1968年6月15日公開、山田洋次監督『吹けば飛ぶよな男だが』。
製作は脇田茂、脚本は森崎東・山田洋次、撮影は高羽哲夫、美術は重田重盛、音楽は山本直純、照明は戸井田康国、編集は石井巌、録音は小尾幸魚、スチールは久保哲男。製作・配給は松竹。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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チンピラのサブこと三郎(なべ・おさみ)は、ちゃんとしたしのぎもなく子分のガス(佐藤蛾次郎)とグダグダ行動しているハンパな男。今は、兄貴分の鉄(芦屋小雁)と三人で大阪駅を張っている。家出娘をたぶらかしてブルー・フィルムに出演させ、ひと儲けする心算だ。
あれこれ三人が品定めしていると、うってつけの女が現れる。九州から家出して来た花子(緑魔子)である。彼らは、早速花子に声をかけお好み焼屋に連れて行く。適当に話を盛り上げた後、映画に出演しないかと持ちかけると、花子は何の疑念も持たずに了承する。
もちろん、ブルー・フィルムであることは伏せられたままだ。
人気ない昼間の林に、カメラを担いだ喜やん(上方柳次)の撮影隊一行は、やって来る。花子は、訳も分からぬままセーラー服を着せられ、詰襟姿の相手役・馬やん(上方柳太)に押し倒された。
泣き叫んで、激しく抵抗する花子。鉄が檄を飛ばして撮影を強行するが、見張り役のサブは花子のことが哀れになってしまい、仲間を裏切って彼女と現場から逃げ出した。
とりあえず、サブとガスは花子を連れて大阪の町をあちこちフラフラする。彼女の金で飲み食いした後、サブは九州に帰れと諭して別れた。
ところが、花子は相変わらず夜の町をふらついて帰る様子がない。そうこうしているうちに、酔ったサラリーマン(石橋エータロー)が花子に声をかけて来た。見かねたサブは、二人の間に割って入り、男を追い払った。
そのまま、サブと花子は連れ込み宿で一夜を明かした。最初こそ花子のことをからかっていたサブだったが、彼女の身の上話を聞くうちいつしか情が湧いて来てしまうのだった。
翌朝も、サブと花子はガスも交えて行動を共にする。からっけつになったサブは、遊ぶ金欲しさにまたこすっからいことを考える。美人局だ。
夜の帳が下りた裏通り。ピンク映画のポスターを眺めている気の弱そうな中年男(有島一郎)に声をかけると、サブとガスは男を花子の待つ連れ込み宿に連れて行った。男は、大学で教鞭をとる先生だった。
タイミングをはかって部屋に踏み込みサブが凄むと、最初こそ言い訳していた先生はそのうち生真面目に自己反省を始める。そればかりか、サブたちにビールまで奢るお人好しぶりに、サブは先生のことを気に入ってしまう。こっちはこっちで、とんだお人好しだ。
サブは、酔っ払った先生をお清(ミヤコ蝶々)が経営するトルコ風呂に連れて行った。お清はこの界隈では有名なやり手で、サブとは腐れ縁の仲だった。
兄貴を裏切ったサブは稼ぎぶちもままならず、結局は花子をお清の店に預けてしまう。サブを想う花子は、惚れた男を養うために慣れないトルコ風呂で健気に働き始めた。ところが、花子の行方を探していた鉄達に等々見つけ出されたサブは、それでも花子の居場所を吐かず、落し前にエンコを詰める羽目になる。
ガスのオンボロ・アパートの隣人でヤクザの不動(犬塚弘)は、痛みに大騒ぎするサブにたまりかねて自分と付き合いのあるアル中の医者(長門勇)を紹介してやった。男儀はあるが不器用な不動は、ヤクザで一旗あげるならきっちり自分のしのぎを持てとサブに説教する。
不動を兄貴と慕うようになったサブは、新たにケチな商売を思いつく。ビラをばら撒き、引っかかって来た客に女を紹介すると振れ回ったが、のこのこやって来た客(石井均)を待っていたのは何と女装したガスだった。
