エグゼクティブ・プロデューサーは奥田瑛二、プロデューサーは長澤佳也、アソシエイト・プロデューサーは畠中鈴子、脚本は安藤桃子、原作は「0.5ミリ」安藤桃子(幻冬舎文庫)、撮影は灰原隆裕、照明は太田博、美術は竹内公一、録音・整音は渡辺真司、音楽はTaQ、フードスタイリストは安藤和津、主題歌は「残照」寺尾紗穂(作詞・作曲:寺尾紗穂、アルバム『残照』収録)(発売元:MIDI INC./Published by YANO MUSIC PUBLISHING Co.,Ltd.)、助成は文化芸術振興費補助金。
製作はゼロ・ピクチュアズ、リアルプロダクツ、ユマニテ、配給は彩プロ、宣伝は「0.5ミリ」三姉妹、広報企画は道田有妃、ArtworkはNoritake、宣伝美術・宣伝コピーはサン・アド。
宣伝コピーは「死ぬまで生きよう、どうせだもん。」
2013/196分/カラー/ビスタサイズ
ちなみに、安藤桃子と安藤サクラは姉妹で両親は奥田瑛二と安藤和津、柄本明と角替和枝は安藤サクラの義父母である。
こんな物語である。
高知で介護ヘルパーの仕事をしている山岸サワ(安藤サクラ)は、派遣先で寝たきり老人・片岡昭三(織本順吉)の娘・雪子(木内みどり)から「冥土の土産におじいちゃんと寝てあげてくれない?」というとんでもない依頼をされる。添い寝だけ、派遣先には内密にするという条件でサワはその申し出を引き受ける。雪子は夫(柄本明)とは離婚しており、一人息子のマコト(土屋希望)は母のことを毛嫌いしている。
ところが、その夜に警察沙汰の大事件が起こり、サワは派遣元を解雇され寮からも追い出される羽目に。一夜にして、彼女は無職のホームレスへと転落してしまう。
途方に暮れて、キャリーバックひとつに全財産を詰め込みサワは町を彷徨う。疲れ果ててうたた寝していた電車内、降りる駅で目覚めたサワは慌てて車内にコートを忘れてしまう。季節は、冬である。
サワが寒さに震えて歩いていると、カラオケ・ボックスとビジネスホテルを勘違いして店員(東出昌大)ともめている老人・康夫(井上竜夫)に出くわす。サワは、康夫の親戚を装って強引にカラオケ・ボックスに入ってしまう。始めは訝しがっていた康夫もいつしか彼女のペースに巻き込まれて、一晩中カラオケで盛り上がってしまった。
別れ際、康夫は自分の置かれた状況を打ち明け、サワに着ていたコートを羽織らせると金を渡して満足そうに去って行った。
ぶつぶつ独り言をつぶやきつつ、スーパーの駐輪場で自転車をパンクさせている茂(坂田利夫)。如何にも偏屈そうな一人暮らしのこの老人にもサワは近づいた。迷惑がって毒づく茂に、サワはバラしてもいいのかと囁いてついて行く。そのまま、彼女は茂のアパートに押しかけて共同生活を始めた。
茂の財産に目をつけているヤクザの斉藤末男(ベンガル)は、茂に怪しげな金融商品を勧誘している。茂は、孤独に苛まれて斉藤のような男を唯一の友人だと考えていた。
サワは身を呈して茂を守り、茂は押しかけヘルパーのような女に心を開くようになった。
元は有能なカー・エンジニアだった茂は、一番の宝物であるビンテージ・カーをサワに譲り、自分は老人ホームに入所してしまう。
書店で真壁義男(津川雅彦)が女子高生の写真集を万引きしているところを目撃したサワは、今度はこの老人のところに押し掛ける。
義男は元教師で、郊外の一軒家で生活していた。音楽教師だった妻の静江(草笛光子)は痴呆症で寝たきり状態にあり、週に何度か浜田(角替和枝)というヘルパーを雇っていた。浜田は、サワを年の離れた愛人だと思い込んだ。
プライドが高い義男は、今でも教職にある風を装い、外出しては時間を持て余している。彼もまた、彼の孤独と戦っていたのだ。そんな義男の寂しさを見抜いたサワは、いつしかヘルパーとして信頼を得るようになり、義男も彼女にうち解けて行った。
ところが義男も痴呆症になり、愛人に義男の財産を乗っ取られるのではないかと心配した浜田は、親戚の真壁久子(浅田美代子)に連絡する。久子は、サワに感謝の思いを伝えつつも、これからは自分が責任を持って二人の面倒を見ると言った。
またしても居場所を失ったサワは、偶然マコトと再会するが…。
この作品が3時間16分もあったことは、ちょっとした驚きである。とても濃密な映画ではあるが、体感時間としてはそこまでの長さを感じさせない。まあ、観ていて真壁義男のエピソード後に、まだ話が続くのか…という思いがよぎったのは確かだが。
安藤桃子には、デビュー作を撮る以前からこのテーマで映画を撮ろうという思いがあったようだが、シノプシスに着手したところ手が止まらなくなり、先ずは小説として世に出したそうである。
彼女には祖母を介護した経験があり、加えて日本では高齢者に対する尊敬の念がないという思いが重なり、そこから湧き上がって来る怒りをも吐き出したのがこの作品である。
津川雅彦演じる義男が、サワを前に独白する7分ワンカットのシーンは、安藤が取材した元海軍の老人から聞いた言葉をそのまま科白にしたものである。
重いテーマをしっかりと見据えて、正面から描ききった安藤桃子の作家的剛腕ぶりが伝わる力作であることは間違いない。実の妹安藤サクラをこういう風に撮れるのも、彼女しかいないだろう。
そのことを理解した上で、それでも僕は本作に対していささかの不満が残る。それは、『0.5ミリ』という映画の根底に流れる監督の“怒り”が、フィクションとしての映画を圧迫しているように感じたからだ。
映画作りのモチベーションとなっている安藤の怒り、あるいは戦争を体験した世代がいなくなる前に彼らが胸に抱えた思いのバトンをしっかり受け継がなければという強い意志。それが明確な形となる義男が変調を来たした場面を分水嶺として、この作品が湛える雰囲気が真っ二つに分かれてしまうように思えてならない。
今こういうテーマを選択すれば、物語は重苦しい方向へ行くのが自然だろうし、それが現在のリアルな映画表現であるとも言えるだろう。
だからこそ、あえてこの映画は強靭な現代的寓話として語り切るという選択肢もあったのではないか?それほどまでに、義男とサワに心の交流が生まれるところまでの物語は、筆舌に尽くしがたいほどの温かさに満ちている。
ところが、この作品に込めた監督の思いが露わになる義男の独白以降、映画の表情は一変する。ひたすらに理不尽で暴力的で息苦しい現代的無情の世界に、サワとマコトは満身創痍で歩を進めて行くことになるのである。
それが、観ていてなかなかにしんどく、辛い。まるで、ある種の呪縛のようでさえある。
この長尺作品を支えるのは、出演する俳優陣それぞれの見応えある素晴らしい演技である。中でも、老人を演じた津川雅彦、坂田利夫、井上竜夫の三人の演技には惚れ惚れする。
そして、もちろんヒロインの安藤サクラ。やはり、この作品は彼女ありきの映画だろう。今、最も注目すべき女優であると断言する。
旬の女優・安藤サクラ、そしてベテラン俳優陣の力量を十二分に堪能すべき逸品である。