「調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝」を読み終えたけど、これは滅茶苦茶面白かった。
近田春夫って、ず~っと何か胡散臭いというかすべてが冗談なんじゃないかと思わせる怪しい存在感があって実体がつかみきれなかった。とにかく、音楽業界のカメレオンみたいに音楽性もころころ変わるし、タレントの印象が強くなった時期もあったし、評論家とコラムニストの折衷みたいな文章書きの一面もあった。
本書の中でも触れているけど、ビートたけしが「オールナイトニッポン」で近田春夫がザ・ぼんちに書いた「恋のぼんちシート」がパクリだと指摘していたのを僕はリアルタイムで聞いていた。リスナーからの投書だったと思うけど。
だけど、他に比肩すべき存在もいなければ、類を見ない独自の音楽的な嗅覚を常に感じさせる活動をしていた。
個人的に、ミュージシャンとしてリアルタイムで意識したのは近田春夫とビブラストーンで、『Vibra is Back』は発売後割りとすぐにCDを購入した。確か、読売新聞の夕刊に近田春夫が日本人には馴染みづらいラップを始めて、「Hoo! Ei! Ho!」という曲で歌詞の終わりに「さ~」をつけることで日本語におけるライム問題を解消したみたいなことが書かれていた。
その曲を聴いてみたいと思ったのと、大好きなじゃがたらのOTOがギターで参加していたことに興味を持ったのだ。DAT一発録りのこのライブ・アルバムは、とにかくファンキーで最高だった。今でも、日本のラップとしては最高の一枚だと思ってる。1989年のCDだったから、録音はともかく音圧がしょぼかった印象がある。ボリュームが小さいのだ。
それからは、後追いで色々聴いた。YMOがバッキングで参加したソロ・アルバム『天然の美』は今ひとつピンと来なくて、断然面白かったのがハルヲフォン。
中でも、『電撃的東京』はずっと個人的なフェイバリット・アルバム。オリジナルは一曲だけで、他は歌謡曲をロックなアレンジでカバーしたこのアルバムは、ラモーンズの1st『ラモーンズの激情』と共通する疾走感があって大好きだった。何というか、「電撃バップ」の勢いでブリル・ビルディング系のヒット曲をラモーンズが演奏すると『電撃的東京』と同じテイストになりそうな気がする。オリジナル曲「恋のT.P.O.」のコミカルな展開は、近田春夫版「ハイそれまでヨ」みたいだ。
あと、ビブラトーンズのエセ歌謡曲みたいなポップさも好きだった。
興味深いところでは、荒井晴彦の初単独脚本作である若松孝二監督『濡れた賽の目』(根津甚八の映画デビュー作でもある)の音楽を担当したこと。ただ、荒井晴彦はピンク映画での仕事を自分の脚本家キャリアにカウントしていないので、脚本家としてのデビュー作は田中陽造に師事してからの曽根中生監督『新宿乱れ街 いくまで待って』だと自身では位置づけている。
この自伝を読んで思ったのは、彼を支えていたのは音楽的なアカデミズムと純粋な探求心、そして瞬発力だったんじゃないかということ。その意味では、生粋のクリエイターなんだなと。巻末のイラストでは、江口寿史が描いた肖像画が最高でした。