1999年12月1日公開、小林政広監督『海賊版=BOOLTEG FILM』。
プロデュース・脚本は小林政広、音楽は高田渡、テーマ曲は高田渡(詞・曲・唄)「仕事さがし」、挿入歌はSTRADA「山道より」(off note)、撮影監督は佐光朗(J.S.C.)、アシスタントプロデューサー・スチールは岡村直子、ラインプロデューサーは佐々木正則、制作は山本充宏、ロケーションコーディネイトは南博之、助監督は女池充、演出部協力は上野俊哉、ポストプロダクションプロデューサー・編集は金子尚樹(J.S.E.)、録音は瀬谷満、撮影助手は伊藤潔、照明は木村匡博、監督助手は藤丸俊樹・向井慎吾、録音助手は岩丸恒、特殊美術は吉田ひでお、衣装は岡本嚇子、ヘアメイクは諸橋みゆき、車輌は菊池淳、タイミングは永沢幸治・平井正雄、タイトルは道川昭、現像は東映化学、録音スタジオは福島音響、リーレコは日映録音、制作協力は北海道増毛町。製作・配給はモンキータウンプロダクション。 洋二の元に逃げ帰る順子。ようやく状況に気づいた小松と会田は、慌てて車に戻ると急発進した。しばらく走ってはみたものの、やはりこのままあの二人を逃がしてはまずいと引き返す小松と会田。
1998年/35mm/74分/モノクロ/シネマスコープ
なお、本作は1999年カンヌ国際映画祭“ある視点”部門公式出品作品である。
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
--------------------------------------------------------------------
荒涼とした北海道増毛町の道を行く自動車。ハンドルを握る小松立夫(柄本明)も助手席に座る会田清司(椎名桔平)も塞ぎ込んだ表情をしている。小松は運転しながら何本も缶ビールを消費しており、会田もそれをあえてとめない。二人は、喪服を着て北川文子(環季)の葬儀へと向かっている最中だ。
小松はリストラ寸前の冴えないヤクザで、会田は警視庁勤務の警察官。真逆の社会的地位にある二人は、皮肉にも親友同士。文子は会田の離婚した元妻で、結婚中から小松と文子は不倫関係にあった。
自殺の原因は分からないが、お陰で小松は妻の明子(高仁和絵)から離婚届を突きつけられ、会田も今付き合っている礼子(中野若葉)から散々きつい言葉を浴びせられた。
二人は、道中本当に文子が好きだったのは自分だと言い張り、会田との離婚原因の一つと推測される彼女が降ろした子供の父親も自分だと言って譲らない。
仲がいいのかただの腐れ縁なのか微妙な関係の二人だが、そのうち小松は「葬儀に出席するから休暇下さいって言ったら、『だったら、一体死体を始末して来い』ってよ。拳銃も二挺待たされちまってよ」と言った。会田がギョッとして「何処にあるんだ、それは」と聞くと、「トランク。拳銃も一緒にな」と小松は平然と言ってのけた。
小松は、用を足すために車をパーキング・エリアに停めた。小松が戻って来ると、二人は諍いを始める。会田がトランクを開けると、小松が言った通り血にまみれた男の死体と拳銃が二挺無造作に置かれていた。
さっきまで文子の件で言い争っていたこともあり二人の険悪さはマックスで、トランクから拳銃を取ると互いに銃口を向け合った。
二人の様子を後続車の若いカップルが見ていた。映画の真似ごとかと興味を持った順子(舞華)は、洋二(北村一輝)が止めるのも聞かず二人に近づいた。二人の間に割って入ると、「何してんですか?」と言いながら、順子はトランクを覗き込んだ。次の瞬間、彼女の絶叫が響き渡った。
さすがに元の場所にはいないだろう…と半ば諦めていた二人だが、何とカップルの車はパーキング・エリアに停まったまま。「あいつら、アホだ」と呆れかえる二人。
洋二がトイレで用を足すのを順子は車の中で待っていた。小松は順子を、会田は洋二をそれぞれ消すことにした。
ところが、拳銃を手に相対したというのに小松も会田もその場でカップルを殺さなかった。そして、小松は順子に会田は洋二に車を運転させてとある場所へと向かわせた。やって来たのは、水産物会社の倉庫が建つ人気ない海辺の場所だ。
しかし、ここまで来ても二人には殺しをやる肝が据わらない。互いに相手の行動に業を煮やした小松と会田は、カップルをそっちのけで怒鳴り合いを始める。会田に「意気地なし!お前、それでもヤクザか!」となじられた小松は、怒りにまかせて二人を射殺した。
とりあえずやることをやった二人は、死体をほっぽらかして車で走り去ってしまう。
夜の帳が下りた頃、車中で会田が死体を処理しないと足がつく…と言い出す。二人が現場に戻ってみると、カップルの死体はそのままの状態で倒れていた。
文子の通夜にも出席せず、二人はその日の宿を取って一緒に湯に浸かっている。会田が「トランクの中の死体は誰なんだ?」と尋ねると、小松は「弟だ」と答えた。
