1953年3月31日公開のスタンリー・キューブリック監督劇場デビュー作『恐怖と欲望(FEAR AND DESIRE)』。
製作・撮影・編集はスタンリー・キューブリック、脚本はハワード・サックラー、音楽はジェラルド・フリード。
アメリカ/62分/モノクロ/スタンダード
本作は、スタンリー・キューブリックが裕福な伯父から出資してもらった10万ドルで製作した幻の劇場デビュー作である。
何故“幻”なのかというと、公開当時評論家から好評をもって迎えられた本作を完全主義者のキューブリック自身が「アマチュアの仕事」(事実、キャストとスタッフは経験がほとんどなかった)として、フィルムを買い占め封印してしまったからである。
なお、出演者の一人として後年『ハリーとトント』(1974)や『結婚しない女』(1978)を監督したポール・マザースキーが参加している。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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何処かの国で起きている戦争。爆撃を受けて敵陣内の森に墜落した飛行機から脱出した四人の兵士たち。空軍の上官コービー中尉(ケネス・ハープ)、元は修理工でベテラン軍人のマック軍曹(フランク・シルヴェラ)、新米のシドニー(ポール・マザースキー)とフレッチャー(スティーヴン・コイト)の両二等兵。
コービー中尉は、敵地を縦断する川をいかだで脱出するプランを立てる。
四人は敵に発見される恐怖や空腹、そして極度の疲労と戦いながら川を目指して行軍する。ようやく辿り着いた川岸で、いかだ作りを開始する。
しばらくすると、偵察に出ていたマック軍曹がコービー中尉を呼んだ。偶然にも対岸に敵陣のアジトがあり、その建物には敵の将軍(ケネス・ハープ:二役)がいたのだ。
双眼鏡でアジトを窺っていた二人の頭の上を、敵の航空機が飛来した。発見を恐れた四人は、いかだを置いてひとまず退避。来たのとは逆の方向に、森を歩いた。
目の前に現れた木造の小屋。中を窺うと、敵の兵士二人がシチューを食べている。壁には、銃も立て掛けられていた。四人は奇襲攻撃をかけると、二人を射殺した。冷めたシチューを貪ると、四人は銃を奪って小屋を後にしたが、新米兵士のシドニーはかなりのショックを受けたようだった。
何の進展もないまま、一昼夜が経った。四人は心身ともに疲弊していた。とりあえず、もう一度川に向かった四人は、魚を獲っている地元の女たちを発見。慌てて隠れたが、そのうちの一人(ヴァージニア・リース)に見つかってしまう。
川へと戻った三人。いかだは昨日のまま置いてあり、どうやら発見は免れたようだった。シドニーの様子がおかしかったことを気にして、コービー中尉は一足先に戻るようマック軍曹に命じる。
マック軍曹が戻ると女は死んでおり、シドニーは意味不明なことを口走ると駆け出してしまった。そこに、コービー中尉とフレッチャー二等兵が到着する。
残された三人にとっても、シドニー二等兵の奇行は決して他人事ではなかった。長引く戦争、繰り返される殺戮、死への恐怖…まともでいられる方が不思議なくらいなのだ。
三人は、改めてこれからのことを話し合った。
コービー中尉はいかだでの脱出を唱えたが、マック軍曹は将軍を急襲すべきだと主張した。無謀とも思える強引な作戦だったが、マックは自分の空疎な人生から己を取り戻す野心に燃えていた。
自分がいかだで敵陣の隙を突き、相手を引きつけている隙にコービー中尉とフレッチャー二等兵が航空機を奪って脱出。自分は、将軍を仕留めてからいかだで生還するとマック。
彼の熱弁に、コービー中尉も賭けに出る決意を固めた。
その頃、アジトでは将軍が部下を目の前にして話し込んでいた。彼は、前線から離れたこのアジトで命令を下すだけの自分に疲労の色を濃くしていた。
いかだで接近すると、マック軍曹は敵めがけて発砲。敵が応戦に放った弾丸が、マック軍曹の腹部を貫いた。
その混乱に乗じて、コービー中尉とフレッチャー二等兵は敵の将軍を殺害。航空機での脱出に成功した。
瀕死の重傷を負ったマック軍曹は、最後の力を振り絞っていかだで川を下っていた。すると、川の中に佇む男の姿があった。気の触れたシドニーだった。シドニーは、いかだに乗せて欲しいと懇願した。
無事に生還したコービー中尉とフレッチャー二等兵は、司令部の許可を得て川岸でいかだの到着を待っていた。マック軍曹が生還するとは思えなかったが、それでも彼を待つことは人としての自分たちの責務であると考えてのことだった。
どれだけ待っただろうか。向こうから、何かが流れて来た。それは、あのいかだであったが、その上には二つの影があった。
目を見開いたまま仰向けで動かなくなったマック軍曹に寄り添っていたのは、シドニー二等兵だった。
そして、人々を狂気と恐怖に駆り立てる戦争は、今日も終わることなく続いている…。
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奇才スタンリー・キューブリックの劇場デビュー作は、『非情の罠』(1955)ではなかった。2012年時点でニューヨーク州モンロー郡ロチェスター市コダック・アーカイヴに1本だけ残っているという『恐怖と欲望』のフィルム。
株式会社アイ・ヴィー・シーの手によって、2013年5月3日から日本でも劇場公開されている。
確かに、完全主義者スタンリー・キューブリックにしてみたら、本作は予算的にもスタッフ・ワーク的にも役者のスキル的にもアマチュア然とした作品ということなのだろう。
ただ、この作品は新人監督らしからぬ冷徹でシビアな視線と、映画作家としての非凡な閃きに満ちている。誠に素晴らしい映画である。
見るからにローバジェット・ムーヴィー、制作サイドも役者陣もほとんど経験のない人たち、少数ではあっても特段精鋭とはいえない布陣で作られた本作。
しかし、この作品が62分間で提示するものの何と濃密なことだろう。
ストイックな演出、洗練された映像、シャープなライティング、哲学性にまで昇華された脚本。
これもある種の反戦映画と言える内容だが、それ以上に人間が根源的に内包している残虐、狂気、欲望、内省、恐怖といった様々な感情とアイデンティティを極限状態の中で掘り下げるストーリーテリングこそに、強靭な作家性を感じる。
特に目を引くのは、モノクロームの陰影を存分に使った照明の素晴らしさ。中でも、小屋で殺害された二人の兵士の表情や、シチューの入った皿の描写には目が釘付けになった。
また、四人の主人公のみならず、敵将軍の孤独感と疲弊にまで切り込んだ人物描写にも唸った。
小道具として扱われる犬を使った演出も心憎いばかりである。
作品としてのタイプはまったく違うが、井坂聡監督『[Focus]』 といい、この『恐怖と欲望』といい、低予算で恵まれているとは言い難い製作環境においても、才能と熱意があればこれだけのものが作れるのか…と驚嘆してしまう。
本作は、スタンリー・キューブリックの偉大なる第一歩として刻まれるべき良作。
“幻”の冠がとれたことを心から歓迎したい一本である。