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小林政広『バッシング』

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2006年公開の小林政広監督『バッシング』

35mmの夢、12inchの楽園 35mmの夢、12inchの楽園

脚本は小林政広、撮影監督は斉藤幸一、編集・仕上げコーディネイトは金子尚樹、助監督は川瀬準也、録音は秋元大輔、効果は横山達夫、チーフ撮影助手は鏡早智、制作進行は板橋和士、ネガ編集は小田島悦子、撮影助手は柴田潤・花村也寸志、編集助手は清野英樹、制作応援は小林克己・武長俊光タイトルは道川昭、タイミングは安斎公一、リレコは福田誠、ロケーション統括は波多野ゆかり、プロダクションデスクは岡村直子、主題歌は林ヒロシ「寒かったころ」、挿入歌は林ヒロシ/アルバム『とりわけ十月の風が』(ミディ)より、撮影機材はナック、フィルムは報映産業(富士フィルム)、スタジオはアップリンク、現像は東映ラボ・テック。
製作はモンキータウンプロダクション、配給はバイオタイド。
2005年/35mm/1,66/カラー/モノラル/82分
宣伝コピーは「ひとりの女性が日本を捨てた――。彼女が彼女であるために。」

35mmの夢、12inchの楽園

ヒロインの高井有子が卜部房子にアテ書きされた本作は、苫小牧をロケ地に1週間で撮影された。
なお、本作は第58回カンヌ国際映画祭コンペティション部門公式出品作品であり、第6回東京フィルメックスにおいて最優秀作品賞(グランプリ)を獲得した。


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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海を望む北海道の某町。ラブホテルでベッドメイキングの仕事をしている27歳の高井有子(卜部房子)は、支配人の井出(香川照之)に呼び出されクビを宣告される。事件からはすでに半年が経ったが、いまだ彼女は世間の批判に晒されていた。今回の解雇も、あの事件が原因だった。

やるせない気持ちを抱えてコンビニでおでんを買った有子は、外に出た途端駐車場にいた男三人におでんを踏みつけられた。アパートに帰宅すると、またしても嫌がらせの電話が彼女の「自己責任」を詰問していた。

35mmの夢、12inchの楽園
35mmの夢、12inchの楽園
35mmの夢、12inchの楽園

中東の戦時国に海外ボランティアとして渡った有子は、武装グループに人質として拉致監禁された。幸い彼女は無事解放されて帰国。ところが、日本国内で彼女は激しくバッシングされる。
周囲には常に刺すような視線があり、ネットでは彼女を批判する言葉が溢れ、家には日に何本も嫌がらせの電話が掛かり続けている。一緒に暮らす父・孝司(田中隆三)と継母・典子(大塚寧々)も、常にピリピリしている。

有子は恋人の岩井(加藤隆之)にまで責められて離別し、道で知り合いに会えばあたかも異分子のような扱いを受けた。

35mmの夢、12inchの楽園

世間からのバッシングは有子だけにとどまらず、孝司も上司の植木(本多菊次朗)に呼び出されて30年勤めた工場をあっさり依願退職させられた。
すっかり塞ぎ込んだ孝司は、日中に家で酒を大量に飲んだ後、衝動的にアパートの手すりを越えて身を投げた。

35mmの夢、12inchの楽園
35mmの夢、12inchの楽園

父の自殺が新聞に載ったことで、有子に対する世間の態度は以前にも増して苛烈なものになって行った。
葬儀を終えて疲弊した典子に、自分にも父の遺産を相続する権利はあるだろうと言う有子。その言葉に典子は怒りを爆発させ、何度も有子の頬を叩いた。「あの人を返してよ!」と繰り返す継母の姿を見上げながら、有子の目からも涙が流れた。

35mmの夢、12inchの楽園

有子は航空会社に電話して、またあの国に向かうためのチケットを予約する。そして、彼女は典子に渡航することを告げる。幼少期から何一つ上手くいかず、親友と呼べるような相手もいない。そんな彼女を必要としてくれたのが、あの国だった。
「この国じゃ、みんな怖い顔してる。私も、怖い顔をしてるんだと思う。この国には、私の居場所なんてない」と有子は言った。「意識してなかったけど、私も怖い顔してたのかも…」と典子。もうこの国には戻らないと有子は決めていた。
有子は、不意識に初めて典子のことを「お母さん」と呼んだ。「見送りには行かないから」と言って、典子は餞別を渡した。

35mmの夢、12inchの楽園

夜明けの埠頭、スーツケースを傍らに置いて立つ有子。彼女の心は、あの国へとすでに飛び立っていた…。

35mmの夢、12inchの楽園
35mmの夢、12inchの楽園

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凄い映画である。
先ず作品として非常に優れているし、この時期にあえてこのテーマを扱い、しかもこのストーリーテリングで描き切る。小林政広という稀有な才能の、作家的腹の括り方に畏怖の念すら抱く力作である。

