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杉田成道『果し合い』

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2015年製作の杉田成道監督『果し合い』




原作は藤沢周平、脚本は小林政広、音楽は加古隆。製作はスカパー!、時代劇専門チャンネル、BSフジ。
本作は、CS放送用の「藤沢周平 新ドラマシリーズ」の一本として製作されたものである。


こんな物語である。

庄司佐之助(仲代達矢)は、兄の総兵衛が家督を継いだ禄高百石の庄司家の部屋住み。今では兄もすでに他界し、兄の家督は長男の弥兵衛(益岡徹)が継いでいる。佐之助にとっては甥である。




佐之助は、かつて兄が敷地の外れに建ててくれた離れで今も一人寝起きしており、弥兵衛の妻・多津(原田美枝子)はことの他佐之助を疎んじている。多津は、二人の息子にも離れに近づくことを禁じていた。つまるところ、佐之助は庄司家にとって厄介者同然の存在である。
そんな中、唯一佐之助の面倒をみてくれるのは長女の美也(桜庭ななみ)だ。彼女は、幼い頃から大叔父と呼んで佐之助に懐いていた。



佐之助は、若かりし頃(青年時代:進藤健太郎)に願ってもない婿の話があった。御盾町・橋川の娘で牧江(徳永えり)という名の女子だった。二人は互いに強く惹かれ合い、牧江の父も佐之助のことを気に入っていた。
ところが、祝言を直前に控えたある日、果し合いを申し込まれた佐之助は止める兄を振り切ってまで果し合いを受けてしまう。
結果、相手を討つには討ったが、佐之助も片足に折れた刀が突き刺さり障害が残ってしまう。このことで縁組は破談となり、佐之助は部屋住みの身となったのである。

弟を不憫に思った兄は、佐之助が三十になると百姓の娘・みち(松浦唯)を嫁に迎えてやった。嫁とはいえそれは床上げ、つまりは隠し妻である。二人は仲睦まじい夫婦となったが、みちが二度身籠った子供はことごとく処分された。部屋住みが子供を持つことなど許されるはずもなく、ましてや庄司家は貧しさ故これ以上の者を養うことなどできぬ相談だった。
みちは結婚十二年で早世し、以来佐之助は独り身だった。

ある日、離れを掃除していた美也は、佐之助に話があると切り出す。だが、彼女が話を始めるより先に、佐之助は縁談の話かと問うた。
大目付の黒川(矢島健一)が庄司家を訪れ、禄高四百二十石の縄手十左衛門の子息・達之助(高橋龍輝)との縁談話を持って来たことを佐之助は知っていたのだ。
美也はこの縁談を受ける気など皆無だったが、彼女の両親は玉の輿だと大乗り気だった。美也の苦しそうな表情を見て、佐之助は「嫌なものは仕方あるまい」と言った。

達之助は遊び人だというもっぱらの評判だったが、美也がこの縁談を断ろうとしていた理由は他にあった。彼女には、松崎信次郎(柳下大)という恋人がいたのだ。信次郎は学のある青年だったが、武術の方は不得手。家柄も裕福とは言い難く、おまけに次男坊であった。
とても、両親が結婚相手として信次郎を認めてくれるとは思えなかった。

今年もみちの命日が訪れた。佐之助は、美也と一緒にみちの墓参りに出かけた。みちの墓は、石が置かれただけの粗末なものだった。「大叔父のお墓は、私がちゃんとしたものを建てます」と美也は言ったが、死んでしまえば同じことだと佐之助は笑った。
みちの墓参りを済ませると、佐之助は別の墓へと向かった。美也の知らない墓だった。それは、牧江の墓だった。手を合わせた佐之助は、「同じような目には遭わすまい…」と心の中で呟いた。

家族が寝静まった夜更け、美也は家の前で信次郎と秘かに逢っていた。信次郎は、美也の縁談話を耳にしていた。相手が、縄手家であることも。二人は硬く抱き合い、唇を吸った。いざとなったら、駆け落ちするしかないという信次郎だったが、いまだ美也にはそこまでの覚悟はできていなかった。
そんな若い二人の逢瀬を、佐之助は見ていた。

美也は、佐之助に背中を押されたこともあり両親に縁談を断って欲しいと手をついた。両親の落胆は酷く、多津の怒りの矛先は佐之助へと向いた。
苦渋の思いで黒川に許しを請うた弥兵衛だったが、すでに縁談話を触れまわっていた達之助は「そうですか」と収まる訳もなく…。




小林政広が久しぶりにテレビ用に執筆した脚本(時代劇を書くのは、本作が初めてだという)であり、監督するのは「北の国から」シリーズで名高い杉田成道。そして、主演が仲代達矢とくれば、悪いはずがないだろう。




