宣伝コピーは「生きねば。」
カラー/ビスタサイズ/モノラル/126分
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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群馬県に生まれた堀越二郎(声:庵野秀明)は、飛行機乗りに憧れる少年。彼は頭脳明晰で正義感も強いが、近眼であったためパイロットにはなれないと諦めた。その代わり、飛行機を設計する人間になろうと考えている。
二郎は、学校で先生から借りた飛行機に関する英書を辞書片手に読み耽り、本に出てくる世界的なイタリア人飛行機製作者カプローニ(声:野村萬斎)に憧憬の念を抱く。その思いの強さ故にか、二郎は夢の中でカプローニと邂逅を果たし、自身の夢である飛行機設計士への思いを確たるものとした。
東京帝国大学工学部航空学科に入学した二郎は、日々学友の本庄(声:西島秀俊)らと勉学に勤しんでいた。
そんなある日、二郎が列車に乗っていると轟音と共に大きな揺れを感じる。関東大震災だった。二郎は、偶然乗り合わせた育ちのよさそうな少女・里見菜穂子(声:瀧本美織)と彼女に付いていた女性を助けた。二人を家まで送り届けると、二郎は名乗ることもなく立ち去る。
後日、二郎の下宿に菜穂子は借りていた手ぬぐいを返しにやって来るが、あいにく二郎とはすれ違いで二人は会えずじまいだった。
大学を卒業すると、二郎は念願の航空技術者として三菱内燃機製造に就職。本庄と共に名古屋にて設計の仕事に携わることとなった。作るのは、軍事用の戦闘機だ。二郎の上司・黒川(声:西村雅彦)は優秀で厳しい技術者、課長の服部(声:國村隼)は懐深く温かい上司だった。
まだまだ海外との技術差を痛感した黒川は、二郎に海外を見て来るよう示唆。二郎は、本庄と共にドイツを訪れる。戦争はより深刻な雰囲気を帯びており、二人が訪れたドイツにも不穏な空気が漂っていた。
帰国した二郎は、七試艦上戦闘機の設計主務に大抜擢される。ところが、二郎が心血注いだ飛行機は、飛行試験中に垂直尾翼が折れて墜落してしまう。
技術者としての二郎の能力を高く評価している服部は、失意の二郎に休暇を与え息抜きするように命じた。二郎は、休暇で軽井沢の避暑地を訪れる。瀟洒なホテルに逗留していた二郎は、そこで菜穂子と運命の再会を果たす。菜穂子は、父親(声:風間杜夫)と共に避暑に訪れていたのだ。
互いに強く惹かれた二人が恋に落ちるのは、あっという間だった。里見から菜穂子の母親は結核で他界し、菜穂子もまた結核であると告白されても二郎の心は揺らぐことがなかった。若い二人の強い気持ちに、里見は交際を認めた。
名古屋に戻った二郎は、九試単座戦闘機の設計主務となり再び意欲的に設計の仕事にまい進する。そんなある日、菜穂子が喀血したと里見の家から電報が届く。夜行列車を乗り継ぎ菜穂子の元を訪ねた二郎は、二人で束の間の時を過ごすがすぐに名古屋へと取って返した。二郎を見送った後、里見の心配をよそに菜穂子は高原療養所への入院を決意する。
戦火はいよいよ激しくなり、世間はキナ臭さを増して行った。特高に目をつけられた二郎をかくまうため、黒川は自宅の離れに二郎を移り住ませた。
依然、九試単座戦闘機の設計に没頭する二郎の元を療養所を抜け出した菜穂子が突然訪問する。言葉には出さずとも残された時間が少ないことを悟っている二人は、黒川夫妻に晩酌人を頼む。
渋る黒川を夫人(大竹しのぶ)が説得し、二郎と菜穂子はささやかな祝言を上げた。
二人は、そのまま黒川宅の離れで新婚生活を始める。相変わらず、二郎の仕事は多忙を極めていた。
兄の結婚を聞いて、二郎の妹・加代(志田未来)が訪ねて来る。医者の卵である加代は、ひと目見て菜穂子の病状が深刻であることを知り、愕然とする。
ようやく、二郎の設計した戦闘機が完成。飛行試験も大成功に終わった。しかし、菜穂子は三通の置き手紙を残して一人高原療養所に戻る。連れ戻さなければと訴える加代に、黒川夫人は「自分が一番綺麗な時を二郎さんに見せようとしたのよ」と言って加代を止めた。
