1964年3月12日公開、渡邊祐介監督『二匹の牝犬』。
企画は岡田茂、脚本は下飯橋菊馬・渡邊祐介、撮影は西川庄衛、美術は森幹男、音楽和渡辺宙明、照明は森沢淑明、編集は長沢嘉樹、録音は小松忠之、現像は東映化学工業、スチールは藤井善男。製作は東映東京撮影所、配給は東映。
並映は長谷川安人監督『紫右京之介 逆一文字斬り』。
本作は、成人映画指定で公開された。ヒロインの小川真由美にとってこれは二本目の映画出演作であり、緑魔子にとってはデビュー作である。
昭和三十三年、売春防止法の施行により赤線地帯から売春宿が撤廃された。川辺テツ(沢村貞子)が経営していた店も廃業となり、所属の売春婦たちは去って行った。千葉の田舎から出て来た並木朝子(小川真由美)は、結局お客を取ることがないままこの日を迎えた。
ところが、「お前は運がいい」と皮肉を吐くテツに朝子は仕事の世話をしてほしいと懇願する。テツは、掌を返して朝子にお客を紹介してやった。
あれから数年。朝子は、トルコ風呂で売れっ子のミストルコとなっていた。稼いだ金を株の投資に注ぎ込み大金を貯め込む朝子は、やがて美容院の権利を買い取って風俗家業から足を洗おうと考えていた。姉が経営している美容院だったが、姉は朝子のことを毛嫌いしている。
証券会社の担当・関根啓三(杉浦直樹)はしきりに朝子のことを知りたがったが、いつかその時がくれば話すからと言って、朝子は頑なに関根を拒んだ。実は、朝子も関根との平凡な結婚を望んでいたが、そのためにも真実を明かす訳にはいかなかったのだ。
関根は着実に朝子の資金を運用してくれているようで、彼女の目標額まで手の届くところまで来ていた。いよいよ、関根のアタックは激しさを増していた。
そんなある日、腹違いで18歳の妹・夏子が上石神井にある朝子のアパートに転がり込んで来る。父親が新しい女を呼び込んで、母親は出て行ってしまったのだという。仕方なく、朝子は家事一切をやることを条件に夏子を住まわせてやることにした。
ところが、夏子は大人しく姉の言うことを聞くような女ではなかった。
テツは、今でも時々朝子のアパートに顔を出しては、羽振りのいい彼女から小遣い銭をたかった。この日も、そのつもりでテツが朝子のアパートを訪ねると、そこには見たこともない若い女が着替えていた。
テツは夏子にも目とつけてひと儲け企むが、なかなかどうして夏子もしたたかな女だった。夏子はとっくの昔に処女を捨てており、金のためなら男に抱かれることなどへっちゃらだった。テツは、とある中年の男に夏子を紹介してやった。
夏子は、テツが紹介したお客と寝た後、お客がテツに払ったのが二万円だったことを知った。自分が受け取ったのは、一万円。半分ピンはねされていたのだ。
お客が眠ったのを確認すると、夏子はお客の財布から名刺と札数枚を失敬して朝子のアパートにタクシーで戻った。そして、朝子が仕事から戻る前に何食わぬ顔で布団に潜り込むのだった。
普通の幸せへの思いが抑えきれなくなった朝子は、株式の売却を強く関根に依頼するが、まだまだ相場は高騰すると関根は気乗りしない様子だった。朝子にとっては、目標額を達成できれば、後はトルコを辞めて関根と結ばれるだけだ。
夏子は、テツにピンはねされないように名刺に書かれた電話番号に電話した。彼女を買った男は関根の上司・三木(三津田健)で、その三木は関根の粗っぽい運用で顧客からまた苦情が来たと関根をたしなめている最中だった。
電話口ではのらりくらりと三木にかわされた夏子は、夕方証券会社に押し掛けた。三木は、関根に金を渡すとこれで適当にあしらってくれと頼んだ。
その夜、夏子は関根とも関係を持った。夏子は金が目当てだったが、関根は夏子の体に惹かれてしまう。
朝子は、トルコの慰安旅行で箱根に行った。夜、新聞を広げた朝子は自分が持っていた会社の株が暴落したとの記事を目にして愕然とする。自分は一刻も早く売りに出してくれと命じたものの、関根はそれを渋っていた。
居ても立ってもいられなくなった朝子は、東京のアパートに一人戻った。しかし、自分の留守をいいことにアパートの部屋では夏子と関根が逢瀬を楽しんでした。
株は暴落して金も男も失った朝子は、夏子を強制的に田舎に帰すことしかできなかった。
