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スタニスラフスキー探偵団RETURNS@高円寺明石スタジオ

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2015年1月9日マチネ、高円寺の明石スタジオで「スタニスラフスキー探偵団」の再演舞台を観た。



原作・演出は細野辰興、戯曲は細野辰興・中井邦彦、舞台美術は照井旅詩、美術は金勝浩一、照明は伊藤侑貴、音響は若林大介、音楽は籔中博章、撮影は道川昭如、制作・演出助手は有馬達之介・小関裕次郎・日里麻美、広告美術は日里麻美・有馬達之介、公式サイトはナカヤマミチコ、ポスター撮影は羽後栄、ポスターメイクは筒井智美PSYCHE。
制作は創作ユニット[スタニスラフスキー探偵団]、製作は細野辰興・川口浩也・杉山蔵人・日下部圭子、協力は株式会社アンフィニー・株式会社ノックアウト・プロースト!・プロピア・日本映画大学、主催はSTANISLAVSKY DETECTIVES & FELLOWS。



なお、本公演は2010年9月2日から5日にアイピット目白で初演された。今回のキャストのうち、向山智成と和田光沙は初演時にも出演している。



また、本作と並行して細野は、クラウドファウンディングによる『貌斬り KAOKIRI ~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』の撮影を準備している。


都内のルノアールに、新作映画『貌斬り』の脚本を手直しするためにスタッフが集まる。温泉場に泊まり込みでの作業と聞いていた監督の風間重兵衛(草野康太)は、脚本家の円山宗一郎(向山智成)からこのルノアールに変更されたことを知らされて、早くも頭に血が上っている。予算を切る詰めるために、プロデューサーの蓋河久子(山田キヌヲ)が一方的に変更したのだ。彼女は、客入りの悪そうな『貌斬り』の脚本にもっと恋愛要素を加えるよう指示していた。

この場に集まったのは、風間と円山の他にチーフ助監督の綾部明(森谷勇太)、綾部が連れて来たやる気の欠片も見えない助監督見習いの壺井(金子鈴幸)。風間は、自分の監督作品すら観ていない壺井をゆとり世代とこき下ろすが、それも暖簾に腕押しだ。店のウェイトレス(和田光沙)は、迷惑な客と言わんばかりの視線を向けて来る。
そこに、遅れて蓋河と彼女の助手・室井朋子(森川千有)も到着。とにかく風間は自分の作りたいものを作ると頑なな態度を崩さす、一方の蓋河は商業的なビッグ・プロジェクトだからの一点張り。これでは、折り合う余地など見つかりそうもない。おまけに、蓋河の助手である室井はより辛辣で、言うことがいちいち風間の癇に障った。
そんな中、メンバー唯一の穏健な大人である職人脚本家の円山は、何とか打ち合わせを意味のあるものにしようと調整を図る。

風間の悩みの種は、この話のモチーフとなる40年前の芸能スキャンダル、当時のスター俳優・馳一生(嶋崎靖)貌斬り事件の核心に迫れていないことだった。
一説によると、馳は事務所移籍問題で不興を買い、その結果暴漢に左頬を二枚の剃刀で斬られたと伝えられていた。しかし、馳は事件を不問に伏したばかりか、その5年後には黒幕と噂されたプロデューサー法螺の会社に所属した。事件は、すべてが霧の中だ。
風間は真相を知りたい訳ではなく、有効な仮説を打ち立てたいと強く望んでいた。それさえあれば、映画になるというのが彼の考えだった。
プロデューサー・サイドにしてみれば、いよいよもって客入りの遠のきそうな監督のこだわりだが、蓋河は企画を潰す気だけはまったくないようだった。そのことが、室井をさらに苛立たせていた。

風間は、スタニスラフスキー・メソッドを用いて真相に迫ることを提案。ロシアの演劇人コンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱した演劇理論に端を発したメソッド演技法のことで、役者が当事者になり切ることでその感情を追体験するというもの。自己の内面を掘り下げることから役者の精神的負担が大きく、マリリン・モンローの自殺原因のひとつとも言われている手法だった。
そこに、風間の依頼で演劇評論家の竹脇穣(南久松真奈)が老いさらばえた馳本人を連れて来て、いよいよ危険な演劇的実験が始まるが…。


本公演に謳われるのは、「異才監督細野辰興が演劇を挑発する」というある種扇情的ともとれる惹句である。だが、個人的な感想を述べさせてもらうならば、とてもそうは感じなかった。
そもそも、細野の演劇観あるいは演出法が今の演劇を挑発するにしてはいささか古臭く思えたからだ。

映画作りを巡るやり取りがあり、そこからさらにスタニスラフスキー・メソッドが展開する入れ子構造の演劇は、試みとしては面白いと思う。
しかし、最初に登場する草野康太のあまりにもオーバー・アクション気味な演技が、そもそも芝居芝居していて興を削がれる。それは、山田キヌヲ、森谷勇太、森川千有についても言えることだ。
スタニスラフスキー・メソッドになる前から、観る者が登場人物たちの演技に芝居を感じてしまったのでは、本公演に関して言えばマイナス要素だろう。ロールプレイのくだりで、初めて観客に芝居を意識させるべきだからである。
和田光沙の役柄は、思い切りのいいベタな過剰演技こそが面白いのだが、彼女のキャラクターにお笑い担当的な役割が強すぎるのも効果的とは思えなかった。向山智成のナチュラルな演技や金子鈴幸の白けたクールさには、好感が持てた。
一番分からなかったのは、何故竹脇役に女優をキャスティングしたのかということで、南久松真奈の演技自体は悪くないのだが、どうにもメイクからして老け役の小芝居のようで違和感があった。

舞台の後半、スタニスラフスキー・メソッドで事件の核心に迫り、それは登場人物各人の過去や心のわだかまりをも白日の元に晒す。その劇的でスピーディな展開は、なかなか刺激的だ。ただ、その見せ方があまりにも昭和のメロドラマ然としてはいないか?特に、壺井の態度が殊勝になる個所など、ちょっと浪花節的にすら見えてしまった。
また、登場人物たちの心の闇を抉るには、各人の造形が根本的に掘り下げ不足に思えるのも不満だった。
それと、馳一生は言うまでもなく長谷川一夫から来ている訳だが、劇中で当の長谷川一夫の貌斬り事件や美空ひばりの塩酸事件を例に挙げるのもどうかと思う。それでは、何故馳一生という架空の人物を登場させたのか分からなくなるからだ。

本作は、試みこそ面白いが演劇的にはいささか手法が古めかしい印象の舞台であった。
むしろ、映画版の方にこそ興味を引かれる。
なお、いくら科白量が多いとはいえ主役の草野が結構噛んでいたのが気になったことを付け加えておく。

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