本作を評する前提として、すでに9年が経過し世間的には忘れ去られつつある過去の記憶…かも知れない「あの事件」を覚書的に記しておく。

2003年3月20日に始まったイラク戦争。年内に正規軍同士の戦闘は終結宣言が出されたものの、イラク国内では治安が悪化し戦闘は続いていた。
2004年に入り反米武装勢力の攻撃が激化。そのような国際情勢の中、外務省からの渡航延期勧告を無視する形でイラクに入国した3名の日本人(ボランティア、カメラマン、ジャーナリスト志望の未成年)が4月7日に武装勢力により誘拐される。
犯行グループは自衛隊撤退を要求するが、日本政府はそれを拒否。4月15日に三人は無事解放されたものの、時の首相小泉純一郎始め政府関係者が「自己責任論」を展開して事件当事者を指弾したことから、マスコミ報道が過熱。彼らは世論の激しいバッシングに晒された。

この事件に材を取ってはいるものの、物語自体は言うまでもなくフィクションである。長く続く不況により閉塞感が漂う社会状況の中、あたかも息苦しさと深刻なストレスの矛先の如く展開した激しいバッシング。
様々な見解はあるだろうが、まるでエキセントリックな社会的暴力性に差し出された一種のスケープゴートのようにさえ映る。

これまでにも阻害された社会的マイノリティを描いて来た小林は、この事件をひとつの象徴的出来事として捉えたのだろう。だからこそ映画のタイトルは「バッシング」であり、映画の視点はあくまでも阻害される人々に寄り添っている。

つまるところ、きっかけが何であれ、高井家の人々が晒された激しいバッシングは、明日は「あなた」「私」に牙を剥くかも知れない…それが本作のテーマである。
世の中という曖昧模糊としたイメージの中で、理不尽に容赦なく襲いかかる暴力、その不穏な影はいつでも我々の傍にいて、付け入る隙を窺っているのだ。
この作品が内在している“怖さ”あるいは表現としての力は、この普遍的なテーマに根差しているからこそだろう。

とにかく、自転車を漕ぎ職場のラブホテルに入って行く有子の険しい表情を見ただけで、彼女を取り巻く世界の冷徹な空気が伝わって来る。そして、その張り詰めた息苦しさは一切の弛緩を許さず、むしろさらなる苛烈さを伴って82分間走り抜けて行く。
直接の暴力的な描写があるとすれば、それは有子がコンビニで買ったおでんを男たちに踏みつけられる個所と典子が有子の頬を叩く個所のみだが、むしろ周囲の者たちが言葉によって高井家の人々に与えるダメージの方がよほど残酷だ。
その悪意という名の毒素は、6か月という時間をかけて家族の精神を蝕み続けているのだ。

重要なのは「有子が何をしたのか」ではなく、彼女に向けられる暴力そのものの質である。そして、彼女には傷ついた心を共有する相手もいなければ、逃げ込むべきシェルターすらないという過酷さである。
小林政広の作家としてのストイックな厳しさをよく表しているのが、あえて有子を情緒的に描かず、「駄目だなぁ、有子には強く生きろなんて言ってるのに、自分のことになると全然駄目だ」と孝司に語らせ、典子を継母に設定することである。
父親が自殺した後、いまだ「お母さん」と呼べずにいる典子との関係だけが残るところにも、有子のあまりに深い孤独が描かれているのだ。

たびたび、有子がコンビニにおでんを買いに行くシーンが登場する。彼女はたっぷり汁を入れたコンニャク等の低カロリー具材を注文するが、その姿は「東京電力OL殺人事件」の被害者女性と重なる。東電OL同様、有子は強いストレスにより拒食症を罹患しているということなのではないか。
荒涼とした苫小牧工業地帯の町並みは、そのまま有子の心象風景とシンクロして、その町の中で彼女は追い詰められて行く。彼女にとっては、周囲のみならず家族さえもが自分を攻撃する側なのだ。

映画的ピークのひとつは、もちろん孝司が自殺するところである。昼間から部屋で一人虚ろな目でビールを飲み干し、吸い殻の山を作った後、次の場面は帰宅した有子になる。そして、開け放たれた窓と不吉に揺れるカーテン。
その後につながるのが、住職の読経を聞く喪服の典子と有子。あえて孝司の死体を映さず、親子二人だけの告別式に彼女たちの置かれた状況を仄めかす。自分のドラマツルギーに確信がなければ、なかなかやれない演出だろう。

ただ、実は孝司の最期のシーンに僕は不満を感じた。ライティングの問題があるのかも知れないが、酒と煙草に囲まれたあのシーンのテーブルの上や灰皿が整然とし過ぎてはいないか?
孝司は自暴自棄に酩酊している訳だから、灰皿は燻り室内は煙が充満して、コップには飲みかけのビールが残っていて、テーブルも汚れていて然るべきだと思うのだ。

物語は息も出来ぬような緊張感を強めて行くが、その中で有子が典子を無意識に「お母さん」と呼ぶシーンが出色。そして、有子が海外ボランティアに向かう動機を逃げることなく描くところに、小林の作家的誠実さを見る。
生半可な感傷を拒むようなエンディングもいい。

演じる役者陣は必要最小限に搾り込まれているが、その誰もが「この役にはこの人以外考えられない」と思わせる説得力がある。

本作は、誰の心にも巣食う理不尽な悪意と暴力性を描いた傑作。有子が歩かされるタイトロープは、明日はあなたの人生に張られているのかも知れない。
心底、恐ろしい作品である。

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