風呂から上がると、二人は町に出た。そして、バーに入ると「もう閉店だ」とマスター(小林政広)が言うのも聞かずにビールを注文した。
突然、会田は「文子が死んだのはな、あれは事故だったんだ。子供を産み落としてな」と言った。小松は驚きの表情を浮かべるが、「誰の子なんだ。俺の子か?」と聞いた。「いや、俺の子だ」と会田。ここでも、二人は言い合いになる。
翌日、小松はカップルと弟の死体を運び出して雪の中に埋めた。仕事の済んだ小松は、会田に指定されたまだ営業していないスキー場ゲレンデへとやって来る。
そして、二人はロッジの中に入る。すると、テーブルの上に文子の遺体が置いてあった。呆然とする小松に、会田は「お前が埋めに行っている間に、あいつの実家からかっぱらって来たよ」と言った。
雪の中を歩いている小松と会田。小松は死体を彼女の実家に帰してやれと言うが、会田はそれを拒否する。何を思ったのか、会田は懐から拳銃を取り出した。
「死ね、お前も。三人も殺したんだ。おまけに何年も他人の女房に手を出した。お前のような奴はな、このまま生きていても恥をさらすだけだ。だから、死んじまえ」「俺たちは親友だろ」「親友には裏切りがつきものだとでも言うのか」。
会田は、小松を撃ち殺した。
会田は、一糸まとわぬ文子の死体を抱きかかえると雪の中を山に向かって歩いて行った。
おもむろに、埋められた雪の中から出て来る順子と洋二。洋二は結婚しようと言って順子の手を取ると、歩いて行った。
死体の重さに息切れする会田。一発の銃声。こめかみを撃ち抜かれて、文子と寄り添うように息絶える会田。
こめかみから血を流し事切れたはずの小松は、一度目を開くと「あああああ~!」と叫んだ。
「ブートレグ フィルム でした!!」
--------------------------------------------------------------------
何とも人を食ったような、とても風変わりな作品である。
1996年に撮ったデビュー作『CLOSING TIME』
で第8回ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ヤングファンタスティック部門グランプリを獲得した小林政広が、その次に撮ったのが本作。
処女作同様、この作品にも小林が敬愛するフランソワ・トリュフォーを始めとしたヌーヴェル・ヴァーグ的芳香がそこかしこに漂っている。
親友同士のヤクザとポリス、一人の女を巡る何ともシニカルな愛想模様、死体を扱ったドライなニヒリズム、随所に映画マニア的会話を散りばめた洒脱、等々。
本作のようなカラカラに乾いたストレンジなコメディは、こと日本映画ではなかなかお目にかかることができない。白と黒のコントラストが際立つ色彩計算とシャープな構図があるからこそ、映画的に成立しているところもあるだろう。
ペーソスを纏った奇妙なコメディ・タッチに、小林が後日親交を結ぶことになるパトリス・ルコント作品と相通ずる空気を感じた。
デビュー作でとりあえずすべてを吐き出した小林は、本作撮影時が一番経済的にきつかったと語っている。それでもあえて次の映画を撮り上げたのは、「自分は、シナリオライターではなく映画監督としてやっていくんだ」という強い意志があったからである。
そして、本作の次に撮られたのが緒方拳を迎えての『殺し』
『歩く、人』という良作である。言ってみれば、監督として彼が飛躍する上でのまさしく“踏み切り台”的な役割を果たしたのが本作だと言えるだろう。
僕にとって『海賊版=BOOTLEG FILM』が興味深いのは、その映画的佇まいに小林政広の作家的キャラクターが顕著な点である。
これ以降のものにも現れているが、小林の撮る作品には日本映画特有のウェットさや外連味がほとんど感じられない。彼は人間描写や人物造形に優れた作家であるが、映画として提示された作品には小林独特の渇きがいつもあるのだ。それは、恐らく彼自身がある種の情緒性に背を向けて、冷徹にドラマを構築するからだろう。
その姿勢が、ある意味過激に現れたのが本作だと思う。そして、何処かフランス映画を換骨奪胎したような作品の雰囲気は、賛否こそはっきり分かれるだろうがなかなかに刺激的である。
その辺りのことに確信犯的だからこそ、ラストに「ブートレグ フィルム でした!!」というテロップを用意したのだろう。
観る側の視点に立った場合、この作品のストーリーテリング自体はシリアスに受け止めるべき性質のものではない。
ただ、個人的には柄本明の求心力に比して椎名桔平が演技力・存在感に乏しいのが大いに不満である。緩急なく、ただひたすら単調に怒鳴っているように映るのだ。
本作は、決して傑作と評すべきものではないだろう。
しかし、小林政広の大いなる助走作品として避けて通れない一本である。