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ブラッド・バード『レミーのおいしいレストラン』

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2007年のブラッド・バード監督『レミーのおいしいレストラン(Ratatouille)』


35mmの夢、12inchの楽園


製作総指揮はジョン・ラセターとアンドリュー・スタントン、製作はブラッド・ルイス、脚本はブラッド・バード、ストーリー・スーパーバイザーはマーク・アンドリュース、撮影はロバート・アンダーソンとショロン・カラハン、音楽はマイケル・ジアッチーノ、編集はダレン・T・ホームズ。
製作はピクサー・アニメーション・スタジオ、配給はウォルト・ディズニー・スタジオ。
原題の「ラタトゥイユ」は、フランス南部の野菜煮込み料理の名前である。
なお、本作は第80回アカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞している。


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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フランスの片田舎。大家族で生活しているネズミの匹レミー(声:パットン・オズワルト)は、他のネズミたちとは異なり鋭敏な味覚と鋭い嗅覚を持っていた。彼は、人間の食べ物を盗み腐った物を拾い食いする仲間たちに疑問を抱いている。
彼は、時折人家に忍び込んでは、料理番組や料理の本を盗み読んで料理の研究に余念がない。レミーにとっての英雄は、5つ星のレストラン「グストー」オーナー・シェフ、グストー(声:ブラッド・ギャレット)だ。「真の情熱さえあれば誰でも名シェフになれる」がモットーのグストーが書いた『誰でも名シェフ』はレミーにとってはバイブルだ。
グストーの言葉に、レミーは「いつか、自分も一流のシェフになりたい…」という叶うはずもない夢を見ている。


35mmの夢、12inchの楽園

しかし、グストーの「誰でも名シェフ」に反感を持ったフランス料理界一の評論家イーゴ(声:ピーター・オトゥール)がグストーの料理を酷評。その結果、「グストー」は4つ星に格下げされ、そのショックからかグストーは急逝してしまう。そして、レストランはさらにひとつ星を失う。
失意のレミーは、ある日棲みかを追われ家族とも離れ離れになってしまう。一人地下の下水道で途方に暮れているレミーの前に、グストーの亡霊が現れる。ゴースト・グストーに誘われて外に出たレミーは、自分が煌びやかなパリのど真ん中にいたことを知る。
ゴースト・グストーは、さらにレミーをかつての自分のレストラン「グストー」へと導いた。


35mmの夢、12inchの楽園

「グストー」の厨房に潜り込んだレミー。現在の料理長スキナー(声:イアン・ホルム)は儲け第一の傲慢な男で、彼はグストーのブランドを使ってやりたい放題。彼が料理長になってからというもの、いよいよ「グストー」は評論家筋から評価を落としていた。
そんな店に、母親からの紹介状を手にリングイニ(声:ルー・ロマーノ)という気弱そうな青年が職を求めてやって来る。彼の母親はグストーとは恋仲だった人。リングイニは何とかゴミ処理係として職を得る。
要領も悪ければまともに料理もできないリングイニは、ヘマをしてスープを台無しに。見かねたレミーは、スープの入った鍋に手を加えて味を立て直す。その姿を目撃したリングイニは愕然とする。
彼のスープを飲んだ女性料理評論家がその味を絶賛。てっきりリングイニが作ったものと思い込んだスキナー以下料理人たちは、驚きと疑いの目をリングイニに向けた。

35mmの夢、12inchの楽園


これを千載一遇のチャンスと考えたリングイニは、レミーを帽子の中に隠して二人羽織で料理することを思いつく。
彼の作る料理はお客たちの評判となり、「グストー」唯一の女性シェフ・コレット(声:ジャニーン・ガロファロー)はリングイニに好意を抱き始める。
一方、グストーの息子らしいリングイニのお陰で、スキナーはこの店を継ぐ権利が怪しくなり戦々恐々とし始める。


35mmの夢、12inchの楽園
35mmの夢、12inchの楽園

料理の腕が注目を集めコレットとも恋仲になったリングイニは、次第にいい気になって行く。このレストランの権利も、グストーの遺言により彼のものになった。勢い、彼は本当の英雄たるレミーの存在を煙たがる。
二人は仲違し、リングイニの心ない一言でレミーは人間に失望。リングイニを見捨てて姿を隠してしまう。
レミーが消えて途方に暮れるリングイニは、さらなる窮地に立たされる。すこぶる評判がいい「グストー」をイーゴが再訪。自分に料理を出せとリングイニに言った。


35mmの夢、12inchの楽園

厨房でフリーズするリングイニ。シェフたちは、彼の指示を苛々しながら待っている。そこに、レミーが戻って来る。やはり、レミーはこのレストランを見捨てることができなかった。
レミーに気づいたリングイニは、実は自分の出した料理がレミーの作ったものであったことをカミング・アウトする。それを聞いたシェフたちは、厨房から出ていた。コレットも一度は出て行ったが、もう一度店に戻る。
料理人のいない厨房。テーブルには、待ちくたびれたイーゴの姿が。レミーは、仲間のネズミたちと一緒に料理を始める。彼が作った料理をテーブルに運ぶのはリングイニの仕事。店は、ようやく活気を取り戻す。