すべてが水泡に帰したかに見えたが、彼らの人生にはさらに波乱含みの顛末が待ち受けていた…。
成人指定された本作は、東映性愛路線の原点的な一本と評していい作品だろう。
小林悟監督が大蔵映画で撮ったピンク映画第一号『肉体の市場』の公開が1962年で、当時は成人映画といえども露出はほんの申し訳程度といった時代である。
本作オープニング・シークエンスで映し出される女性の裸体からして、かなり挑発的なシーンである。
風俗嬢をヒロインに据えたスキャンダラスな内容と、文学座所属の小川真由美の裸を売りにした(実際には、小川は下着シーンしか登場しない)宣伝が功を奏して、映画は大ヒットした。
ただ、本作で小川扮するトルコ嬢は、我々が想起する現在のソープランド嬢のような奉仕をする訳ではない。
赤線廃止直後の初期トルコ風呂で「ミストルコ」と称された女性が客に施していたサービスは、箱型をした一人用の蒸し風呂に入ったお客の体を洗うこととマッサージであった。
後に発表される外連味に満ちた東映諸作ほどではないにせよ、本作もなかなかにあざとい風俗映画である。
ただ、この物語で中心に据えられているのは小賢しい悪党の関根ではなく、あくまでも朝子と夏子であり、またこの姉妹を取り巻く女たちである。ドラマ構造としては、市川崑監督『黒い十人の女』(1961)の世界をより俗にした感じと言えなくもない。
トルコ風呂で働く女たちの刹那的な逞しさともの哀しさもいいし、夏子が最初に買われたのが関根の上司というシニカルな展開も秀逸だろう。
ただ、関根という薄っぺらな悪党の描き方に、如何にもプログラム・ピクチャー然とした安易さがあるのが不満と言えば不満である。
その一方で、小憎らしいやり手婆を演じる沢村貞子の演技は、本当に見事である。ある意味、この作品に描かれている人間たちを象徴する人物がテツだろう。
小川真由美のアンニュイなデカダンスを纏った表情ももちろん魅力的だが、個人的には何と言っても緑魔子である。
並映は長谷川安人監督『紫右京之介 逆一文字斬り』。
本作は、成人映画指定で公開された。ヒロインの小川真由美にとってこれは二本目の映画出演作であり、緑魔子にとってはデビュー作である。
昭和三十三年、売春防止法の施行により赤線地帯から売春宿が撤廃された。川辺テツ(沢村貞子)が経営していた店も廃業となり、所属の売春婦たちは去って行った。千葉の田舎から出て来た並木朝子(小川真由美)は、結局お客を取ることがないままこの日を迎えた。
ところが、「お前は運がいい」と皮肉を吐くテツに朝子は仕事の世話をしてほしいと懇願する。テツは、掌を返して朝子にお客を紹介してやった。
あれから数年。朝子は、トルコ風呂で売れっ子のミストルコとなっていた。稼いだ金を株の投資に注ぎ込み大金を貯め込む朝子は、やがて美容院の権利を買い取って風俗家業から足を洗おうと考えていた。姉が経営している美容院だったが、姉は朝子のことを毛嫌いしている。
証券会社の担当・関根啓三(杉浦直樹)はしきりに朝子のことを知りたがったが、いつかその時がくれば話すからと言って、朝子は頑なに関根を拒んだ。実は、朝子も関根との平凡な結婚を望んでいたが、そのためにも真実を明かす訳にはいかなかったのだ。
関根は着実に朝子の資金を運用してくれているようで、彼女の目標額まで手の届くところまで来ていた。いよいよ、関根のアタックは激しさを増していた。
そんなある日、腹違いで18歳の妹・夏子が上石神井にある朝子のアパートに転がり込んで来る。父親が新しい女を呼び込んで、母親は出て行ってしまったのだという。仕方なく、朝子は家事一切をやることを条件に夏子を住まわせてやることにした。
ところが、夏子は大人しく姉の言うことを聞くような女ではなかった。
テツは、今でも時々朝子のアパートに顔を出しては、羽振りのいい彼女から小遣い銭をたかった。この日も、そのつもりでテツが朝子のアパートを訪ねると、そこには見たこともない若い女が着替えていた。
テツは夏子にも目とつけてひと儲け企むが、なかなかどうして夏子もしたたかな女だった。夏子はとっくの昔に処女を捨てており、金のためなら男に抱かれることなどへっちゃらだった。テツは、とある中年の男に夏子を紹介してやった。