「この作品はスクリーンで見てみたい」との仲代の一言で、丸の内ピカデリー1における完成披露試写会が行われ、さらには11月7日から東銀座の東劇で一週間限定のモーニングショー上映が決定している。




仲代の言葉も納得の、誠に力強く見応えある95分の重厚な時代劇に仕上がっている。
今、時代劇を撮ることはとても容易とは言い難い状況である。それでも、良質の脚本、的確な演出、役者陣の魅力、そしてそれらを受け止める映像があれば、まだまだちゃんとした時代劇が作れることを立証した作品と言っていいだろう。
いささか卑近な例かもしれないが、いよいよ西部劇映画の衰退が叫ばれていた1985年にローレンス・カスダン監督『シルバラード』とクリント・イーストウッド監督『ペイルライダー』が作られたことで、西部劇がまだ十分に有効な娯楽コンテンツであることに誰もが気づいたように。

藤沢周平の原作は、40頁にも満たない掌編である。基本的には原作に忠実でありつつも、人物描写には定評のある小林政広がさらなるドラマ的厚みを加えた脚本に仕上げている。
小林自身がメガホンを取る場合、彼は直球勝負的な展開から少し外したホンを書く傾向があるように思うのだが、本作はあくまで人情娯楽劇としてのメインストリームな物語となっている。小林ならではのユーモアも健在だ。
今、僕が小林政広に求めているのは、まさしくこういったストーリーテリングである。こんなことを書くと、小林には苦笑されそうだが。

そのギミックを排した物語を、杉田成道は見事な手腕で、時にはストイックに、時にドラマチックにと巧みに緩急使い分けた演出で一級品の時代劇に料理してみせた。
そして、杉田×小林による物語を繊細で美しい映像と加古隆によるセンシティヴな音楽が、盛り上げる。

役者陣に目を向ければ、近年は小林政広とのタッグも目立つ御歳82歳の仲代達矢渾身の演技が圧巻だ。惚けた老武士のユーモアとペーソス、ここぞという時の眼光と動きは、まさしく日本を代表する名優の名に恥じない。
そして、仲代と共に本作の重要な役・美也を演じた桜庭ななみの健闘も光る。和服の似合う整った日本的な顔立ち、派手さこそないものの意志の強さを感じさせる美しい目で、彼女は美也という女性を見事に体現してみせる。
脇を固めるのは、小林政広演出のドラマ・リーディング『死の舞踏』 でも共演した無名塾の益岡徹、黒澤明監督『乱』以来30年ぶりの共演となった原田美枝子。また、今回は共演シーンこそないものの仲代と共に小林政広監督の『春との旅』 に出演していた徳永えり
とても魅力的なキャスティングとなっている。

ただ、本作はかなりの力作だと思うものの幾つか気になった個所もあるのでそれを挙げておく。

仲代が日常シーンを演じる時、とりわけコミカルな芝居をする場面において独特の節回しとアクセントで話すのだが、それがやや作為的に感じなくもなかった。もちろん、シリアスな場面との緩急を計算してのことなのだが。彼のこういう技巧的な節回しが効果的だったのは、前述した『死の舞踏』だろう。

加古隆は、1970年代にフリー・ジャズをやっていた頃から好きなピアニストで今回メインテーマに使われた「グリーンスリーヴス」の感傷的な旋律も趣深いのだが、音の大きさがいささかテレビ的に過ぎるのではないか。映画館のサウンド・システムで掛ける場合には、もう少し音量を絞った方がバランス的に好ましいように思う。

物語最大のピークと言える果し合いのシーンでは、映像の美しさに若干の違和感があった。特に、川面のきらめきが気になる。
ただ、このあたかもデジタル的に鮮明な映像は、驚くべきことにフィルムによるものだと言う。恐らく、物凄い光量の照明を駆使しての撮影だったのだろう。

美也の旅立ちのシーンも本作の見所の一つだが、これまでの人生をある種の達観と諦念で生き長らえて来た佐之助という男が、あの場面で落涙するものだろうか…と思わなくもない。
あと、ラストの展開は情緒的な回想シーンも多く、やや尺が長く感じてしまったのも事実である。そのあたりは、やはりテレビを念頭に置いた演出だからだろう。

幾つか不満点も述べたが、正直に告白すると僕は本作を観ていて何度も涙腺が緩んでしまった。舞台挨拶の壇上で仲代達矢が言った「年のせいか、作品が素晴らしいのか、思わず涙を流してしまいました」では、ないけれど…。

本作は、一級のキャスト・スタッフによって作られた重厚にして見応えのある時代劇の良作。
もちろん、テレビでも十分に楽しめるが、できれば劇場の大きなスクリーンで堪能して頂きたい逸品である。


なお、これは完全なる余談だが、原作付きとはいえこれだけストレートな脚本も書くのだから、小林政広には是非ともオリジナル脚本で大人の恋愛映画を撮って欲しいものである。


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