレエの仕草をしてみた。そんなある日、下校途中で一果は同じ中学の生徒たちが実花バレエスタジオに入っていくところを見た。彼女は、幼い頃に一時だけバレエ教室に通ったことがあった。
入口でレッスンを見ている一果に気付いた講師の片平実花(真飛聖)は彼女に声をかけるが、一果は慌てて去って行った。


 

後日、再び一果を見かけた実花は彼女に体験レッスンを受けることを勧めた。体験レッスンを受ける一果を見た実花は、彼女に非凡なものを感じた。実花は、一果にスクールに入ることを強く勧めた。
生徒の中に、一果と同じクラスの桑田りん(上野鈴華)がいた。りんは、自分は新しいのを買ってもらったからと言って古いバレエ・シューズを一果に譲った。それが縁で、二人は学校でも話すようになる。

バレエをやりたいが凪沙に言えるはずもなく悶々とする一果に、りんは撮影会モデルのバイトを紹介する。りんは、裕福な家庭の育ちで何不自由なく暮らしている。父親(平山祐介)の収入は4桁で愛人がおり、母(佐藤江梨子)は若い頃にバレエで入賞したこともあり娘に自分が果たせなかった夢を託している。
バレエは好きだが、そんな両親に反発を感じているりんは隠れて煙草を吸い禁止されているバイト、しかも撮影会モデルのバイトをこっそりやっていた。
りんは、撮影会場に一果を連れて行き事務所に紹介してモデルをさせた。カメラを持って集まった男たちを前に、りんは女王然と振舞う。彼女は、絶対に個人撮影のモデルを引き受けては駄目だと一果に言い聞かせた。その理由までは、言わなかった。

そして、一果は実花バレエスタジオの生徒になった。彼女の上達は目を見張るものがあり、ほどなくして実花はあからさまに一果ばかりに目を向けるようになった。そのことにプライドを傷つけられたりんは、「コンクールに出るようになるともっとお金がかかるから、そろそろ個撮やった方がいいんじゃないの」と一果をけしかけた。スタッフからも個撮を勧められていた一果は、何の疑問のなく個撮モデルを引き受けてしまう。
ところが、カメラマンの男に執拗に水着になることを頼まれて一果は椅子を投げつけて問題を起こしてしまう。
ことは警察沙汰になり、凪沙もりんの母・真祐美も警察に呼び出された。真祐美は十分な小遣いも与えているし娘が一果にそそのかされてこんなバイトをしたに違いないと警察に訴えた。一果は何も言わない。りんは、目配せして一果に謝った。この時、凪沙は初めてバイトのこととバレエスクールのことを知ることになった。
警察からの帰り道、凪沙は「うちらみたいなんは、ずっと一人で生きて行かなきゃいけんけえ。強うならんといかんで」と言って、一果の肩を抱き寄せた。


 

その夜、階段にうずくまっている一果に凪沙は自分がショーで着けているヘッドセットを譲った。そして、一人にするのが心配だからと「スイートピー」に一果を連れて行った。
泥酔した客が暴れ出し、店内は騒然とする。すると、一果は無言でステージに出ると私服のままバレエを踊った。その美しさに店内の誰もが見入ってしまい、騒ぎは収まった。
そんな一果の姿を目の当たりにした凪沙は、あることを決意する。


 

凪沙は、男に貢ぐため「スイートピー」を辞めた元同僚の瑞貴(田中俊介)が勤めている風俗店を紹介してもらう。そこは性的嗜好が倒錯したお客が利用する店で、凪沙が付いたお客は彼女が性転換手術を受けていないことを確認するとぎらついた眼で迫って来た。
堪え切れずに部屋から飛び出す凪沙。騒ぎを聞きつけた瑞貴は、お客に暴行を振るってしまった。

凪沙は、実花のところへ赴き月謝を待って欲しいと頼む。一果の才能を育てることに情熱を注いでいる実花は月謝は免除しても構わないと言うが、ちゃんと払うと凪沙は言った。実花は、遠慮がちにコンクールに参加すると参加費や衣装代もかかってしまうと言った。困った表情を浮かべる凪沙に、彼女は「お母さん、継続です。大変でしょうけど、頑張って乗り切りましょう」と言った。
突然吹き出す凪沙に「どうしました?」と実花。「だって、今お母さんって」と言う凪沙に目を見開き、何度も謝る実花を見ながら凪沙が嬉しそうに笑った。

凪沙はいくつもの会社で面接を受けるが、その風貌もあってなかなか採用されない。覚悟を決めた凪沙は、髪を切り武田健二として倉庫会社に採用される。帰宅した一果は、凪沙の姿を見て憮然とする。「そんなこと、頼んでない」と戸惑いと憤りを露わにする一果を凪沙は抱きしめた。