夏子は、テツが紹介したお客と寝た後、お客がテツに払ったのが二万円だったことを知った。自分が受け取ったのは、一万円。半分ピンはねされていたのだ。
お客が眠ったのを確認すると、夏子はお客の財布から名刺と札数枚を失敬して朝子のアパートにタクシーで戻った。そして、朝子が仕事から戻る前に何食わぬ顔で布団に潜り込むのだった。
普通の幸せへの思いが抑えきれなくなった朝子は、株式の売却を強く関根に依頼するが、まだまだ相場は高騰すると関根は気乗りしない様子だった。朝子にとっては、目標額を達成できれば、後はトルコを辞めて関根と結ばれるだけだ。
夏子は、テツにピンはねされないように名刺に書かれた電話番号に電話した。彼女を買った男は関根の上司・三木(三津田健)で、その三木は関根の粗っぽい運用で顧客からまた苦情が来たと関根をたしなめている最中だった。
電話口ではのらりくらりと三木にかわされた夏子は、夕方証券会社に押し掛けた。三木は、関根に金を渡すとこれで適当にあしらってくれと頼んだ。
その夜、夏子は関根とも関係を持った。夏子は金が目当てだったが、関根は夏子の体に惹かれてしまう。
朝子は、トルコの慰安旅行で箱根に行った。夜、新聞を広げた朝子は自分が持っていた会社の株が暴落したとの記事を目にして愕然とする。自分は一刻も早く売りに出してくれと命じたものの、関根はそれを渋っていた。
居ても立ってもいられなくなった朝子は、東京のアパートに一人戻った。しかし、自分の留守をいいことにアパートの部屋では夏子と関根が逢瀬を楽しんでした。
株は暴落して金も男も失った朝子は、夏子を強制的に田舎に帰すことしかできなかった。
すべてが水泡に帰したかに見えたが、彼らの人生にはさらに波乱含みの顛末が待ち受けていた…。
成人指定された本作は、東映性愛路線の原点的な一本と評していい作品だろう。
小林悟監督が大蔵映画で撮ったピンク映画第一号『肉体の市場』の公開が1962年で、当時は成人映画といえども露出はほんの申し訳程度といった時代である。
本作オープニング・シークエンスで映し出される女性の裸体からして、かなり挑発的なシーンである。
風俗嬢をヒロインに据えたスキャンダラスな内容と、文学座所属の小川真由美の裸を売りにした(実際には、小川は下着シーンしか登場しない)宣伝が功を奏して、映画は大ヒットした。
ただ、本作で小川扮するトルコ嬢は、我々が想起する現在のソープランド嬢のような奉仕をする訳ではない。
赤線廃止直後の初期トルコ風呂で「ミストルコ」と称された女性が客に施していたサービスは、箱型をした一人用の蒸し風呂に入ったお客の体を洗うこととマッサージであった。
後に発表される外連味に満ちた東映諸作ほどではないにせよ、本作もなかなかにあざとい風俗映画である。
ただ、この物語で中心に据えられているのは小賢しい悪党の関根ではなく、あくまでも朝子と夏子であり、またこの姉妹を取り巻く女たちである。ドラマ構造としては、市川崑監督『黒い十人の女』(1961)の世界をより俗にした感じと言えなくもない。
トルコ風呂で働く女たちの刹那的な逞しさともの哀しさもいいし、夏子が最初に買われたのが関根の上司というシニカルな展開も秀逸だろう。
ただ、関根という薄っぺらな悪党の描き方に、如何にもプログラム・ピクチャー然とした安易さがあるのが不満と言えば不満である。
その一方で、小憎らしいやり手婆を演じる沢村貞子の演技は、本当に見事である。ある意味、この作品に描かれている人間たちを象徴する人物がテツだろう。
小川真由美のアンニュイなデカダンスを纏った表情ももちろん魅力的だが、個人的には何と言っても緑魔子である。
気まぐれで奔放、大胆で享楽的な夏子という女性を演じる緑魔子のキュートでコケティッシュな魅力が、スクリーンいっぱいに弾ける。
この作品を見て、彼女にノックアウトされない男なんて、果たしているのだろうか?
本作は、夜に生きる魅力的な女たちを描いた女性映画の良作。
今の時代と地続きの普遍性を有した、ある意味リアルな風俗映画だろう。
この作品を見て、彼女にノックアウトされない男なんて、果たしているのだろうか?
本作は、夜に生きる魅力的な女たちを描いた女性映画の良作。
今の時代と地続きの普遍性を有した、ある意味リアルな風俗映画だろう。