二郎の設計した九試単座戦闘機の後継機・零式艦上戦闘機は、日本海軍の主力戦闘機として運用され、末期には爆撃や特攻にまで用いられた。
夢の中で幾度目かの邂逅を果たした二郎とカプローニ。一面に広がる緑の草原で、二郎はカプローニに自分が設計した戦闘機を見せる。二郎の戦闘機を称賛すると、「君を待っていた人がいる」とカプローニ。向こうから、笑顔で手を振る菜穂子の姿があった。
「生きて」と二郎に伝えた菜穂子は、風にさらわれ宙に舞った。
万感胸にこみ上げる二郎に、カプローニが言う。「ゆっくり話をしようじゃないか。とっておきのワインがあるんだ」。
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長編映画製作からの引退を表明した宮崎駿。その決心が変わらなければ、本作は宮崎の最終作ということになる。
「堀越二郎と堀辰雄敬意を込めて。」とクレジットされた本作は、零戦を設計した航空技術者・堀越二郎の半生を描きつつ、そこに堀辰雄の「風立ちぬ」から材を取った話をフュージョンさせて作り上げた作品である。
また、宮崎の父親は零戦を製造していた中島飛行機に部品を納入する宮崎航空興学を経営していた人物である。
アニメーションは基本的に子供の物という姿勢を貫く宮崎は、それ故にか観る者が物語の行間で想像力を働かせる隙なく、明確なストーリーテリングを敷き詰める傾向があるように思う。啓蒙的とまでは言わないけれど、そこには明確な作者の主張がある。そう、宮崎駿的教育とでもいうような。
その意味でも、宮崎の趣味性が反映され中年男性に向けて作られた『紅の豚』(1992)は、かなりの異色作だった。
本作は、その『紅の豚』とはまた違う異色作と言える。それは、初めて実在の人物を主人公に据えたこと、自分の父親の人生が反映されていること、戦闘機好きではあるが反戦を訴える自身のアンビバレントさをも取り込んでいること。そして、やはり子供の目線に立った作品とは言い難いこと。
実在の人物が主人公とはいえ、もちろんすべての事実が忠実に描かれている訳ではなく、そこには宮崎が作り出したフィクションがまぶされている。
本作におけるコンセプトは、「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたい」「実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く」というものである。
みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたいという宮崎の言葉通り、本作における自然描写はまさに“宮崎アニメの真骨頂”といえる美しさである。また、宮崎駿最大の特徴ともいえる飛行シーンもふんだんに描かれている。
その、鮮烈にして果てしのない解放感は本作における最大の成果だろう。
その一方で、リアルとフィクション、現実と幻想が入り交じったストーリーテリングは、トータルとしていささか綺麗なところに視線が行き過ぎてはいるようにも思う。
もちろん、戦時下における不穏な足音やそこかしこに見え隠れする死の影も描かれてはいる。ただ、それは二郎の飛行機設計のようなリアルさとは対照的な描かれ方である。
何でも苛烈に描けばいいという訳ではないが、それでもこの時代を描いた作品としてはどうにも居心地の悪いアンバランスさを感じてしまう。
しかし、僕が本作で最も不満に感じたのは、その点ではない。自然描写や飛行シーンのビビッドさに比べて、主たる登場人物たちの表情があまり躍動しないことである。何と言えばいいのだろう、“生きている”のではなく“画として動いている”という印象が最後まで払拭しきれなかった。それを最も強く感じたのが、主人公の堀越二郎であった。
しかし、彼が作り続けて来たアニメーションとしては、いささかカタルシスを欠くように思えてならない。