製作は海津敏行、企画は海津、プロデューサーは西山秀明、脚本は竹浪春花、撮影は山内大堂、照明は淡路俊之、録音は光地拓郎、音楽は入江陽、キャスティングは小林良二、編集は中野貴雄、助監督は大城義弘、監督助手は森田博之・武井沙也佳、撮影助手は矢澤直子・前田大和、ヘア・メイクは渡辺涼心、メイン・ビジュアル撮影は山本一維、スチールは板倉大樹、制作進行は中根彩、制作協力はスノビッシュ・プロダクツ、宣伝協力は磯田勉・中野美智子、配給協力は渋谷プロダクション。製作・配給はスターボード。
宣伝コピーは「手を伸ばした先には冷たい君 隠された過去は、むせかえるほどに切なかった」
2013/日本/カラー86分
こんな物語である。
妻(入江麻友子)と二人暮らしの佐々木一郎(平田満)は、部長職にある平凡な中年男だ。これといった趣味も野心も持ち合わせない一郎は、自宅を出て、喫茶店でモーニングセットを食べ、コンビニに寄って牛乳を買い、会社に出勤するだけの淡々とした毎日を送っている。
岡部の家を訪ねると、出迎えた彼の妻(石井明日香)は予想外に若く一郎は戸惑った。冷たくなった岡部の無精髭を剃っていると、一郎は47年前の記憶が鮮明に蘇って来た。妻が席を外すと、一郎は岡部の頬を何度も叩いた。「いつも、お前は欲しいものを独り占めにして、逝ってしまった」と思いながら。
岡部は、歳の離れた妻と小さな居酒屋をやっていたようだった。色々と生活に問題があったこの女を、岡部は自分の初恋の相手に似ていると言って口説き、二人は結ばれたのだった。
少年時代、一郎と岡部は近所に住む女子高生のサチ(桐嶋あおい)に恋していた。しかし、当時の彼らは、憎まれ口を叩いて彼女のスカートをめくることくらいしかできない。そもそも、自分たちが抱く感情の意味すら、二人には咀嚼できていないのだから。三人で河原に行って水切りをやっていた時、服の袖口から覗いたサチの腋毛を見て一郎は妙な気持ちになる。彼の視線に気づいたサチは、慌てて袖口を押さえた。
そのサチは、突然亡くなってしまった。当時の一郎は彼女の死因を知らなかったが、岡部が吹き込んだ留守電で事の真相を知った。彼女は、薄汚い浮浪者風の男(川瀬陽太)にレイプされて、自ら命を絶ったのだった。
封印していた過去の記憶が突然蘇ってきたことで、平凡だった一郎の日常が軋み始める。
一郎は、今は岡部の妻が一人で切り盛りしている居酒屋に足を運んでみた。その日、店は営業していないようだったが、鍵は閉まっていなかった。一郎が中に入ってみると、岡部の妻が酔い潰れて倒れていた。
仕方なく、一郎は彼女を背負って家まで送って行ったが、そこで二人は関係を持ってしまう。一郎は彼女の腋毛を見ると、突き動かされるように痛がる彼女を無視してその毛を剃った。
一郎は、酷い風邪をひいた。しかし、どうしても外せない会議があり、無理を押して出社した。無事に会議はこなしたものの、帰り道で一郎は倒れてしまう。いつもこの辺りでティッシュ配りをしている春(水本佳奈子)は、驚いて一郎の元に駆け寄る。以前、彼女がティッシュをばら撒いてしまった時、通りかかった一郎がそれを拾ってやったことがあった。
一郎が意識を取り戻すと、目の前には心配そうに見つめる春の顔があった。彼女の話では、小一時間くらい倒れていたらしい。びっくりした春は、救急車を呼んだと言った。ところが、いざサイレンの音が近づいて来ると、二人はその場から逃げ出してしまう。
ファミリー・レストランにやって来た二人。風俗のティッシュ配りをしていたことから、一郎はてっきり春もその手のバイトをしていると思い込むが、春には「若い子は、みんな援助交際してるとでも思ってます?」と切り返される。
引っ込みがつかなくなった一郎は、話の流れから「それとも、君には出来るのかな?私みたいな老いぼれとキスやセックスが」と詰め寄ってしまう。
一郎がそんな言葉を発したのは、過去の記憶が心にわだかまっていたからか、それとも岡部の若い妻との一件があったからか?微妙に噛み合わない会話が続いた後、二人は別れた。春は、一郎に父親を重ねているようだった。
一郎の生活はいつもの日常に戻ったが、テュッシュ配りをする春の姿を見かけることはなくなった。代わりにティッシュを配っている若い娘に一郎は尋ねてみるが、彼女は知らないとすげなく言った。
そんなある日、一郎は春と偶然再会して…。
近年のサトウトシキは、映画監督として一体どんな作品を撮りたいのだろうか?
本作は若手脚本家の竹浪春花と組んでの4作目に当たるが、このコンビでの作品はどれも物語的な世界観が希薄で、僕は観ていてフラストレーションばかりが溜まってしまう。
唯一の例外は一作目の『イチジクコバチ』 で、それは水井真希と伊藤猛の二人が圧倒的な演技で物語の薄さを凌駕していたからである。
こういう言い方はいささか何なのだが、ピンク映画を撮っていた頃のサトウトシキはもっとボディ・ブロウのように衝撃ある作品を発表していたように思う。それは、彼自身の演出力もさることながら、小林政広、瀬々敬久、福間健二、いまおかしんじといった人々が骨のある脚本を提供していたからである。彼らと比較するのは酷だが、それにしても竹浪の脚本はあまりにも弱い。
低予算なのは致し方ないが、描かれる物語自体がミニマムで空虚だし、作り方も粗雑に感じてしまう。観る者の心をつかむ力に乏しいのだ。
本作は、親友の死によって目をそむけていた47年前の思いと対峙せざるを得なくなった中年男が、若い娘との出逢いを通して混乱と再生に向かう物語…ではある。
然るに、そもそも一郎と春という二人の造形があまりにも粗雑でスカスカだと思う。先ず、少年期の一郎がサチに抱く思慕と思春期のリビドー的記号としての腋毛という部分がとってつけたようだし、一郎と岡部の妻との関係もご都合主義を優先した粗っぽいエピソードにしか見えない。
で、物語のメインである一郎と春のやり取り。極々表面的な出逢いの中で、いきなり援助交際だの自分のような中年とセックスできるかだのという短絡的な会話の数々は、強引に物語を進めるための「道具としての会話」としか映らない。
その浅薄さは、一つの佳境であるラブホテルでの一夜でピークに達する。いくらなんでも、ちょっとないよな…と思う。
また、細かい指摘になるが、部長職にある一郎の勤務する会社は明らかにアパートの一室である。一郎が所長をしている小さな事務所くらいの設定にしておかないと、どうにも無理がある。
また、くしゃみをしている一郎は花粉症にしか見えないのだが、彼が一時間も昏倒していたのなら、いくらなんでも救急車が到着するのが遅過ぎだろう。
個人的には、本作で見るべきは伊藤猛のストイックな演技とやせ衰えた肉体、そして物言わずに横たわる姿である。どうしても、その後に彼がたどった人生を重ねて胸が痛くなる。
ちなみに、ほたるは亡くなったサチの母親としてチラッと姿を見せる。また、平田満の部下役で吉岡睦雄が出演している。
本作は、エクスキューズとして物語的佇まいが添えられただけの空虚な作品である。
サトウトシキには、もう一度撮るべき物語としっかり向き合って欲しいと切に願うのだが。