35mmの夢、12inchの楽園

レミーがイーゴに作ったのは、何と田舎料理ラタトゥイユだった。この意外なチョイスに、イーゴは何も言わず料理を口にした。すると、イーゴは少年時代に母親が作ってくれたラタトゥイユを思い出す。幼少期の郷愁と、洗練の極みたるレミーの逸品。一流の料理評論家は、この料理の価値を瞬時に理解した。
食事を終えたイーゴは、シェフと話したいとリングイニに言った。リングイニは、これは自分が料理したものではないと正直に告白。他の客が帰った後、彼はレミーを紹介した。
何も言わず、イーゴは帰って行った。

翌日、イーゴの評論が掲載された。イーゴは、レミーの料理を絶賛。そして、これまでの自分の評論スタンスにまで言及して、自分のグストーに対する誤った認識を正した。今の「グストー」の厨房を預かる意外なシェフこそ、フランス最高のシェフだと彼は最大の賛辞を送った。
しかし、レミーがネズミであることはすぐに保健所の知るところとなり、「グストー」は営業停止。イーゴも料理評論家としての信用を失意する。
にもかかわらず、イーゴはめげることなくレミーがリングイニやコレットと始めた新しい店に出資。彼は、レミーのフランス一素晴らしい料理に舌鼓を打ちながら、幸せな日々を送っている。
レミーの夢は、今大輪の花を咲かせていた…。

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僕は、基本的にアニメーションを子供のための教材的エンターテインメントたるべきだと考えている。
もちろん、様々なタイプのアニメがあり大人に向けられた尖鋭的な作品も数多ある訳だが、それでもやはりアニメーションという表現メディアは、最良の情操教育ツールであることが理想だという考えをいまだに持っている。

そこには「正しさ」があり、シンプルで豊かな世界観があり、ある種の教育的な啓蒙があるべきだ。
そして、一見分かりやすいドラマツルギーの中に、ある種まっとうな人生哲学のようなものを落し込むべきである、と。
ダークなもの、過酷なだけの物語など、ある程度の年齢が来れば嫌でも対峙しなければならないのだから…。

その意味において、この『レミーのおいしいレストラン』はとても優れた作品である。

ストーリー紹介に詳細を書いてしまったが、物語は至ってシンプル。ただ、思いの外レミーの人生観(というか鼠生観というべきか?)は、含蓄に富んだ気高いものである。それは、ネズミでありながら残飯漁りを嫌い人間の所から食べ物をくすねることをプライドがないと考える点である。味に対する彼の価値観も然り。
そして、作品を支えるテーマの一つ、人間との共存に理想を見る点が本作の正義とも言える。

そこに典型的なヒールのスキナーがいて、理想の象徴であるグストーがいて、レミーとはまた違った意味でのマイノリティであるコレットが配されている。
実は、本作で一人位置付けが難しいのがリングイニ。ある意味、彼は情けなき弱者のカリカチュアな訳だが、結局彼がレミーとの出逢いでどう成長をしたのかが見えてこない。
コレットとリングイニの恋愛は、これもまた一つの定型的ロマンティシズムである。


35mmの夢、12inchの楽園

映像として観た時、本作のアニメーションは個人的にはしんどい部分も少なくない。それは、情報量過多の立体的映像が120分間目まぐるしく展開するからである。
何というか、遊園地のヴァーチャル・アトラクションにずっと乗り続けているようで動体視力がついて行けず、いささか疲れてしまうのだ。

で、僕が強く心揺さぶられたのは、やはり辛辣な権威主義的評論家イーゴの変化である。彼の頑なな心を開く鍵となるのが原題「ラタトゥイユ」であるところが、とても正しいと思う。
イーゴは、幼少期の原風景をレミーの料理に見たことで、自分の評論家としての原初的な志に立ち返ることができたのだろう。権威や力といった贅肉が鎧となる前の、ピュアな自分に再会した…とでも言えばいいか。

僕も、アマチュア評論書きの端くれだから、ラストでイーゴが語る「評論家とは…」のくだりにいたく共鳴してしまった。
ここにはあえて書かないから、興味のある方は是非作品を観てほしいのだけど、自分自身が考える「評論のあるべき姿」をそのままイーゴの口から聞かされた気がして、熱くなってしまった。
イーゴが辿り着いた思いで書いていかなければ、評論なんて何の意味もなさないとさえ僕は思うのだ。

本作は、自分の理想を持つことに疲れつつある人にこそ観て頂きたい。子供はもちろん、大人が観ても強く心に響くものが見つかるはずだ。
公に向けて某かの文章を書いている諸氏に必見なのは、言うまでもないだろう。


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