コンクールの日、客席では凪沙や「スイートピー」の同僚たちが一果の出番を待っている。ステージに登場した一果は、固まってしまい踊り出すことができない。静まり返る場内。その静寂を破り、早織がステージに駆け上がると一果を抱きしめてまた一緒に暮らそうと言った。
そして、早織は一果や凪沙の想いも考えずに娘を広島に連れ帰ってしまうが…。


 

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観ていて胸が締め付けられるような素晴らしい作品だった。
扱っている題材がとてもセンシティヴなこともあり、観る人の考えや経験、あるいは生活環境によって受ける印象も様々だと思うが、個人的にはスタッフとキャストが一丸となってとても誠実に作られた映画だと思う。

ストーリー紹介で書いたように、主人公の凪沙はカミングアウトできぬまま都会で孤独に生きているトランスジェンダーの女性である。
ある日、ネグレクトとDVに近い家庭環境で育ち心を閉ざした中学2年の女一果と凪沙は生活を共にせざるを得なくなる。
状況も世代も異なるものの、凪沙も一果も押しつぶされるような苦しみの中を何とか耐えながら孤独に生きており、二人とも警戒心が非常に強く感情を素直に出すこともできない。

「何で私だけ」と言いながら一人涙ぐむ凪沙のシーンが映画前半で何度も挿入されるが、まさしくその気持ちと葛藤しながら自分の本心を誰にも打ち明けられぬまま新宿の片隅で生きている彼女の痛みは、観ているだけで息が苦しくなってくる。
決して余裕がある生活ではないにもかかわらず、凪沙は「スイートピー」の同僚で悪い男に入れあげては貢いでしまう瑞貴に金を貸してしまったり、親身になって相談に乗ったりと人としては決して捻くれてはおらずむしろ繊細で人の気持ちに寄り添える優しさを持ち合わせてもいる。
「スイートピー」のママでこの道のベテラン洋子(田口トモロヲ)は、色々問題を抱える店のショーガールたちを自分の娘同然の温かいまなざしで見守っている。

始めはどういう距離感で接すればいいのか分からない凪沙と一果は、お互いの存在を無視するようにして日々をやり過ごしているが、一果が偶然実花のバレエスタジオを覗いたことから二人のいや周囲の人たちまで巻き込んで、それぞれの人生が動き出す。

一番目を奪われるのは、バレエを始めてから寡黙さは変わらないが一果の動きが見る見るうちに躍動感を持ち出し精気が漲って来るところである。そして、彼女の変化に引っ張られるように凪沙の心もまた動き始める。
決定的なターニングポイントは、一果が内緒でバレエスタジオに通っていたことを凪沙が知り、しかも実花から彼女の才能を聞かされて一果の才能を伸ばしてやりたいと強く思うところである。それと同時に、凪沙は一果に対して母性を抱くことになる。
それは、ある意味人生に絶望しかなかった凪沙と一果にもたらされた未来への一筋の光であったのだろう。

その日を境に、凪沙と一果は互いに距離を近づけ心を開いて行く。一果を見る凪沙の目には慈愛の情が浮かび、頑なだった一果も凪沙に心を許し本当の親子のようになっていく。その不器用な温かさに、心揺さぶられる。

この作品は、とにかく細部にわたって緻密な描写を積み重ね、それと同時に醜い人間の欲望やエゴイズムを容赦なくえぐり出す。
ネグレクトによって幼少期に親の愛情を受けることができなかった一果は、自分の感情を殺して生きてきたため顔に表情がなく自傷癖がある。感情をコントロールできないため、時として怒りを過激な暴力性として噴出させてしまう。
また、これまでに愛情を受けることがほとんどなかった彼女は、凪沙が彼女のために男として就職した時にも素直にその愛を受け取ることが出来ない。
そのことまで含めて分かっているからこそ、荒れる一果のことを凪沙は優しく抱きしめてスキンシップによって彼女を包み込んでやるのである。

凪沙がホモセクシュアルなアブノーマル風俗店に勤めた時のエピソードも暗澹たる気分になる描写がなされるし、一果がレッスン料のために始めた撮影会モデルのシーンでもお客たちの歪んだ欲望に目を背けたくなる。
この辺りの事情を少なからず知っているので、僕は観ていてドロッとした苦いものが胸の奥からせり上がってくるような感覚を覚えた。

あえて挑発的な科白やシーンを意識的に取り込むことで、現実の闇の一端を垣間見せようとする監督の意図を強く感じる。

繊細な描写で言うと、倉庫会社に就職した凪沙が自分のヘルメットに実名を書く時躊躇するシーンが胸に突き刺さった。
もう十数年も前のことになるが、僕は長年付き合いのある友人から突然電話で戸籍の名前を変えるにはどうすればいいか相談された経験がある。自分の名前に「○○子」と「子」が付くことがどうしても許せないからだと彼女は切実に訴えた。
最初はピンとこなかったのだが、その時初めて彼女が性同一性障害であることを告げられた。