そんな日々の中、事件が起こる。サブは、先生の研究室で花子から妊娠したことを告げられる。自分と出逢うまで花子は男を知らなかったと思い込んでいるサブは、当然自分の子供だと喜ぶが、実はそうではなかった。花子が九州にいた時分に、関係を持った男の子だったのだ。
ならば堕ろせとサブは迫るが、それもできないという。花子は天草の出身で、土地の人間の多くがそうであるように彼女も敬虔なカトリック教徒であり、堕胎は許されぬ行為だったのだ。
サブは荒れに荒れて、先生の研究室を飛び出して行った。失意で憔悴する花子に、先生は「君を必ず守るから」と声をかけることしかできなかった。
サブの怒りは収まらず、やけくそになった彼は地回りのヤクザたちを大ゲンカした上に、そのうちの一人の尻をナイフで刺してしまう。
拘置所送りになったサブはそこで冷静さを取り戻し、面会に訪れた花子の顔を見てもう一度やり直すことを心に誓う。
ところが、花子はお腹に子供を宿したまま自責の念にかられて雨の町を彷徨い歩いた挙句、流産。通りかかった車に乗せられて病院に運ばれたが、花子はあっけなくこの世を去ってしまう。
釈放されたサブを出迎えたのは、ガス一人。花子はどうしたと聞いたサブを待っていたのは、あまりにも悲しい答えだった。
サブは、先生やお清、ガスが見守る中、棺に納められて物言わなくなった花子と対面する。便所に駆け込んだサブは、辺りかまわず大きな声を出して号泣するのだった。
サブは、花子の遺骨と彼女が肌身離さず持っていたマリア像を手に天草を訪れて、彼女の祖母に渡した。
サブは、すべてを捨てて心機一転するため海を渡ることにする。見送りにやって来たお清に、サブはひとつだけ聞いておきたいことがあった。お清は若い頃に幼いわが子を捨てている。サブは、幼い時に母親に捨てられた。その当時住んでいた場所と年齢を考えると、「もしや、自分の生みの母はお清なのでは…」という思いが、いつでもサブの心に引っかかっていたのだ。
ところが、生んだややこはすぐに死んでしまったと笑って、お清は餞別にスキンを渡した。拍子抜けしたサブは、船に乗り込むとお清とガスに手を振って別れを告げた。サブの船が小さくなり、やがて見えなくなるとお清は目頭を押さえるのだった…。
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山田洋次が、『男はつらいよ』の前年に発表した人情喜劇の良作である。
如何にも昭和然とした佇まい、弁士に扮した小沢昭一の名調子、劇中に流れる美樹克彦のヒット曲「花はおそかった」(1967)、ネオン街のきらめきと雑然とつつも生気のある町並み、カメオ出演する石橋エイタローや安田伸に至るまで、何とも良き時代の日本映画を感じさせる語り口にしみじみする。
主役のなべ・おさみのお調子者全開の軽妙な芝居や、佐藤蛾次郎、芦屋小雁も如何にものコンビネーションだし、犬塚弘も流石の存在感である。
ブルー・フィルムの撮影シーンを見ていると、渡辺護監督の名作『㊙湯の町 夜のひとで』 (1970)を思い出したりもするが、『吹けば飛ぶよな男だが』の文章でこの作品に言及する人はあまりいないのではないか。
ただ、僕は緑魔子が大好きなのだが、いささかカマトトつぽさのある花子という役は彼女には合っていないように思う。演技的にはなかなかの雰囲気なのだが、どうしても緑魔子といえば小悪魔的に奔放でキツいしたたかな女像というイメージが強いし、そういう役を演じた時の輝きが格別だからだ。
むしろ、本作で僕が惚れ惚れするのは、武骨な独身教師を演じる有島一郎の生真面目な演技と、立て板に水としか言いようのない絶妙のテンポ感で科白を畳みかけるミヤコ蝶々の名人芸的演技である。
キリシタンというエピソードや、この時期の定番ともいえるラストで海外に出て行く展開が、何とも気分である。
本当に、今となっては作り得ないようなドラマ構成だし、ある種のファンタジーにすら見えてしまうから不思議だ。
昭和の日本映画に浸りたい向きには、うってつけの良品である。