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藤田敏八『修羅雪姫 怨み恋歌』

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1974年6月15日公開、藤田敏八監督『修羅雪姫 怨み恋歌』




製作は奥田喜久丸、原作は小池一雄・上村一夫、脚本は長田紀生・大原清秀、撮影は鈴木達夫、美術は樋口幸男、音楽は広瀬健次郎、照明は石井長四郎、編集は井上治、録音は神蔵昇、助監督は松沢一男、スチールは橋山直己。製作は東京映画、配給は東宝。
並映は須川栄三監督『野獣死すべし 復讐のメカニック』。


こんな物語である。

明治三十八年。母に託された復讐こそ遂げたものの、鹿島雪(梶芽衣子)は兇悪殺人の罪で丸山警部(山本麟一)に逮捕され、死刑判決を受ける。死刑執行当日、雪を乗せた馬車が襲撃を受けた。九死に一生を得た雪は、瀟洒な邸宅へと連れて行かれた。
彼女を待っていたのは、影の軍隊として恐れられている特警の長官・菊井精四郎(岸田森)。菊井は、命を助ける代償として雪に取引を持ちかける。それは、無政府主義者・徳永乱水(伊丹十三)から一通の手紙を奪い、彼を殺すことだった。乱水が同志から託されたその手紙には、現政府を脅かす内容がしたためられていた。




雪は、自分の身分を偽って乱水の家に女中として住み込んだ。乱水と彼の妻・あや(吉行和子)は、雪のことを気に入ったようだった。雪は、夫婦の目を盗んでは家捜ししたが、手紙は見つからなかった。
ある時、雪は乱水のお供を命じられた。二人を尾行する警官たちをまくと、乱水はとある無縁墓地に行った。懐から手紙を取り出すと、「雪さん、あんたが探しているのはこれだろう」と乱水は言った。彼は、雪の正体も彼女の狙いもすべてお見通しだった。
そして、この無縁墓地に眠るのは自分の同志たちであると言って、乱水は事の真相を雪に語り始めた。



乱水らは、革命を標榜して反政府活動を展開していたが、彼らを目の敵にしていた大審院検事総長の寺内謙道(安部徹)と菊井は、交番爆破事件をでっちあげて革命家たちを一網打尽にした。菊井は、苛烈な拷問を加えた上で彼らを次々に処刑して行った。その時、たまたま東京にいなかった乱水は一命を取り留め、仲間から一通の手紙を託されたのだった。
反政府主義者たちに壊滅的打撃を与えた功績として、寺内は司法大臣、菊井は特警長官の地位を手にした。彼らにとって、乱水が持っている手紙は身の破滅をもたらす爆弾そのものだった。
仲間たちの無念を背負い、自らの死をも顧みず革命運動に心血を注ぐ乱水の姿に、雪は強く打たれる。雪は、乱水の側につくことを決めた。

雪が寝返ったことを知るや、菊井は次の手に出る。例の手紙を携えて反政府集会へと向かった乱水と雪。二人を乗せた馬車の行き手を、警察が阻んだ。脱獄死刑囚の雪を匿った罪で、乱水は逮捕された。
捕まる直前、乱水は手紙を雪に託した。乱水は、この手紙を自分の弟に届けてほしいと雪に言った。
四谷鮫河橋にある貧民屈で医業を営む徳永周介(原田芳雄)に、拳銃で撃たれながらも雪は手紙を届けた。運命の悪戯か、これは二人にとって思ってもみなかった再会であった。かつて丸山に追ってから逃げていた時、雪は周介と偶然出逢って互いに心惹かれたことがあったのだ。
周介は、傷を負った雪の手当てをしてくれた。

兄が過酷な拷問を受けているというのに、周介の態度は冷淡だった。というのも、周介が日露戦争に出兵していた最中、当時彼の妻であったあやは乱水と結ばれてしまった。日本で待つ妻との再会だけを希望に生き抜き、帰国した周介にとってそれはあまりの仕打ちであった。
以来、彼は乱水ともあやとも関係を断ってこの貧民屈に身を潜めたのだった。



いつまで経っても戻らない夫を心配してあやが訪ねて来ても、周介は彼女を追い返した。ようやく解放されたものの、乱水は菊井たちの手によりペスト菌を注射されていた。それに気づいた周介は乱水を小屋に隔離したが、程なくして乱水は絶命。周介までもがペスト菌に犯されてしまう。
周介は、兄の手紙で菊井たちに強請りを掛けるが、菊井は貧民屈を焼き払う暴挙に出た。一方、あやは夫を失ったショックで気がふれてしまう。
焼跡を前に呆然と立ち尽くす雪だったが、瓦礫の中で動くものがあった。周介だった。



雪と余命幾ばくもない周介は、復讐のためにいよいよ立ち上がる…。




前作『修羅雪姫』から半年後に公開された第二弾である。シンプルに映画として見れば、僕は前作よりも本作の方が面白かった。
梶芽衣子の魅力を堪能できるのはもちろん前作だが、いささか盛り込み過ぎなところと定型的な展開に物足りなさを感じた。その辺りも含めてのプログラム・ピクチャではあるのだが。
それに比べると、この続編は物語の懐が深く、登場人物たちもそれぞれにキャラクターが立っているところがいい。基本的に誰もが脛に傷持つ者たちだが、それぞれが実に魅力的に映るのだ。

徹底してヒールの岸田森、山本麟一、南原宏治の悪ぶりもいいし、男の色気を感じさせる原田芳雄や情熱と理性を併せ持つ革命家を演じた伊丹十三も魅力的である。
また、潔く濡れ場を披露してみせる吉行和子もポイントが高い。
彼らの好演もあって、本作は物語的なスケールの大きさをしっかり描けていると思うのだ。

本作唯一にして最大の問題点が何かと言えば、それは修羅雪姫こと梶芽衣子が主役に見えないことである。それに尽きる。
一言でいうと、この映画は男たちの物語であり、雪は彼らの側に立つ狂言回しのような役割を担っているに過ぎない。
「雪の獄舎で生まれた女 いつまで続く修羅の旅」という予告編の惹句からすると、それはいささか看板に偽りありだろう。

本作は、娯楽映画としてはなかなかに魅力的な良作である。
ただ、前作同様梶芽衣子の活躍を期待する向きには、いささか肩透かし気味な続編だろう。


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