ラスト直前、浜辺にやって来た凪沙が海を見ながら自分が子供の時にどうして自分が海水パンツを穿かなければいけないのか悩んだ経験を一果に話すシーンがある。死期の近付いた人間が過去を回想する事例はよく知られているが、去年亡くなった母を介護していた時、彼女は突然何十年も前に経験した辛い出来事を淡々と話し出すことがあった。
海辺での美しいシーンを見ながら、凪沙の姿が死期の迫った母にダブってしまい、自然と目頭が熱くなった。

一果の友達りんは、一見一果とは真逆の人生を歩んでいる裕福な家庭で育った女の子に映るが、その彼女もまた心に深い闇とぽっかり空いた穴を抱えて生きていることが分かって来る。
そして、彼女はあまりにもドラマチック過ぎる行動で、希求する未来が閉ざされてしまった自分の人生の虚無を埋めてしまう。

凪沙の他にもう一人一果に生きる希望を与えたのは、言うまでもなく実花である。彼女もまた、一果の才能に無償の愛を注いだ女性である。一果の踊りを見ている時の実花の表情の変化は、如実に彼女の心を表している。
また、実花が凪沙を「お母さん」と言ってしまうシーンは、本作でも出色の名シーンの一つだろう。

凪沙は、一果の本当の母親になろうとして自らのことを一切顧みることなく一か八かの賭けに出た結果、悲劇的な最期を迎えることになる。
その凪沙の魂と実花の情熱、そして何よりも自分の人生を切り開くために、一果は凪沙から譲り受けたヘッドセットを着けてステージで踊り始めるところでこの映画は終わる。

LGBTを扱った映画であり、しかも凪沙をシスジェンダーの草彅剛が演じたこと、また凪沙が悲劇的に描写されることを批判する向きが多くあることも容易に想像がつくし、アフターケアを怠ったことで死ぬ展開を疑問視する専門家の意見もある。
あるいは、りんを同性愛者と捉えて彼女の選択に対しても性的マイノリティを悲劇のツールとして描写しているのではないかという意見もある。
りんが学校の屋上で一果とキスする場面が確かにあるのだ、個人的には思春期特有の憧れの同姓に対する疑似的なあるいは代用としての愛情表現なのではないかと思う。

凪沙の末路が悲劇的かつ感傷的に描かれているのは確かだが、それは性的マイノリティを悲劇的な存在として映画的に搾取したと言うよりもマイノリティの人々が抱える苦しみをミニシアター系のロー・バジェット映画ではなくシネコンで公開される中規模のロードショー・ムービーとして発表することによって広く作品を世に問いたいと言う内田監督の志によるものだと思うし、監督自身もそのような趣旨のことを発言している。
それは、凪沙と一果の心の結びつきを強く印象付けるラストシーンに結実していると思う。それに、凪沙に別の結末を用意していたとしても、今度はきれいごとだという批判が出てくるのも想像に難くない。

こういういい方はいささか語弊があるかも知れないが、本作が提示するような物語はドキュメンタリーや実話の映画化という手法を取ってミニシアターで公開した方が作り手にとってはるかにリスクが少ない。
それをあえて自身でオリジナルの脚本を書き、監督する方法を選択したところに内田の映画作家としての矜持を感じる。
そして、広く観てもらうためには凪沙という人物の心情に寄り添える繊細で深い演技力を持った名のある役者をキャスティングすることが不可欠である。だからこそ、草彅剛なのだ。

その草彅剛の底知れぬ演技力に瞠目してしまった。目線の送り方、表情、仕草に至るまで緻密に計算された彼の演技なくしてこの映画は成り立たなかっただろうし、ここまで胸に迫るものにはならなかっただろう。
これが初の演技となる服部樹咲は、その朴訥さが内に閉じこもる一果の心情と絶妙にシンクロしており、美しい身体表現によって彼女はスワンへと変身していく。
自制心のない狂暴さとそれでも娘に執着する残酷なエゴイストの早織を、水川あさみは噛み付くような演技で体現している。上野鈴華は、りんというアンビバレントな女の子を熱演していると思う。
そして、一果と凪沙を繋ぐ架け橋のような存在の実花を真飛聖は豊かな表情と身体性で見事に演じていた。

僕は、この映画を観終わった後でジョン・レノンの名曲「GOD」の歌詞“God is a concept by which we measure our pain ”を思い出してしまった。

 

本作は、観る側の想像力や心の持ちようまで問うてくる苛烈な痛みを伴う祈りと再生の映画。

一人でも多くの人に届いて欲しい傑作である。


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